第三楽章『gear【歯車】』‐8‐
連続して聞こえてくる金属音が徐々に近づいてきた。
それは歩いていた俺の耳に聞こえてきた音で、多分音の元は、夏美さんのアタッシュケースの音だろう。
前に鎌鼬と戦った時に、夏美さんが鎌鼬の攻撃を防いだときの音と似ていて、俺は確信を持って音のする方向に進んでいた。
ずっと繰り返されているその音に、もしかしたら夏美さんが危険なんじゃないか、と思い、急いで向かっている。
前の方に明るい場所を見つけ、音も大きくなってきた。
空間に出ると二人の人物の姿が。
「夏美さん!」
思ったとおり夏美さんがいたのだが、服はボロボロで、膝をついていて息も荒かった。
まさかそんな、と思いながら加勢するために俺は駆け寄ろうとした。
でもすぐに思い止まり、違和感に気付く。
よく見ると、姿は夏美さんなのだが手にはナイフを持っている。それは通りで夏美さんの腕を切りつけた時のナイフと同じ『ように見えた』。『ように見えた』というのは、そのナイフがもう刃がボロボロで、原形を留めていないからだ。多分こっちは追っていたドッペルゲンガーだろう。
前に立つもう一人の方の姿も夏美さんで、手にはアタッシュケースを持っていた。
どう見ても夏美さんが優勢に思えた。
でも、その表情はどこか悲しそう。
「死ねよ!」
するといきなり、しゃがんでいたドッペルゲンガーが立ち上がって向かっていく。
それを夏美さんは危なげなく避けながら、なぜか当てるだけの攻撃をするだけ。倒すような力強さは無い。
それでも足元がおぼつかないドッペルゲンガーが倒れさせるには十分だった。
倒れているドッペルゲンガーを仕留めるわけではなく、それを夏美さんは、ただ見つめているだけだった。
意味のわからない俺は、その行動をただ見守るだけだった。
◆ ◆ ◆
私への攻撃を繰り返すドッペルゲンガー。
私はそれをことごとく避けていく。単調な攻撃を繰り返しているため、何度か攻撃を受けながら、隙だらけの体に攻撃を与える。だけどそれは相手をただ突き放すようなモノ。
相手を見ると、その顔は私が意識してそうしている事に気付いたようで、さっきまでの笑みは消え、怒りが隠しきれずに表情に表れている。
でもその体はすでにボロボロになっていて、動きが鈍くなってきていた。
すると突然、攻撃を止めて距離を取るドッペルゲンガー。
「クソッ! 何だよお前!」
イライラが遂に限界に達したのか、怒声を私に浴びせてくる。
私はそれをただ聞くだけだった。
何も言い返さない私に苛立ちを隠せないドッペルゲンガー。
「何もしないなら、お前の存在をオレに渡せ!」
叫びと共に、怒りの表情で私に襲い掛かるドッペルゲンガー。避けるのは容易なほど動きが荒く鈍い。私は容易く相手の脇腹めがけて蹴りを浴びせた。
うっ、と呻きながら転がる相手を見て、私は口を開いた。
「…それは出来ないわ。それに…、あなたは私になれない」
「ゴホゴホッ…、はぁ? 意味わかんねぇよ」
脇腹を押さえながら立とうとするが、力が入らない様子。
自分の体力やダメージを考えずに闇雲に戦っていたのだ。無理も無い。いや、元からそういった知識を持っていないんだ。知識が無ければ考える事も出来ないから…。
「あなたはあなたでしかいられないの。姿かたちをどれだけ誰かに似せようとね」
「うるさい!」
持っていたナイフを私に投げつける。力も無く、それ以前に、折れ曲がり原形がわからない程のナイフは、避けるまでも無く私に当たり、力の出ない今のドッペルゲンガー自身の状態を象徴するように刺さることなく地面に転がった。
それでもドッペルゲンガーはナイフを拾うことなく、これならどうだ、と言うような勢いで殴りかかってきた。
その様子に私は溜息のようなものをついてしまう。
それは呆れから出たものだろうか、それとも哀れみからだろうか。自分自身のことのはずなのに、自分でもよく分からない。
だけど私自身ドッペルゲンガーの攻撃を受けるつもりはなく、私は避けながら近づいてきたところを見計らって、アタッシュケースで殴りつける。
それに何とか反応したドッペルゲンガーだったが、ガードした腕ごと横から殴られ、踏み止まる事が出来ずに人形のように力なく転がっていった。
転がっていったドッペルゲンガーは限界を迎えたらしく、立ち上がる気力がないようで、地面に転がり荒い息を整えようと必死だ。
「夏美さん」
するとその時、駆けつけた成瀬も合流してきた。
「成瀬君、お疲れ様」
「いや、俺は何もしてないっすけど…」
少しいじけながら言う成瀬。
私は、そういう事じゃないわよ、と言って肩を叩く。
成瀬は一つ息を吐き出し、ひとまず気を取り戻すと、目の前にいるドッペルゲンガーを見た。
「こいつがドッペルゲンガーっすか?」
「ええ。私の格好を真似されて、ちょっと危ないと思ったけど」
私の言葉にキョトンとしてしまう成瀬。
「……これでですか?」
そう言われ相手の格好を見てみれば、私がスーツに傷一つも無いのに対して、ドッペルゲンガーのほうはボロボロで、鼻血まで流していた。
力の優劣は誰が見ても一目瞭然と言える。
「…なんでだよ」
倒れているドッペルゲンガーが呟いた。
無理をしていたせいか、うまく起き上がることが出来ずに首だけをこちらに向けて睨んでいた。
私と成瀬はそれを受け止め、ただ見つめ返した。
「オレは人になりたいだけなのに…、なんで邪魔するんだよ! 大人しく、潔く死ねよ!」
今にも襲い掛かってきそうな汚い怒声を浴びせながら、うつ伏せの格好になるドッペルゲンガー。
そしてゆっくりとした動作でこちらに這って向かってくる。
歯を食いしばり、うまく動かない腕を懸命に伸ばして進んでいる姿は、敵ながら痛々しい。
「人になれなきゃ、オレには存在すらないんだ! なら誰かを殺してそいつの存在を奪うしか方法は無いじゃないか! それのどこが悪い!」
悲しい叫び声は路地裏に響き渡る。
怒りとも悲しみとも取れるような表情で睨むドッペルゲンガーの指先は、全体重を支えて進んでいたためか、不自然な方向に曲がっている。
そんな姿を見ながら、私は悲哀の目を向けながら口を開いた。
「生きてる者の存在を、あなたが奪う権利は無いからよ」
そう言いながら私はドッペルゲンガーの元に歩み寄る。
這っているドッペルゲンガーの顔の前で止まる。
「…じゃあオレはどうすればいい?」
目の前にいる私に、顔を上げてドッペルゲンガーが問う。その顔はさっきまでの顔とは違い、救いを求めるような今にも泣きそうな顔。
でも私は何も答えずに、体を踏みつけて自由を奪い、持っていたアタッシュケースを振り上げる。
それを見てドッペルゲンガーは必死に体を動かして逃れようともがく。うまく力の入らない体では逃れるのは難儀だろう。
自分と瓜二つの者をこうやって見ているのが、なんだか複雑で、酷く自分が悪い事をしているような気分になる。だからと言って逃がそうとは思わないが…。
私はアタッシュケースを握る手に力を籠める。
「…昇華」
握っていたアタッシュケースに炎が灯る。そしてそれを躊躇わずに振り落とす。
鳩尾の辺りに落とされたアタッシュケース。それはドッペルゲンガーの体を貫き、地面に到達し、ガンッ、という音を立てた。
アタッシュケースに纏っていた炎が、ドッペルゲンガーの二つに分かたれた身体を少しずつ蝕むように覆っていく。それを見てドッペルゲンガーは驚きの表情を見せ、満足に動かない身体を必死に動かして消そうとするのだが、それは叶わない。
こうしなくてはいけないのだが、こういう光景はやはり自分が酷い事をしている気分になる。
その炎によって霧散していくドッペルゲンガー。それなのに今感じているだろう痛みを自分で理解できないのか、その理解できないモノに困惑していて、苦痛の表情と言うより、自分がどうなってしまっているのかという事に恐れているようだった。
この様子から見ても、もしかしたらこの先に訪れる死も理解できていないのかもしれない。そうだとしたらその様子はあまりにも哀れに見えて仕方ない。
「あなたはあなたがしてきた事で、どういう風になるか…。自分で感じなさい」
私の言葉に答える事も出来ず、ドッペルゲンガーは悶え苦しんでいた。
そうこうしている内に、蝕んでいく炎は口にまで到達し、声を出せなくなる。こちらを向いたドッペルゲンガーの目には、知らず知らず流したのだろうか、一筋の涙が見えた。
---でもそれは一瞬。
炎は最後まで残った頭部を燃やし尽し、跡形も無くなった。
何もなくなった場所を見つめる。
「…ごめんなさいね」
最後に見たあの表情が、呟く私に後味の悪さだけ残していく。
◆ ◆ ◆
路地裏に俺たちが歩く音が反響する。
ひとまず仕事を終わらした俺たちは、大通りに出るために歩いていた。
「それにしても迷惑な話っすよね。自分の存在が欲しいからって人を殺すなんて」
俺はアイツの言っていた事を思い出す。
這い蹲りながら俺たちに向かって、とても見ていられない顔をして叫んでいた言葉を。
なんて身勝手で、迷惑な話だろうか。
殺された人たちを考えると、どうしても許せない。
そんな事を考えていると、夏美さんは意外な事を言ってきた。
「…あの子も、被害者みたいなものなのよ」
「え?…」
|人殺し(あんな事)をしたと言うのに、被害者と言うのはどういう意味だろうか。
俺は夏美さんの話に耳を傾けた。
「ドッペルゲンガーって、人によって生まれたっていうのは知ってる?」
「えっと…、確かいろいろな人の『~になりたい』っていう欲が集まって出来た『欲望の集合体』、でしたっけ?」
「そう。でもそれって、逆に言えば『人の欲望のせいで生まれてしまった』とも言えるじゃない?」
夏美さんの言っている事は極論だが、確かにそうとも言える。
「望まれずに生まれてしまった…。しかも『自分』と言う存在を誰かに認めてもらえる事無く…。そして誰とも関われずにたった一人で生きてきた。それって本当に辛い事だったと思う…。
そんなあの子は、存在だけでも欲しい、そう思った。でもあの子の育てられることがなかった頭は、結果として誰かを殺し、その人の存在を奪うことを選んでしまった。
ま、私の想像ではあるけどね」
そこまで聞き、俺は言葉を返せなかった。
確かにその話は想像の域を出ないし、ドッペルゲンガーに都合のいい話かもしれない。でももしそうだとしたら、あまりいい気分じゃない。
もしかしたら夏美さんや俺もドッペルゲンガーを生み出した一人かもしれないからだ。
自分達で生み出したものを自分達で殺す。それはあまりにも身勝手に思える。
「まるで若い男女が子供作って虐待しちゃう、ってみたいっすね…」
「そんな可愛いものじゃないけどね…。でもそう考えると、私たちが親みたいじゃない?」
「あ、そっか…」
「じゃあ悪いのは私たち?」
痛いところを突かれ黙ってしまう。
俺は、う~ん、と唸っていると、それを見ていた夏美さんがクスッと笑った。
「ごめんごめん。そんな考え込まないで。私たちは私たちのしている事を信じていかなきゃ、ね」
そう言って空を見上げる。
横から見た夏美さんの顔は、さっきまでの顔とは違い、とても悲しそうだった。
「それがどんなに辛い事でも…、っすか?」
俺の言葉に、うん、と言って頷く夏美さん。その後は俺も夏美さんも何もしゃべらなかった。
夜はもう深く黒く染まっていた。
俺達の歩く路地裏も、先が見えないほどに暗い。
第三楽章『gear【歯車】』‐了‐
かなり疲れた…。
ちょっと日々のニュースの中で許せない事があり、どうしてもそれを盛り込めないかと思っていたのですが、結局最後になってそれっぽく盛り込んだだけ。
突発的に盛り込むのはやめましょう(笑)。
祝10万文字突破!!