第三楽章『gear【歯車】』‐4‐
約束の時間までもう少し。私は急ぎ足で待ち合わせ場所へと向かう。
本当は午後からの方がよかったけれど、どうせなら事件のあった時間帯で、なんて言う雅ちゃんの押しの強さに負け、夕方間近の時間となった。
自殺があった時間は大体夕方から夜にかけての時間帯で、混み合う時間だった。そんな時間帯に来てしまった為か思ったよりも時間がかかってしまった。
「こんな事ならもう少し早く出てくればよかったかな」
「そうですね。それにしても人が多いです。こんなにいっぱいの人を見るのは初めてです」
なんて私たちは普通に会話をしていた。
私は胸のポケットから顔を出しているルリちゃんと話しているのだが、行き交う人はいっぱいいるのに、この様子を気に留める人はいない。意外と人が多い所だとこういう風に隠す事無くしゃべる事が出来る。
盲点と言うやつだろうか。それとも単に他人に気を向けないだけだろうか。どっちにしても私たちには助かる。
しばらくそんな風に歩いていて、間に合うところまで来た時、歩く早さを緩め、ふと私とルリちゃんは少し前の事務所のことを思い出し話し始めた。
「二人とも大丈夫かな?」
「お二人の様子がちょっと気になりますね」
それは事務所を出てくるちょっと前。
事務所のテレビを点けたときにニュースでやっていた、これから私が行く用事と関係する自殺の事を話していた時の事だ。
私が夏美さんに話題を振った時に見せた表情。そして夏美さんの事を聞いたときの成瀬君の私に対する態度。聞くに聞けないような雰囲気と、時間も時間だったので何も聞けず、事務所を出てきてしまった。
聞いたところで話してくれるか分からないのだけど…。
「でもきっと…、大丈夫だよね?」
「う~ん。お二人とも腕の立つ退魔士ですからね。大丈夫だとは思いますが…」
お互いハッキリしない事を言いながら歩いていく。こんな風にお世話になっていても二人の事を私たちは何も知らない。
なんだかんだ言っても私もこの行き交う人と同じなんだろうか?
結局は他人だ、なんて思って接しているのかと思うと自分が恥ずかしくなる。
でもこうしてルリちゃんと一緒にいるとしても、私なんかはやっぱりただの一般人。『退魔士』なんていう特殊な仕事をしている二人とは自然と一線を引かれてしまうのは仕方の無い事なんだろう。
なんだろうけど…、わかっているんだけどそれが寂しい感じがした。
「でもどうして凛はそうやってあの二人を気にかけるんですか? 凛は別にお二人の仕事仲間、って言うか退魔士ではないんですよね?」
「うん、そうだよ。でもね…」
「でも?」
「こうやって出会ったのって運命だと思わない? 二人と出会ったのも、ルリちゃんと出会ったのも、全部が偶然なんかで片付けちゃ駄目な気がするの。勝手な思い込みだけどね」
そう言って私は胸ポケットのルリちゃんに微笑みを向ける。そしてそのまま続ける。
「出会ったのはきっと、みんなに私にしか出来ない何かがあるからなんだ、って思っちゃうんだよね。フフ。私って変だよね。何をしたらいいのか分からないくせに、よくそんなこと言ってみんなに『空想家』なんて言われちゃうんだ」
そんな風に苦笑しながら言う私を見て、ルリちゃんは首を横に振る。
「別に変なんかじゃないですよ。凛は素敵です。私はそんな風に思える凛がうらやましいです」
「えへへ。ありがと、ルリちゃん」
ルリちゃんにそう言ってもらえ、素直にお礼を言う。親友のような存在に自分の事を認めてもらえたのは、なんだか嬉しかった。
「あ、凛。そろそろ急がないと」
ルリちゃんに言われ、そうだね、と返す私は、待ち合わせ場所へと急いだ。
※ ※ ※
空全体が夕暮れに覆われた頃、約束の時間ちょっと過ぎぐらいに私は待ち合わせ場所の喫茶店に着いた。雅ちゃんのことだ。きっともういるだろう。雅ちゃんはどうも几帳面な性格みたいで、待ち合わせ五分前には待ち合わせ場所にいる。特に例外が無ければだけど。
雅ちゃんから待ち合わせに指定してきた喫茶店は、人通りの多い大通りからわき道にそれた所で、死角になっているような場所にあった。
私はゆっくりとお店のドアを開ける。すると中からゆったりとしたBGMが流れてきて、コーヒーの匂いがお店中に広がっていた。
中に入ると私は店内を見回して雅ちゃんを探す。お店は客入りが良くないようで、BGM以外は何も聞こえないようなくらい。この店の主人だと思われる、ひげを生やし怖い目つきの人がただグラスを拭いているだけ。余計なお世話かもしれないけど、こんな状況で大丈夫なのだろうか。
もう少し今の人が来るように店の中を明るくする、とか、若い人を雇う、なんて事をすれば良いのに。
するとそんな余計なお世話な私の考えが伝わってしまったのだろうか、マスターがこちらをじっと見つめる。
「凛…。なんか怖いです」
「だ、大丈夫だよ…。多分…」
マスターの目の圧力に、私だけじゃなくルリちゃんまで威圧されてしまう。堪らず意味も無くお辞儀をして、すぐに目を逸らし店内を見渡す。
すると奥の方で一人携帯を操作している女の子の姿が見え、私は見覚えのあるその姿に向かっていく。すると---。
「あ。リンリン」
こちらに気付き顔を向けるのはやっぱり雅ちゃん。私に向かって手招きをする。
「ごめん。ちょっと混んでて遅くなっちゃった」
「ううん、大丈夫。私もほんのちょっと前に来たばかりだから。やっぱりこの時間は混むね。明日も休みだから余計かな?」
そうなんだ、と言って私は雅ちゃんの向かい側に座る。
すると間もなくマスターが来て、何も頼んでいない私の前にカップを置いていく。中には紅茶が注がれていた。
「あ、あの…、これ…」
恐る恐る聞いてみると、こちらに振り返るマスター。やっぱり顔が怖い。
「…サービス」
「あ、ありがとうございます」
一言そう言って立ち去ろうとするマスター。雰囲気でお礼を言ってしまった私。
でも聞きたいのはそれだけじゃない。私は、ちょ、ちょっと待ってください、と言ってマスターを引き止める。
するとマスターはちゃんと聞いてくれ、立ち止まってくれた。
「あの、そうじゃなくて…。この紅茶の種類ってなんなんですか?」
「…『ローズヒップ』」
最初と同じように一言で終わらせるようとするマスター。なんだか顔に似合わない名前がこの人の口から出てきて、私は少し肩の力が抜けた。
「そうなんですか。どおりで何処かで嗅いだような気がしたんですよね。あ、すいません。仕事中なのに呼び止めてしまって」
その言葉を聞いた後、お辞儀をしながらマスターが戻っていった。
お母さんの趣味の影響で、一通りのハーブティーの種類は知ってた。そのせいかどうしても気になってしまうクセがある。
『ローズヒップ』って言うのは何度か聞いたことがあった。たしか花言葉が、『温かい心』とかだったっけ。他にも意味があった気がするけど、それだけは知っていた。
一口含んでみると、レモンのような酸味があるのだけど、それほど嫌な感じのする酸っぱさでは無い。むしろリラックスさせてくれるような気さえする。
なんだかマスターの優しさが伝わってくるようだった。
「結構穴場なんだ、ココ。どう?」
マスターが去っていくと雅ちゃんが小声でこの店の感想を聞いてきた。
私は口からカップを離しテーブルに置く。
「お店の雰囲気とかマスターの見た目は難しいところがあるけど、このハーブティーは美味しいし、マスターの心遣いを考えると、かなりの高得点ってところかな?」
「やった! 私結構ここ気に入ってるんだ。近くに来ると必ず来るからね。だから親友のリンリンに認めてもらえるとちょっと嬉しいよ」
そう言って雅ちゃんは小さくガッツポーズを取った。
その様子に私が笑うと、雅ちゃんもつられるように笑った。
するとマスターの咳払いが聞こえた。そちらの方に私と雅ちゃんが目を向けるとこちらを見つめながらガラスのコップを拭いている。
私と雅は『すいません』という意味を込めてお辞儀をし、それを見たマスターがお辞儀を返し目線をコップの方に向けた。
それを見て私たちはホッと息を吐いた。
「ごめんね」
「ううん。大丈夫」
多分マスタ-もそこまで怒っているようじゃなかったし、大丈夫だろう。
私も雅ちゃんも出された紅茶を一口飲んで落ち着く。
一息ついて最初に私が口を開いた。
「とりあえずこの後どうするの?」
私が言うと、う~ん、と唸る雅ちゃん。
「じゃあ、とりあえず買い物でもしてみよっか。町の散策がてらに」
「いいよ。あまり遅くなるとお店見れなくなっちゃうしね」
※ ※ ※
しばらく喫茶店でのんびりした後、私たちは店を出ていく。
外はもう暗い色を帯び始めていた。携帯の時刻を見ると七時前。大体事件のあった時間帯で丁度いい時間だ。
でも二人で歩き大通りに出て行くと、人通りは相変わらずで減っていく様子が無い。
間を縫っていくように進んでいくのだけど、はぐれてしまいそう。
すると雅ちゃんが振り返り、私に手を差し出してくる。
「手、繋ごう。リンリン」
「あ、うん」
差し出された手を私が握ると、雅ちゃんが私にニカッと笑ってくる。そして前を向いて私を引っ張って力強く歩いていく。
なんだか嬉しそうな顔だけど、手を繋ぐのが嬉しいんだろうか。
その時、ポケットにいるルリちゃんが私をニヤニヤと見つめてくる。
「フフフ。いいですねぇ。やっぱり…」
「ちょっと何考えてるの? ルリちゃん。違うからね!」
慌てて否定する私。
思ったより大きな声になっちゃったのか、前を行く雅ちゃんが振り返る。
「ん? どうしたの? リンリン」
「え、あ、べ、別になんでもないよ!」
「そ、そう。ならいいんだけど」
私の返事が変になってしまい、ちょっと不思議そうな顔をする雅ちゃんだったけど、一応納得してくれたみたいでまた前を見て歩き始めた。
ホッと一息つき、ルリちゃんを見る。
「もう。ルリちゃんったら」
「ごめんなさい。凛」
その後しばらく歩き、一際人通りが多い場所まで出た。
そこには事件があったためか、制服を着た警察官が何人もいた。その人たちは鋭い目つきで辺りを見渡していた。
でもこの人の数だ。こんな中での仕事は疲れると思う。
あんな事があったのだから、もう少しみんな来ないで欲しいだろう。
人はみんな何だかんだ言っても他人の事など気にしないのだろう。なんだか事務所での成瀬君の言葉が正論なんだと思わされてしまう。
でも私も誘われて来たにしても、こうやってこの場所に来てしまっているんだ。人の事など言えないんだけど。
「じゃあ近くにある服のお店にでも行く?」
手を引く雅ちゃんの問いに、うん、と言って私は頷く。
だけど歩いていこうとしたその時、遠くから男性の悲鳴が聞こえた。
「行ってみましょ!」
「あ、ちょっと待って」
私の制止の声も届かず、雅ちゃんは私の手を引き急ぎ足で悲鳴のあった元へ向かっていく。
そしてたどり着くと、もうそこには人だかりが出来ていて、中の様子が見れるような状況ではなかった。
「ちょっと行ってきてみる。リンリンは少し待ってて」
雅ちゃんは私の手を離し、人ごみの中を掻き分け入っていく。
私は少しの間待っていようと人ごみを少し離れたところで見ていることにした。
私はあまり人ごみは好きじゃない。多分それを知っていたから雅ちゃんは私を残していったのだろう。
すぐ帰ってくるだろうと思って言われたとおり待っていたその時、ルリちゃんがトントンと私を叩く。
「どうしたの? ルリちゃん」
「凛。あれ…」
ルリちゃんが指を差す先を見ると、一人の男性が。
事件に興味を示しているのか、いないのか。その男性は遠くから人ごみを見ていた。
まあその行動はすこし不思議だけど、どうしたというんだろう。
「あの男の人がどうしたの?」
私がそう言うと、ルリちゃんは真剣な顔つきで私を見た。
「あれは人じゃありません」
「え…」
私はもう一度その男性の方を見た。
するとその男性は、口元に笑みを浮かべて人ごみを見つめていた。