第三楽章『gear【歯車】』‐2‐
私は部屋に入り、扉に背を預けながら閉めた。
深く息を吸い込んで、それを全部吐き出す。でも、それでも気持ちは落ち着かない。
ふと私はシャルルが言っていた言葉の一部が頭に浮かぶ。
『誰かに操られた』
その言葉を聞いて私の心臓の鼓動が早くなった。そのために私はそれを抑えるために黙り込んでしまった。
信じたくはない。だってその証拠はないし。でも、私は今それを出来る者を知っていた。
私がこの国まで追いかけ、昔からよく知る者を…。
「姉さん…」
そう呟くと私はベットに倒れこみ、手を広げ仰向けになり天井を見つめる。
そして目を瞑り、あの日、この国で久しぶりに出会った姉さんを思い出した。
生前に見た姉さんと変わりない姿。でもそれは姿だけで、わかっていた事だけど、もうあの頃の姉さんではなかった。
私が殺してしまう以前の姉に…。
※ ※ ※
トントン、とドアを叩く音が聞こえ、私は目を開く。
いつの間にか少し寝てしまったようで、部屋に入った時から二〇分程経っていた。凛の言うとおり疲れているんだろうか。
私は上半身を起き上がらせて、はい、とノックに返事をする。
「成瀬です。ちょっといいですか?」
成瀬か…。何か用だろうか。
私は少し考えた後、いいわ、と言って許可した。
ガチャリとドアが開かれ、入ってきた成瀬の手にはコーヒーカップが二つ。
私はベットに腰掛けたまま、どうぞ、と成瀬に言われて手渡されたカップを受け取る。
成瀬はカップを手渡すと、壁に向かっていきそのまま寄りかかった。
「…どうしたの? 急に」
そんな成瀬に私は問う。なんとなく成瀬が何かを聞きたいという雰囲気が分かった。
「…はい、少し気になっていた事がありまして…。前に『椎名 莢』って子の案件があったじゃないですか。その事で」
「…」
私は返事をせず、ただ黙って成瀬の言葉を聞いていた。
成瀬は一度手に持ったカップを口に付け、一口飲む。そして離し、真剣な表情でこちらを見てきた。
「その後に出会った、その…、リリィって奴がその子の名前を出していましたよね? あの子の件…、もしかしてその霊が絡んでるんじゃないですか?」
私は驚いた。
成瀬はどうも同ランクの退魔士より少々『勘』が鋭いようで、些細な事で何か疑ってくる。
正直ここまで出来る者とは思っていなかった。
今となっては、成瀬はあんなその場しのぎの募集で来る程度の者ではない。
それを私は自分より若く、しかも学生という事もあり、心のどこかで成瀬を侮っていた。
でも成瀬は立派な一人の退魔士だった。侮っていた自分を恥じる。
「どう…、なんですか?」
さっきよりも増して真剣な表情の成瀬。先ほど凛に対してたじたじだった者と同一人物とは思えないような雰囲気。
そんな違いにおかしくなり、私は口を押さえた。
「ちょ、酷いですよ。俺は真剣に聞いてるのに」
「フフフ。ごめんごめん」
確かに失礼だ。成瀬が真剣に聞いているというのに。
私は少し深呼吸をして落ち着くと、成瀬の方を向き、眼鏡の位置を直して成瀬を見つめた。
「…うん。あれはきっと姉さんの仕業。あの人の能力は知ってるから…。隠すつもりはなかったんだけどね」
私は一旦成瀬に貰ったコーヒーを飲んだ。
いつも飲んでいるのだが、苦いけどいい香りで暖かく、とても心が安らぐ。おかげで落ち着いて話せそうだ。成瀬はそれを考えて持ってきてくれたんだろうか。そんな気遣い、どこで憶えたんだろう。
そんな事を考えつつ、口を離し私は続ける。
「『言霊操作』…。それが姉さんの能力なの」
「それって…」
「名前の通りよ。言葉で対象を操る、ただそれだけ。だけど、それはとても危険なもの…」
それを聞いて成瀬は黙ってしまった。
きっと伝わったのだろう。その能力の危険性を。勘が良い成瀬なら尚更だ。
私はゆっくりと立ち上がり、窓の外を見る。
部屋の外は日が暮れてきていて、空がオレンジ色になっていた。
そういえばいつの日だったか、こんな夕暮れ時にあの人が言っていた。
『私はこの能力、好きじゃない。関係ない誰かを傷つけちゃうかもしれないから…』
あの言葉は本心だったはずだ。
あの時の姉さんの顔は、不安げに見ていた私を心配させまいと笑顔だったが、どこか悲しげな表情だった。
それが夕暮れ時という事もあり、より寂しさをかもしだしていて、あの顔を今も忘れられない。でも…。
「…じゃあ、あの子はその能力で操られ自殺した、って事ですか?」
「多分ね…。あの人もそんな感じのことを言っていたし…」
私は遠くを見つめながら答えた。
そう。あの人は一人の少女を殺してしまった。その能力を使って…。
「それじゃあニュースの自殺ももしかしたら…」
そこまで言って成瀬は言葉を止めた。
今回のニュースの件、あれだけでは分からないが、もしかしたら場所が場所だけに自殺というのは考えにくい。成瀬もそれを考え私に聞いてきたのだろう。
もしそうだとすれば…。
考えたくはないが可能性的にはあり得てしまう。
「夏美さん、どうしますか?」
成瀬が私に問う。
「…確かめるしかないわね」
私は呟くようにそう言うと、分かりました、と成瀬は言って静かに部屋を出て行った。
部屋の中は静けさを取り戻し、外から夕方のチャイムが聞こえてくる。
私はカップの中身を見つめた。
コーヒーは黒く濁っているのに、口に含めばとても美味しい。
なのに同じように黒く濁っている私の頭は、私の心の中を暗くしていくだけ…。
「なんでかな…」
私はそんな独り言を言う。
それはただ部屋の空気を振るわせるだけだった。
◆ ◆ ◆
俺は部屋を出てカップを洗うために台所へ向かう。そして流しでカップを洗い始めた。
何かしていないと落ち着かなかった。
「はぁ~…」
一つ大きな溜息をする。自分でしておいて憂鬱な気分だ。
俺はなんであんな事を聞いたんだろう。あのニュースだって自殺と言っていたのに。
それでも俺はなんとなく夏美さんの様子が変なのと、あの時気がかりだった事を思い出してしまい、何か関係があるんじゃないかと聞かずにはいられなかった。
本当はあまり答えたくはないはずだ。なのに夏美さんはちゃんと答えてくれた。それが余計罪悪感を増していく。
カップを洗い終え、食器棚に置き、支度をする為に自室へと戻った。
部屋に入って支度を始めようとしたその時、机に置かれたアルミケースが目に入り、それを手に取る。
開くと中には一枚の写真。真ん中には小さい頃の俺、そしてその後ろには…。
「兄貴、親父。俺はあんな事聞けるような奴じゃないのにな…」
そう言って写真を見ていたが、はっと気付きケースを閉じる。今から出かけるというのに待たせてしまっては悪い。
支度を再開し、済ませて外に出て行くと、もう夏美さんが待っていた。
「じゃあ行こうか?」
何も咎めずそう言う夏美さんはいつも通りの夏美さんに見えた。
それがまた俺の罪悪感が沸く。
「はい。お待たせしました」
俺は努めて冷静に返事をし、そして夏美さんの車に乗り込むとあのニュースで言っていた場所へと向かった。
※ ※ ※
空も暗くなった頃、俺たちは事件のあった場所に着き車を降りた。
暗くなったと言ってもまだ時間は七時。交差点には警察官の制服を着ている者がいたのだが、家路を急ぐ者や友達同士で遊びに繰り出す者たちでその場所はにぎわっていた。
事件があった場所だと言うのに変わりなく生活している人々の様子は、一種の機械のようだ。
そしてこの街も、『人』という『歯車』が一つ落ちてもそれが必要なモノでなければ絶対に壊れない機誡だ。決して止まる事なく、ただ動き、廻り続けているだけ。誰も止めることも、まして壊す事も出来ない。
それがとても滑稽に思えた。その機械の中に今、どれ程の物か分からない『俺』と言う『歯車』もいるのだけど…。
目の前の行き交う人達を見る。
「これじゃあ調べられませんね…」
「…そうね」
俺も夏美さんも人の多さにお手上げ状態だ。あまりにも人が多すぎて調査のしようがない。
しばらく歩いて人がいなくなってくるのを待つしかなさそうだ。
夏美さんはアタッシュケースを持つ。今日は場所が場所なので一つしか持ってきていないようだ。
俺は中に鞭が入っているリュックを背負い、歩き出した。
一緒に歩く俺達は周りから見れば変に見えるはずだ。でも誰も不思議そうな眼で見てこない。
他人に気を向ける者なんてそうそういない。それが普通だと思う。
「これからどうしますか?」
「そうね、しばらくは時間を潰すし---」
とその時、遠くの方で悲鳴が聞こえてきた。
「行きましょ!」
すぐに夏美さんが動き出し、悲鳴のした方に向かっていく。
俺もその後に続き走っていった。
走っていくとすでに小さな人だかりになっている場所を見つけ、そこに走り寄っていき、人ごみを掻き分け、その中の方に入っていった。
少ししてほとんど前に人のいない辺りまで行くと、中の様子が見えた。
そこには血を流している男性が。
「成瀬君」
「了解っす」
夏美さんからの言葉はそれだけだが、何をすべきかは分かった。
駆け寄り、男性の出血場所を見る。男性の首の部分、外頸動脈と言われる部分が切られていた。
見た限り出血は多いように見えるが、傷口はそこまで大きくない。早く処置すればなんとかなるかもしれない。
「早く! 救急車!」
俺がそう叫ぶと近くにいた女性が、私が呼びます、と言ってくれた。
そちらの心配はなくなり安心する。
俺はもう一度男性の方を見てリュックからタオルを取り出し傷口を押さえる。これなら血を拭わなければバレる事はないだろう。これで本来の目的が果せる。
そして俺はそっと男性の傷口に霊気を流し込み治療をし始める。
最初痛みを感じたのか、体がビクッとした。だがそれでも治療を続けていく。
すると次第に血の気がなくなったように顔色が悪かったのが少しずつ良くなっていき、呼吸も落ち着いていた。ひとまず何とかなりそうだ。
その後も押さえている傷口も大体塞がりそうな時、事件を聞きつけた警察官たちがやってきた。報告を受けやってきたのだろう。だが俺に治療されていた男性を見て困惑顔だ。血が出ていた痕があるのに傷がないのだ。驚くのも無理はない。
それを見て夏美さんが近づいていき、警察官たちに話をつける。すると警察官たちは頷き俺たちの素性が分かったようで、周りを取り囲む野次馬たちの整理を始めた。
その後すぐに駆けつけた救急隊員に後の処置を任す。まあ傷は塞がっているからほとんどやる事はないだろうが。
俺は人ごみを掻き分けて外に出て行く。途中俺を見てくる人たちがいたが、気にせず歩いていく。どうせ覚えている人なんていないだろうし。
人ごみから出るとそこには夏美さんが。
「お待たせしまし、…た?」
俺が出てくるなり、静かに、と小さな声で俺に言う夏美さん。
夏美さんの表情が真剣そのものだったので、俺が不思議そうな顔をすると夏美さんが親指でそっちを見ろと声を出さず指示してきた。
俺は言われるままにそちらに目だけを向ける。その瞬間心臓がドクンと大きく音を鳴らす。誰を見ろとは言われていなかったのだが、一発で分かった。
するとこちらの動きに気付いたのだろうか、相手が動き出す。
俺たちは気付かれぬよう追いかけ始めた。