~間奏曲‐2‐~
凛が帰ったあとの事務所。
そこには俺と夏美さん、そしてウィンさんとアンナさんがいた。
今日はさすがにもう夕方という事もあり、ここに泊めて欲しいようで、こちらは別に問題はないので快く承諾した。
今はそのために悪いのだが俺の部屋で寝てもらうために部屋を片付けている。
さすがに客人をソファーなんかで寝せるわけにもいかない。ウィンさんは構わないとは言ってくれたが…。
「そうは言ってもそこまで片付けるような物も無いんだよな」
やったのはベットのシーツと布団のカバーを取替え、あと掃除機をかけ、簡単に片づけをしただけ。
必要最低限の物しか持ってきてはいないので、これと言って片づけするほど散らかっているわけではないし。
「掃除良し。片付け良し。ベット良し、と。」
指差し確認をし、やり忘れが無いかをチェックする。大丈夫だと確認したあと、掃除機を持って部屋を出た。
歩いていくと突然事務所の中から話し声が聞こえてくる。
「これは私の問題なの。口を出さないで」
聞いた事の無い夏美さんの怒気を含んだ低い声が聞こえてきた。
それを聞いた俺は開けようとしたドアをゆっくり少し開き、物音を立てず様子を窺いながら聞き耳を立てた。
「はい。それは分かっています。ですがもう千秋さんの案件をいつまでも隠す事はできませんよ。ドイツ政府からの日本政府に対して行っていた情報操作の働きかけも限界があるんですから。自分の国の不祥事なのに優位に立っているのは良くわかりませんが…」
「…」
「あなたの気持ちは察します。でもあなたは自分から志願して案件処理に来たんです。そろそろ進展があってもいい頃じゃないですか?」
ずっとウィンさんの言葉を聞き、黙っている夏美さん。
ウィンさんが口にした『政府』、『情報操作』、そして『千秋さん』…。
ふと昨日の夜の事を思い出す。
案件の場所に向かい、そこで出会ったリリィと名乗った女性の霊。それを夏美さんは「千秋姉さん」と言っていた。
そしてその後、あの霊について調べてみると何故か情報が出てこなかった。
あれは情報操作によるものだったのか…。どうりで情報が出てこないはずだ。まさかこんなからくりがあるとは思わなかったし。
「まあ無理もないですよね。霊体だとしても実の妹だったら、姉を庇いたいという気持ちが出てもおかしくはありま---」
「違う! そんなんじゃない! ただ私には私のやり方があるの。第一あなたに口出しする権利はあるの?!」
声を荒げ否定している夏美さん。だがそうなると分かっていたのか、いたって冷静なウィンさん。
「権利なんて言われれば、そりゃあないですよね。僕とあなたはただの知り合いってだけですし、僕なんか今じゃほとんど退魔士の仕事なんてしてないですから」
夏美さんは、分かってるじゃない、と言って視線を横に移す。
その先には様子を窺っていた俺。
目が合いどうにも気まずく、どうすればいいか分からず、とりあえずウィンさんの方に声をかけた。
「えっと…、片付け終わったんすけど。」
「あ、そうですか。すいません、わざわざ。それでは休ませてもらいますか。アンナ、起きて」
ウィンさんが足を枕にされ寝ているアンナを起こす。
なんでも移動魔法はかなり疲れるらしく、今回は凛のためにやってくれたらしいが、普段はあまりやりたくはないらしい。
そのアンナさんは寝ぼけたような顔をしているのだが、ゆっくりと立ち上がった。
目がしっかり開いていないアンナさんの手をウィンさんが握った。
「では失礼します」
行くよ、といってフラフラとしているアンナさんを引っ張り、ウィンさんは部屋を出て行く。
そして部屋には俺と夏美さんは取り残されてしまった。
立っているのも変なので、夏美さんの向かいのソファーに座り、しばらく無言のまま過ぎていく時間。壁に掛かっている時計の針の音だけが部屋に響いていた。
俺から切り出そうにも何を言っていいものか分からず、ただそわそわとするだけだった。
その様子を見てか一つ息を吐き、夏美さんから口を開いた。
「…聞いちゃった?」
「…」
俺は何も答えられない。
そんな俺を見て、夏美さんの方から声をかけてくれた。
「ちょっと、外歩こうか? 巡回がてらね」
夏美さんは静かに立ち上がり外に向かう。落ち込んでる様子でもなく、ただ冷静に。
俺は鞭を取りに行った後、外で待っている夏美さんのもとに向かった。
※ ※ ※
外はもう暗くなり星が明るく輝いている。四月という事もあり、あまり寒くはない。
少しずつ家の明かりが消えていく街の中を歩いていく足音は二つ。俺たちの事情を知っているかのように人通りがない。
しばらくの間夏美さんは前を、俺は少し後ろを歩いていた。
「いつかは知られると思ったんだけど、まさかこんな形でなんてね」
「…すいません。事情は聞かないみたいな事言ってたくせに。俺…」
俺は約束を破ったように思えてちょっと申し訳なかった。
声が聞こえたからといって聞いていい事なんてないのに、俺は聞いてしまったのだから。
俺が落ち込んだような声で言うと、クスっという声がした。
「別にいいわ。気にしないでいいわよ。どうせもう遅いんじゃない?」
「そう…、っすね…」
少し言葉のやり取りをすると、また俺たちはしゃべらずに歩いていた。
俺は前を歩く夏美さんを見る。
後ろで手を握り、少し上を見て歩くスーツの後姿。それがいつもの凛々しい姿には見えなかった。
ただそこには一人の女性としての『水華月 夏美』がいた。
「聞いたとおり、私はある案件でこっちに来てるの、って今更隠す事もないよね。どうせ分かってるだろうし…」
「あの女性の…、リリィって名乗る霊の排除…、っすか?」
「……うん」
立ち止まらず、夏美さんはこちらに顔を向けずに返事をする。俺もただその後を追って歩くだけ。
傍から見れば変な二人組みに見えるだろう。でも今はそんな事気にしない。
今はただ、夏美さんの話を聞いていたかった。
「どうやってこっちに来たのか、リリィは日本に現れたの。それを知って驚いたドイツの退魔士政府機関は躍起になって事実をもみ消そうと動いたわ。まさか処理の失敗どころか国外に逃がしてしまったんですもの」
滑稽よね、と笑いながら言う夏美さん。
「このままでは国の威信に関わる、そう判断した政府は秘密裏に案件解決することを示唆した。幸い逃げた先は国の関係性からも優位に立てる国だったからね。だからすぐに事は進み計画は決行されたわ。その計画は…」
「ドイツから退魔士を送り込み…、その問題を公の場に知られる前に処理をさせる…」
「ご名答。なんとも簡単な計画でしょ。で、その退魔士が私ってわけ」
信じられない話だ。そこまで大事だったなんて…。
自分自身長い間この仕事の世界で生きてきたが、そんな事が行われるなんて思ってもいなかった。
それにしてもこの国の立場って一体どんな位置なんだろう。相手の方が悪いと言うのに、それを簡単に相手の言う事を聞いてしまっているなんて…。って今はそれはどうでもいい。
そんな事よりも---
「夏美さんは出来んすか?」
「何が?」
「そのリリィと言う霊の…、排除を…」
俺がそう言うと、夏美さんはピタリと止まる。
下の方を見ながら一つ息を吐いた。
「それが私の仕事だからね。自分から志願したん---」
「でも……、姉さん…、なんすよね」
「…」
前を向いていた夏美さんはこちらを向いた。その顔は儚げな笑顔で、とても弱弱しい。
そんな夏美さんを見るのは初めてだった。
そして夏美さんは空を見上げる。
「だからこそよ。そもそもの原因が私なんだから…」
「え…?」
意味が分からない。
そして上を向いていた夏美さんは、もう一度俺の方を見た。
「だって…、私が姉さんを殺したんですもの」
夏美さんの口から想像つかない言葉が出てきた。
そう言った夏美さんは無表情で表情を変えず、ただ俺の方を見ている。
昨日の夜、あのリリィが言っていた言葉を思い出した。
『また…、私を殺すの? 夏美』
それを思い出し、俺は何も言う事が出来なかった。ただ夏美さんの目を離さないように見ているだけだった。
すると夏美さんはクルッとまた前を向いて歩き出し、そして俺も追いかけていく。
俺たち二人はただ当てもなく歩いていた。
後ろから夏美さんのことを見ながら思う。
俺には何も言う権利なんてないかもしれない。だけど今はこれだけは夏美さんに言いたいと思った。
◆ ◆ ◆
だからこそ、か…。
そんなもの、ただの強がりだ。そんな言葉を言ってしまった私がとても滑稽だった。
もしかしたら自分に言い聞かせるためだったんだろうか…。だとしたら尚更おかしい。
だってそれじゃあ、『自分が何のためにこの国にいるのか忘れていた』、と言っているのと同じだ。『だからこそ』、という私の言葉と矛盾している事になってしまうし。
そんな事を考えながら歩いていると、そっと後ろから成瀬君が話しかけてきた。
「大丈夫っすよ」
拍子抜けするような言葉に私は、え?、と聞き返してしまった。
「夏美さんだけじゃないんすから」
後ろに振り返ると、歯を見せ笑っている成瀬が。
その顔を見て私はキョトンとしてしまった。
「一人で何でも抱え込まないでくださいよ。助手の俺がいるんすから、もし辛くなったら俺に面倒な事全部丸投げしてもいいっすよ」
そんな事を平気で言う成瀬。その笑顔はとても無邪気な歳相応の顔。
そんな成瀬のギャップがとても可笑しくて、私は不覚にも笑ってしまった。それは反則だと思う。
まったく。私より何個も下の子に励まされてしまうなんて、なんか悔しい。
「フフフ、ありがとう。そうね、じゃあそしたら早速甘えちゃおうかしら。はっ」
「ちょ、やめてくださいよ! そういう事じゃないんすから!」
ちょっとした仕返しで、成瀬の腕を組む。
突然の行動にビックリした様子の成瀬。効果は抜群のようだ。
そして成瀬が振りほどこうとするが、私がしっかりと腕を握ってしまい敵わず、成瀬はあきらめ黙って腕を組まれたままだった。
今は大丈夫だと分かっていても、いざという時はどういう風になるかはわからない。
だけど今は、こんな何でもない日々が続く事を祈るだけだった。