第一楽章『春嵐【シュンラン】』‐6‐
「あの…」
私はすまなそうに目の前の女性に話しかけた。
女性は首を傾げながら、何?、と聞き返してくる。
「私はまだ夢を見ているのでしょうか」
私でもなんて質問をしてるんだろうって思う。でも現状を把握できずにいる私は何か聞かずにはいられなかった。
女性は、フフ、っと笑った。
「残念ながら夢じゃないわ」
夢じゃない。と言う事はどういうことだろう。
この部屋にいるのも、私の前に現れた二人も現実。
という事は、私を襲ってきたあの化け物も---
「あ、あの化け物はどうしたんですか!?」
私はベットの隅の方に素早く逃げ、布団をかぶる。
思い出しても怖かった。あの鎌を持った獣のような化け物は一体なんだったのか。
私が肩を震わせていると、不意に肩の辺りを、ポン、と叩かれる。
ビクッとして肩をすくませる私だったが、その手が背を撫でてきたのを感じ、布団から首を出した。
「もう大丈夫。あなたがここにいるのが一番の理由じゃない?」
「あ…」
言われてみればそうだ。ここにあの時現れた二人のうちの一人の女性がいるのだ。
現実なのであれば私は死んでない、はずだ。
そう思うと急に体の力が抜ける。
「はにゃ」
力を失った私の体は変な声を出して女性の胸に倒れた。
弾力で私の顔が弾む。やわらかい。
心地よさに体を任せる。
「ねえ…」
何を食べたらこんな風になるんだろう。
やっぱり牛乳だろうか。あ、その場合は飲むか。
「大丈夫?」
「はわ! ご、ごめんなさい!」
私がうんうん唸っていると、女性の声に気付き私はハッとしてすぐに体を離した。
何をしてるんだ。私は。
それでも女性は私の頭を撫でながら、なんともないなら良かった、と言う。
素直にこの人を、やさしいなぁ、と思った。
「…そういえば、足は大丈夫?」
「はい? あ、えっと…」
言われて私は自分の足を見てみる。
あまり痛みを感じていなかったので忘れていたが、足を切られていたのだ。
布団から出た自分の足。
「あれ?」
一瞬、やはり自分は夢を見ているのだと思った。
でも私は自分の足を見て驚いた。
「傷が…、無い…」
◆ ◆ ◆
「あの…、夏美さん?」
俺は少女に近づくとおかしなことに気がついた。
助けた時、少女の足が切りつけられていて血を流していたので、俺は治癒をしようと思った。
場所が場所だけに見るのは少々抵抗があったが、傷の具合を見ないことには治療は出来ない。女性に傷が残るのはかわいそうだし。
やましい気持ちなど無いのだが、意を決し夏美さんによって簡単な止血が施された太腿を見てみた。
「…傷、ないんすけど」
スカートからのびる少女のすらっとしている足のどこにも傷なんて無かった。それどころか傷跡まで無い。
当の本人は平和な顔して寝息を立てて寝ている始末。俺は何がなんだか分からなかった。
「これ、夏美さんがやったんですか?」
「ううん。私、そもそもそういうの苦手だもの」
俺が聞くと、夏美さんは首を振る。
まあ確かに、夏美さんが少女に触れてた時間はほんのちょっと。そんなので治癒なんて不可能だ。
「じゃあこの子が…、自分で?」
可能性としてはそれしかなかった。いくら…、あんな事があったとしても誰かがそんな事をやっていれば気付けるだろう。
でもそんな様子は無かった。
あれこれ考えていると、何かに気付いた。
「…夏美さん、この子の霊力すごいですよ。俺触っていただけなのに…」
女の子の体からあふれ、俺の体に流れ込んでくる霊力の量が半端じゃなく、俺の体に満たしていくようだった。
それによって自然に俺の治癒力が向上してしまっているのか、さっきまで痛んでいた足も治ってきているようだ。
「とりあえず事務所に連れて行って様子を見ましょう? その子、まだ起きないみたいだし」
夏美さんもさすがに困惑した。あんな事があり、加えてこの子だ。当然だろう。
夏美さんの提案に俺は同意し、少女をおぶって乗ってきた車の後部座席に寝せる。
俺と夏美さんも乗り込み、事務所に向かった。
◆ ◆ ◆
少女を私の部屋から事務所に連れて行く。後からついてくる少女は、キョロキョロとしながらついてきた。
少女は黒い髪の毛が腰の辺りまであって、華奢な体つきでおっとりとした雰囲気から、『大和撫子』を連想させる。
事務所のソファーに少女を座らせて、反対側のソファーに私も座る。
前に座る少女は少しの間下を向いていたが、しばらくして私に視線を向ける。
「あ、あの…」
「なに?」
なるべく少女が身構えないように優しく返事をした。
少女はもじもじとしていて、中々次の言葉が出てこない。
少女は一度深呼吸をして、落ち着いた所で私に話してきた。
「お、遅くなりましたが、先程は助けていただいてありがとうございました」
「ううん、いいわよ。あれは私の仕事だった訳だし」
「おし…、ごとなんですか?」
私の返答に少女は首を傾げた。当然だろう。
あんな魔物や異形のものと戦う仕事なんて表立ってある訳が無いのだから、普通の人間が知っているわけが無い。知っているのは一部の警察や政府ぐらいだろう。
「まあね。あ、でも他言無用よ。国家機密みたいなものだから」
「はあ…」
少し話が飲み込めないようで、また首を傾げる。
まあ一度に全部信じろと言う方が難しい。そこら辺はしょうがない。
「あ、そういえば、あともう一人の男の方はどうしたんですか? …もしかして、殺されちゃったんじゃ…」
身を乗り出し私に聞く。少女の真剣な顔を見て、私は口を手で押さえながら顎で少女の後ろを指す。
そこにはそのもう一人いた男性、成瀬がコーヒーカップを手に持ったお盆に乗せ、苦笑いをしながら立っていた。
「そう簡単に殺さないで欲しいな? 俺も一応そういう仕事をしてるんだから」
少し意地悪に言いながら成瀬はテーブルにカップを置いていく。
少女にはスティック型の砂糖の入った袋を添えて。成瀬君、気が利くなぁ。
少女はちょっと申し訳なさそうな顔をしながら、砂糖を入れかき混ぜてカップを手に取る。
「ありがとうございます。いただきます」
少女が飲むのを、私は見つめていた。
見つめていた私に気付いたのか、少女は飲むのを止めてカップから口を離した。
「あの…、何か…」
少女は少し不安そうな顔になる。
私は表情を変えず、真剣に話し始める。
「うん。あなた、桜井 凛ちゃんに話があるの」
「え? どうして私の名前…」
少女は今度は驚いた表情をした。