第一楽章『春嵐【シュンラン】』‐4‐
横殴りにされ飛ばされた俺の右手には持ち手の棒が。そして左手には縄。
ただ左手の縄は先の方を持っていた。
「ばーか」
やられた方だと言うのに悪態をついたが、俺はこの後が狙いだったのだ。
手が読めることを『避ける』ためではなく、『殴られる』ために利用したのだ。
鎌鼬の足に殴り飛ばされた俺の鞭の縄が狙い通り引っかかり倒れる。
風に乗る鎌鼬は、例えるなら『風に舞う羽』。空中で掴むのは非常に困難だ。掴もうとすればするほど、手をすり抜けて逃げていってしまう。
だが地面に落ちた羽なら掴む事が出来る。ならば鎌鼬も同じようにしてはどうかと考えた。
鎌鼬は倒れた状態。後は掴むだけ、いや、止めを刺すだけだ。
「夏美さん!」
盛大に壁に体を打ちつけた俺は、むせながら夏美さんの名を呼ぶ。
それを聞いた夏美さんは鎌鼬に向かっていき、アタッシュケースを打ち下ろす。
やはり鎌鼬でも倒れた状態では無理だったのか完璧に逃げ遅れ、その一撃をまともに受けた。
「昇華」
夏美さんがそう言うと、青い炎が上がり呻き声を上げる鎌鼬はどんどん霧散していき跡形もなく消えてしまった。俺は作戦の成功に心の中でガッツポーズを取った。
俺はゆっくりと起き上がり、夏美さんに近づく。
夏美さんは霧散して鎌鼬がいなくなった場所を見つめている。その横顔はとても悲しげだ。
「ありがとうね、成瀬君」
近づいてきた俺に夏美さんは顔を向けて労いの言葉をかけてきた。俺が、いえ、と言うと夏美さんはまた鎌鼬がいた場所を見つめる。
「どうか安らかに…」
害をなし敵であった鎌鼬に目を瞑りながらそう呟く夏美さん。
俺も隣に立って一緒になり夏美さんと共に祈りをささげる。
しばらくして、夏美さんはすっと顔を上げこちらに笑顔で向く。
「ごめんなさい。こんな事しちゃって」
「いえ、気にしないでください」
俺も笑顔で返す。
俺は思う。この人は強いだけじゃない、と。自分にはない腕や技術だけじゃなく、敵に対しての慈愛に満ちていて、それは誰にでも出来ることじゃない。
そして俺は今、そんなこの人に魅かれていた。この人のようになりたいと。
その夏美さんは、行こうか、と言って歩き出した。俺も後に続いて行こうとした。
「やっほー。夏美」
その時、突然声をかけられた。
聞いたことがない女性の声。それと共に感じたことのない霊圧を感じ、体が思うように動かなくなる。
その体を懸命に奮い立たせ声のしたほうに振り返った。
そこにはいつの間にいたのか、黒いワンピースを着た栗色の長髪の女性が歪な笑顔で立っていた。
◆ ◆ ◆
私の心臓の鼓動が早くなっていくのがわかった。
それは聞き忘れることのない声。
声のした方にゆっくりと振り返る。そこには病的なまでに白い肌という以外は、記憶と変わらない姿があった。
「…ねえ、さん…」
力が入らず呟くような声になる。
でも私の言葉に、目の前の彼女の笑顔がなくなった。
「…まだそう呼ぶの?」
目の前の者の声に怒りの色が帯び、それと共に冷たい視線が刺さる。
「私は…、あなたなんかの姉じゃない!」
叫び声と共に放たれる怒気を、私と成瀬は一身に受ける。
歪んでいく顔。目も血走り、今にも襲いかかってくるような雰囲気。
「私を追ってくるなんてどんなつもり?」
私は答えない。
その瞬間、手にナイフを持ち彼女は一直線に私に向かってきた。
躊躇のない突きを放つ。
私はそれを手に持っていたアタッシュケースで防いだ。すぐに蹴りを繰り出すが当たらない。
彼女はおもちゃを与えられた子どものような顔をして、私の蹴りをかわす。
「夏美。あなたに私は倒せない」
そう言う彼女の顔はとても歪な笑顔だった
「りゃ!」
その時、成瀬が横から鞭で攻撃を仕掛ける。
「フフ。子犬の躾はしとくものよ? 夏美」
流れるような動作で降りかかってくる鞭をかわし、標的を成瀬に変えた彼女は成瀬に向かう。
「! 成瀬君! 離れて!」
私が言うよりも先に攻撃をかわした彼女は成瀬に向かってナイフを振り下ろす。
◆ ◆ ◆
今までにないイメージだった。
襲い掛かってきた相手の攻撃を見据え、俺は『先読』を発動した。
だが見えたのはとてもハッキリとしない攻撃の軌道風景。見えることには見えるのだが、それが果たして正しいのか分からない。こんなことは初めてだった。
「くっ!」
とにかく信じて避けてみる。
だが、避けたはずの攻撃は頬をかすめる。俺はその事に驚き、思考を止めてしまった。
そんな事を戦いの最中にしてはいけなかったが、それ程の驚きだったのだ。でもそんな事をしてはいけない相手だった。
動きの止まった俺に蹴りが襲い掛かる。分かっていたはずなのにその攻撃に反応する事が出来なかった。相手の見た目は、細い体つきのそこらにいそうな女性って感じだが、キックは重く、それは俺の膝の辺りを直撃し骨が折れるような音がした。
激痛が襲い掛かり、膝の力を失った俺は地面に倒れた。
倒され悶絶する俺にナイフを突刺すように振り下ろされる。
ガン、という音。
振り下ろされたナイフは、寸でのところで夏美さんの投げたアタッシュケースで弾かれ、俺の頭上から姿を消した。
そして夏美さんは素早く女を仰向けに倒し押さえつける。
「姉さん! もうこんな事やめて!」
夏美さんは押さえつけた女にそう叫ぶ。
だがそんな夏美さんの言葉は届かないのか、その女は表情を変えない。
そして予想外の言葉を放った。
「また…、私を殺すの? 夏美」
風が一段と強くなってきたのに、その言葉は脂汗を流し悶絶しそうな俺の耳にハッキリと届いた。