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小屋の前に誰かいる

 長い冬が終わった。そして短い春の終わりにリリーは試験を受けた。

 今日、夏の日差しを受けながら、リリーはある物を待っていた。 


「あの…すみません、私に手紙は来ていませんか」


 郵便配達人がこの屋敷を回る時間は決まっている。リリーはこのところ毎日門の外でこっそり彼が来るのを待っていた。


「ええと…はい、これだ」


 彼が鞄から差しだしたそれを、リリーは受け取った。思わず、手が震えた。ずっと待っていた手紙。消印はペテルブルク。小屋に戻ってから開けよう。そう思った時、屋敷から人が出てきたので、私ははっとそちらを見た。


(ユーナと、使用人たち…それにお母様?)


 危険を感じたリリーは、生垣の陰に隠れた。


「ユーナ、ユーナや。馬車は呼んだかい?」


「うん。母様、忘れ物はない?」


 こちらに歩いてくる二人がそんな会話をしているのが聞き取れた。


(あの2人が出かけるなんて…珍しいな)


 皆が玄関からすっかり出ていってしまってから、リリーは小屋へ戻った。


「おじいちゃん…来た」


 椅子に座って一休みしていたおじいちゃんに、リリーは封筒を差し出した。


「私…怖い。おじいちゃんに見てほしい」


 おじいちゃんは少し眉を上げたあと、手紙を開いた。その表情は変わらない。私はしびれを切らして、急くように彼を見つめた。


「……合格だ」


 そういって、彼はにやっと笑った。


「う…嘘」


「嘘じゃない。わしもそれくらいは読める」


 手紙を見せられて、リリーは一気に肩の力が抜けた。と同時に、喜びがやってきた。体の底から、踊りだしたいような嬉しい気持ちが湧きだした。


「やった…私、いけるんだ、ペテルブルクに」


 首都ペテルブルク。王侯貴族や貴婦人の宮殿、そしてたくさんの劇場がある場所。


「出発はいつだ?」


「そうだ、準備しなきゃ」


 荷造りに、旅費の工面。やる事はいくらでもある。おじいちゃんはよいしょと立ち上がった。


「まずリズの所に、報告にも行かないとな。ついでに村で、旅支度を用意しよう」


 おじいちゃんと隣村まで行き、戻ってくるころには日が暮れていた。


「…すっかり遅くなっちゃったね、ごめん」


「いいさ、今日の分の仕事は明日すればいい」


 リズはリリー以上に喜んで、メダイのペンダントをくれた。返したんじゃなくて、餞別にくれてやると言いはっていた。そして都会での作法や気を付けることなどをくどくどと言い聞かせた。一家のおかみさんまで、リズも寂しくなるわと言いながらお古のドレスなど渡してくれた。


「ありがたいな…私、ずっと、自分はこの村の鼻つまみ者だって思ってたのに」


 リリーは荷物を抱きしめながらそうつぶやいた。その力を抜くと、感情があふれてしまいそうだった。そんなリリーに、おじいちゃんは言った。


「それは思い違いだ。居場所っていうのは、自分で作るもんさ。お前が一生懸命、隣村まで歩いているのを見て、みんな見る目を改めたんだ。少しでも応援したいとな。わしらをそう思わせたんだから、お前はえらい」


 そういわれて、我慢していた涙がぽろりと落ちた。おじいちゃんは気が付かないふりで続けた。


「明日は、駅までわしが送っていこう」


「おじいちゃん…今まで、ありがとう」


 彼は口元に笑みを浮かべた。


「大した事はしとらん。それにお前、大変なのはこれからだろう」


「私…頑張るね」


 リリーは目をこすっておじいちゃんを見上げた。彼はうなずいて、リリーの背中を軽く叩いた。それで、十分だった。お互いの気持ちがわかった。


 リリーは明るい気持ちで前に向き直った。が…


「おじいちゃん、小屋の前に、誰かいる」


「ん? あれは…」


 日が落ちているので、よく顔が見えない。だけどその瞬間、声が聞こえた。


「…リリー、どこいってたの?」


 途方に暮れたような表情で、ユーナが小屋の前に立っていた。


「ユーナ、どうしたの」


「リリーを待ってたんだよ。リリー、今日から屋敷に戻って?お母様はもういないから」


 予想外の言葉に、リリーは耳を疑った。


「え?なんて?」


「お母様は今日から、療養のため引っ越したんだ」


「りょ、療養って…どこに」


「お城みたいな病院だよ。大丈夫、もう二度と戻ってこないから」


 リリーは混乱した。


「二度とって…そんな、どういう事?」


「言葉の通りだよ」


 なんでもない事のようにそう言うユーナに、リリーはふいに恐ろしさを感じた。


「何で…? ユーナは、それで平気なの? 自分のお母さんでしょ?」


「うん、だから屋敷に戻ろう? 一緒に夕ご飯にしようよ」


 ユーナはこちらへ来て、リリーの手をつかんだ。その目は嬉しそうに爛々と光っている。


(おかしい。どうしたんだ、この子)


 だいたいユーナとずっと離れているなんて事を、あの母様がおとなしく納得するはずがない。そこでリリーの背筋は冷たくなった。


「まさか、だまして連れていったの…? 母親を…」


 ユーナの目に、ちらりと影が差した。しかしそれを覆い隠すように彼は笑顔を浮かべた。


「あの人に、本当の事を言ってもむだだから。ぼくらはずっとそうしてきたんだよ。お芝居さ。リリーの好きなバレエと同じ」


 リリーはユーナの手を振り払って、彼の肩をつかんだ。


「ユーナ、どうしたの?! 何があったの、そんなこと言うなんて」 


 ユーナは首をかしげた。


「ねぇ早く行こうよ。やっとまた、一緒に暮らせるんだよ。リリーだって嬉しいでしょ?」


 それをまるで疑っていないその目に、リリーは恐れと焦りを感じた。


「坊ちゃん、屋敷に戻りなされ。明日、この子はこの村を出るのだから」


 おじいちゃんがそう言って、二人の間に入った。


「…は?」


 そういったきり、ユーナの動きは止まった。本当に人形のように、その顔から表情が抜け落ちた。3人の間に、張り詰めた空気が流れた。


「さぁ、暗いからわしが玄関まで送っていきましょう、坊ちゃん」


 おじいちゃんの言葉を無視して、ユーナがリリーを射るように見た。


「どういう事?」


 下を向いていたリリーは、意を決してユーナと向き合った。


「ペテルブルクのバレエ学校に行くの。試験に、受かったから」


 いつもくるくると無邪気に動くユーナの目が、今はただの暗い穴のようにリリーを見つめていた。


「黙っていてごめんなさい。だから私…明日には出発しなくちゃ、ならないの」



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