マーガレットの告白
「どうしたんだい?幽霊でも見たような顔をして。君が噂のサイクラス嬢、だろう?」
男は微笑んでリリーを見下ろしていた。若くはないが老いてもいない。上等のフロックコートに、絹の帽子。その下の顔はいかにも上流階級の道楽者らしく、余裕のある笑みを浮かべている。少し緩んだ顎に厚い唇。眠たげな切れ長の目は熱心にリリーを見つめていた。
「あ…あなたは」
「おや、この私を知らないのかね」
その時、ミス・レガートがこちらへ向かって走ってきた。彼女らしくない慌てぶりだ。
「大公様、その子らがどうかなさいましたか」
彼は悠然と微笑んで彼女を見た。
「いやいや、未来のバレリーナをチェックしようと思って今日は見に来たんだが」
ミス・レガートは頭を下げた。
「それは申し訳ありませんでした。今日はさんざんな舞台で」
「いいや、いいさ。ただ確かに、今日の踊りはいただけなかったね、君たち」
彼はリリーとマーガレットを見た。
「だが、今後が楽しみなことに変わりはない。特にリリー、君には光るものがあるよ。期待している」
彼は手品師のようにコートのポケットから花を取り出し、リリーの黒髪に挿した。
「さてタマラ、年度末の記念公演の事なんだがね。帝室劇場のコールド・バレエが人手不足らしい。陛下のためにも…」
そのまま彼はミス・レガートを伴って行ってしまった。
リリーは混乱して、傍らのハニーに聞いた。
「誰なのあの人、大公様って?」
「誰って…ダイギロフ大公よ。芸術協会の会長で…バレエ界の大パトロンよ」
あの夢が本当のことだとするならば、ローズという女の子は、彼に殺された。リリーはぶるっと身を震わせた。
「ちょっとどうしたの。会ったことでもあるの?」
「いいえ、今日が初対面よ…」
リリーは無意識に髪に飾られた花をむしりとった。
小さな野百合だった。
「マーガレット、入っていい?」
その日の夕刻、リリーは彼女の部屋を訪ねた。マーガレットは何をするでもなくベッドの上で膝を抱えている。
「ルームメイトは?」
「…どこか行ったわ。私といるのが嫌なんでしょうよ」
リリーは彼女の隣に腰かけた。
「何があったのか知りたいの。ハニーたちは話してくれないから。何を聞いてもあなたの力になると約束するわ、だから」
「だから話せって?あなたが私を見限ってハンナ達につかない保証なんてないわ。嫌よ」
「私は信用できない?」
マーガレットは泣きそうな声で言った。
「だれも私の言い分を信じてなんかくれないわ。あなただって」
リリーはふうと息をついた。
「言ったじゃない。私はあなたを悪人とは思ってないって。あなたが真実だというならそれを信じるわよ」
「じゃあハンナたちが悪人だというの?」
「ことはそう単純じゃないという気がするのよ。ただそもそも何が起こったのか知らないから、解決しようにもできなくて」
「解決?どういうこと。私を助けてくれるつもりなの?」
「そうよ。スポットライトだの食事だの靴だの…卑劣だわ。犯人を突き止めてやめさせるのよ。でないと公演に影響が出るわ。そんなの許せない。なんのために私はここに来たっていうの」
「だから犯人は人間じゃ…」
マーガレットにリリーはきっぱりと言った。
「幽霊だろうが人間だろうが、私が見つけ出してやめさせる」
そんなリリーを見て、マーガレットは観念したように肩を落とした。
「やるといったらあなた、本当にやりそうね…わかったわ」
「話してくれる?ローズのこと」
マーガレットは驚きもせず私を見た。
「そう、その名前、もう知ってたのね…」
―去年のことだったわ。そう、ちょうど夏あなたが入ってきたのと同じように、ローズも新入生として来た。あなたよりももっと田舎の出身だったわ。でも彼女は上手かった。それに天真爛漫な性格で。まるで男の子みたいに遠慮しない子だった。私は当然、彼女をよく思わなかった。彼女が憎らしくて、いろいろひどい事をしたわ。それで冬のある日、彼女が西の塔に入っていったのを見て、すかさずドアの鍵を閉めたの。とても寒い日だったから、閉じ込められて風邪でもひけばいいと思って。
それが…あんなことになるなんて。
彼女は、塔から落ちて死んだの。私は怖くなって、鍵をかけた事を正直に言ったわ。だけど誰も信じてくれなかった。ローズを突き落として、鍵をかけたのは私だろうって…。誓って、突き落としてなんていないわ。でもだからって、許されることじゃないわよね。私が鍵をかけなければ、ローズは落ちずに出てこれたかもしれない…
――彼女はまだ、私に怒っているのよ。
告白を終えたマーガレットは目を閉じた。一方リリーはあの夢の事を思い出していた。たしか、塔に入った時にドアから鍵のかかる音がした。するとあれはマーガレットの仕業だったのか。
「ねぇ、ローズがその塔に入る前に、他の人が入っていくのは見なかった?」
「ううん。ローズが入るところしか見てないわ。なんで?」
リリーを見るマーガレットの目は不安そうだった。リリーは彼女をまっすぐ見て言った。
「あなたの言い分、信じるわ。一応つじつまが合うもの」
「つじつま?どういうこと。何を知ってるの?」
少し迷ったが、リリーは白昼夢の事を話した。
「…これが本当のことという確証は一切ないんだけど、ただの夢とも思えなくて」
マーガレットは難しい顔をして黙り込んだ。
「…考えてもみなかったわ。大公様が…。でも何でかしら?たしかにあの人は色好みだけど、何で愛人だったローズを殺す必要が?」
「わからないわ…。別れ話がこじれた、って感じでもなかったし」
「彼女が大公様の指示に従わなかったのかしら。彼はよく私たちを引き抜いて、劇団に紹介したり客演の役をくれたりするのよ。顔が広くてコネがあるから」
「でもそれを断ったくらいで殺すなんてさすがにありえないんじゃない?」
「どうでもいい案件ならね。でも彼は帝室とも太いつながりがあるわ。そういった指示に逆らったりすれば、下手をすれば反逆罪よ」
なんだか話が大きくなってきた。帝室?反逆罪?
「真相は闇の中ね…。あなたに対する嫌がらせは、大公様とは直接関係のない話だろうし」
「そうね…」
「とにかく、そっちの犯人を見つけたいわ。マーガレット、食事はあの後どうなの?」
「ミルク飲むのやめたわ。そしたら確かに、体の調子がましになったわ」
ミルクは下級生が給仕することになっている。だけど毎回同じ子とは限らないし、いくらでもタイミングはあるだろう。そこから割り出すのは難しそうだ。それに、マーガレットが飲むのをやめたことに気が付いて、あちらももう止めているかもしれない。
「ロッカーの方がいいわね。あなたのロッカーに罠を張りましょう」
「罠?」
「シューズやなんかに細工しているんだから、犯人は誰も見ていないときにあなたのロッカーを開けているはず。その誰かが判明するようにする」
「どうやって?」
「うーん……」
本当は見張って犯行現場を押さえたいがそれは現実的に考えて難しい話だ。何か相手に印が残るようなものがあるといいのだが…。
「インク…じゃ弱いな。そうだ」
リリーの頭に、村にいたころ使っていた古い真っ黒なストーブが浮かんだ。石炭をくべるときにうっかり内蓋にふれると、手にべたべたの煤がつく。数日間は取れない頑固な汚れだった。
「よし、これでいこう」
翌日、ドキドキしながらリリーとマーガレットは授業に出てきたクラスメイト達の手を一人一人チェックした。




