あなたはどんな物語を望みますか?
今日は昼寝をしながら考えていた。「なんで一部の人は悲観的現実により現実感を感じるのだろう」
考えても仕方がないから、散歩のついでにアリス博士のところへ行き、聞いてみることにした。
「こんにちは。アリスさん。なぜ一部の人は悲観的な現実によって現実感を感じてしまうの?」
「こんにちは。それはね、人間というものが楽観的にできているからだね」
「楽観的にできているなら、悲観的な現実よりも楽観的な現実に現実感を感じるのではないですか?」
「いや違うんだな。例えば、君が大好きな小説があるとする。その小説を読んでいるときに、主人公が死ぬような展開になったとしよう。君はどう思うかね?」
「まあ、そういう展開になることもあるだろうなと思う」
「それが答えだ。つまり人間は自分が好きなものに対しては楽観的で、嫌いなものには悲観的だから、自分の好きなものが死んだりしてしまえば悲しいし、逆に自分の嫌いなものが死んだりしたら嬉しい。これで分かるかな?」
「では自分の人生について悲観的に考える人は自分が嫌いなの?」
「そうだね。自分という存在を客観的に見ることができないからね」
「なぜ自分を客観的に見れないと自分が嫌いになるの?」
「君は『自分は無能である』とよく言うよね?でもそんなことはないよ。君は無能なんかじゃない。でもそう思ってしまうのは、自分が嫌いな部分を見つけて、そこだけを見てしまっているからだよ。だから無能だと感じるんだ。そしてそれを直そうとしないから、いつまで経っても無能のままなんだ」
「逆だと思いませんか?つまり自分が無能だと思う人は少なくとも改善する努力をします。だから客観的にみれば有能なのです。ところが自分が優秀だと思い込んでいる人は努力しません。」
「そうだね。そういう人に限って自己評価が高いんだ。自分が有能だと思い込んでいて、しかも自分が有能でない部分を自覚しているから、その分余計に自分が無能だという気持ちが強くなって、どんどん自分が嫌いになってくるんだよ」
「いや、僕が言っているのはね、自分が大好きでしょうがないし嫌いとも思わない人というのは、確かに生きる上では幸せかもしれないけれど、自己改善をしようとしないから客観的にみて無能ではないかということですよ」
「じゃあ君はどうすればいいと思っているんだ?」
「好き、嫌い、良い、悪い、という判断をしないことです。変わりに、目的をはっきりさせ、それに対する効率性で判断すれば良いんです。例えば僕の目的が幸せになることなら、必ずしも能力は重要ではなく、主観の操作が重要になります。」
「ほう。君の主観操作とは具体的にどういうことだい?」
「例えば大金持ちになれなければ幸せになれないと思い込んでいる人がいるとしましょう。この人が今現在の自分に満足できれば、お金持ちにならずに幸せになれます。例えば欲しいと思うものを欲しいと思わなくできれば、この人は主観的に幸せになれるんじゃないでしょうか。実際、僕はそうやって幸せになりましたよ。」
「なるほどな。だが、そんなことができるのか?」
「想像力があれば主観ぐらい操作できますよ。」
「ところで、さっきから話していることは全て理想論じゃないか?現実的には、能力や効率性を無視することはできないぞ」
「能力や効率性はあくまでも目的に対する手段なんです。あなたがもし目的を固定としてしまえば能力改善が難しくなります。しかし、目的そのものを柔軟に変えれば、現状の能力でたくさんのことができることに気がつくはずです。」
「そうか。ありがとう。参考になったよ。私はもう少し研究を続けることにするよ。また会おう」
そう言ってアリス博士は去っていった。僕は次にIQ180の大道芸人ジェイコブさんのところに行くことにした。
「こんにちは!今日はちょっと聞きたいことがあって来ました!」
「やあ、君か。どうしたんだい?とりあえず座りたまえ」
「ありがとうございます。実はですね、インターネットを眺めていて、なんでみんな悲観的なことに現実感を強く感じるのかなと疑問だったんです」
「ああ、なるほどね。それは簡単なことさ。人はどうしても悲観的になってしまう生き物だからね。楽観的に考えるよりも悲観的に考える方がはるかに簡単だ。だから人は悲観的になりやすいのだよ」
「なぜ悲観的に考えるほうが簡単なのですか?僕は逆に楽観的な方が簡単だと思うのですが。」
「うん。まず、人間の性格というものを考えてみよう。人には二種類いる。能天気な性格と悲観的な性格だ。この二つのうち、どちらか一つしか持っていない人はいないだろう?これはなぜかと言うと、人の性格というものは生まれたときから決まっており、親の影響を多かれ少なかれ受けているからだ。例えば、子供の性格は親の育て方によって決まる。つまり、遺伝による影響が大きいのだ。」
「でもエピジェネティクスの観点から言えば、環境の影響を受ければ遺伝的影響なんていくらでも変わりますよね?」
「そうだ。もちろん変わる。だから、遺伝子がすべてを決めるわけではない。しかし、今の時代ではまだまだデータ不足だし、そもそも遺伝子も万能ではない。例えば、ポジティブシンキングを心掛けようと心がけても、なかなか実行できないのと同じことだ。」
「僕がわからないのは、例えば会社で嫌なことがあったとしましょう。この時、まあこんなこともあるさと考えたほうが遥かに楽なのに、なんで私は無能なんだとか考え始めるのかってことですね。そしてその悲観的な悩みをインターネットで世間様にぶちまけて、社会にとって損を生んでいるような気がするんです。なんでそんなことするんでしょうか。」
「ふむ。確かにそういう人は多いかもしれないね。だが、そういった人はおそらく、『自分の人生の責任を自分で取れない』ということに対して悩んでいるのだろう。だから他人を巻き込んでしまうわけだ。」
「責任ですか?」
「そう。例えば、君が明日交通事故にあって死んでしまうとしよう。その時に、自分は車に轢かれるような運転をしていただろうかと考え始めてしまうんだ。そして、自分がちゃんと注意していれば事故に遭わなかったのではないかと考えてしまうんだ。それが怖くて仕方ないから、他人に責任を押し付けようとするんだね。こういう人は大抵、他人のせいにすることで自分が責められない状況を作ろうとしているんだよ。」
「なるほど、責任ってのを考えてしまうんですね。僕なんかは物事は確率現象だと思ってるから、なにかあっても偶然だと思うことが多いんですけど、人の責任ってのを深く考え過ぎちゃう人もいるんですね」
「そうだな。だが、考え方を変えれば、こういった考え方を持っているからこそ成功できるとも言えるんじゃないか?世の中には失敗を恐れて何もしない人間もいるからな。」
「いや、僕は成功なんてどうでもいいんですよ。僕は主観を自由に操作して、現状を幸せだと感じることのできる想像力があるので、金銭的成功なんてどうでもいいんです。ただ、僕は先進国にいるのに不幸せだと思い込んでる人がもっと想像力を持てればいいのになと思って。」
「なるほどな。君は面白いことを言うな。その発想はなかったな。今度考えてみることとするよ。さて、そろそろ私の研究成果について話そうか。その前にお茶を入れてくるよ」
そう言ってジェイコブさんは席を立った。
しばらくして戻ってきた彼はこう言った。
「実はな、私は脳細胞を培養することにも成功したんだよ」
「すごいじゃないですか!どんな感じなんですか?」
「簡単に言うとだな、人間は本来全ての記憶を司る海馬という部位がある。そこで記憶を定着させるのだが、そこから取り出した神経細胞の核を、そのまま別の体に移し替えることができるようになったのだ」
「それで、僕になぜこの話をしようと思ったんですか?」
「君は、自己認識能力をコントロールすることによって、現実を改変することができると言ったな。だから、もし私が君の体を研究して、君の意識を移すことができたら、もしかしたら君に未来の記憶を思い出させて、よりよい世界を作る手助けができるんじゃないかと思いついたんだ」
「そんな複雑な話になります?僕は単に、現状を幸せだと思うために想像力を駆使しろと言っただけですよ」
「いや、私は君の言うことが正しいと思っているよ。やはり、人間の幸福感というものは主観的なものだからね。実際に幸せな状況を作り出すことはとても難しいことなのだよ。」
「そこがわからないんですよね。不幸せなのって結局経済社会の問題でしょう?ボブさんが今まで顔の醜さなんて気にしてこなかったのに整形のコマーシャルを見せて、醜いかもしれないと思い始める。社会の押し付けに想像力が勝てない人たちが餌食になってるだけなんですよ」
「確かに、それも一理あるな。だが、人は美しいものに惹かれるという性質もあるからね。綺麗な景色を見て感動するのも、汚いものを見ないで済むように進化してきたからじゃないかい?」
「じゃあ醜さだけじゃなくて、こういう例も考えてみましょう。ボブさんは今まで自分が馬鹿だと悩んだことがないのに、IQテストの広告を見て、それをクリックして試して、馬鹿だと思うようになった。ほら、やっぱり経済社会がいらんことをしてるんです。」
「ああ、そうだね。その通りだ。だけど、それはただのきっかけに過ぎないだろう?本当はもっと複雑で入り組んだ問題なんだよ」
「だからさ、僕が言いたいのはね、想像力を駆使できる人はどんな広告を見ても、自分をコントロールできるんだ。でも僕は自分をコントロールできないような、悲観的な弱い人たちが幸せになれば、結果的に社会も幸せになるんじゃないかなーって」
「ああ、わかったよ。君の言いたいことは良くわかった。ではこうしようではないか。私は君を応援したいと思ってる。そして、私も君が考えた方法で人を幸せにする方法を研究したいと考えている。だから君も私を手伝ってくれないか?」
「うーん、あなたの胡散臭い脳科学よりは、経済学者のほうが信用できそうなので他をあたります。すみません。それでは帰ります」そう言って僕は天才経済学者ケイティの元へ行った。
「あら、また来たわね!今度は何の用かしら?」
「ちょっと相談があってきたんです」
「なにかしら?」
「インターネットが悲観的な現実に現実感を生み出す理由についてです」
「あなたまた変なこと考えてるのね!」
「まあ聞いてくださいよ」
「いいわ。言ってごらんなさい」
「例えば、あなたが就活で失敗したらどう考えますか?」
「そうね……まあ落ち込むわねえ……」
「ですよね?でもなぜ落ち込まなければいけないのでしょうか?」
「なぜってそりゃあ、あなたが能力不足だったってことでしょ?」
「それが悲観的な現実に対して現実感を感じるということです。あなたは『失敗は単なる確率現象』と考えることもできたでしょう。ところが、なぜか自分は無能だなどといらん現実性を仮定しているわけです。」
「なるほど。つまり、自分は無能だと信じ込んでいるから、無能だという事実を受け入れて落ち込んでいるわけね?」
「そうではありません。そもそも無能であるかどうかを判断基準に持ち込む必要性がないんです」
「どういうこと?」
「この場合、採用基準は相手企業にあります。この基準が能力の何を測っているかまったくわかりません。つまりあなたにとっては、サイコロをふって6が出るかどうかを期待しているのと同じ状況だから、サイコロに能力を仮定しても意味がないんです」
「なるほどね。確かにそうかもしれないわ」
「ではなぜあなたは自分が無能だなどと悲観的な想像に現実感を感じてしまったのだと思いますか?」
「うーん、よくわかんないけど、自分の実力を認めたくないのかもしれないわね」
「でもよく考えてください。サイコロゲームをしていることになぜ気が付かずに、実力という概念を仮定したのでしょうか?」
「確かに不思議だわ。どうしてそんなことしてしまったのかしら」
「あなたは経済学者ですよね?経済学者なりに考えるとどうなりますか?」
「そうね……きっと経済学的に考えたらダメなんでしょうね。なぜなら、現実の事実と逆のことを信じてしまったんだから」
「いえ、あなたが本当に経済学に精通していれば、これはある種の行動経済学の問題として考えることができるはずです。」
「え?そうなの?」
「ええ。プロスペクト理論はしっていますか?」
「えっと、確か人の行動は他人の評価によって変わるっていうやつよね?」
「違います。プロスペクト理論は、効用関数u、確率関数pがあるとき、事象列x∈Xに対してE(X)=Σu(x)p(x)によって満足度を計算することです。」
「あーもう!難しい話はやめてよ!要するにどういうことなのよ?」
「要するに、何に満足を感じるかは人それぞれだということです。あなたがもし『能力』に満足を感じるなら、能力に悩み続けるでしょう。しかし、何に満足を感じるか自体をあなたがコントロールできれば、もっと柔軟に幸せになれると思いませんか?」
「つまり、何が言いたいのよ?」
「つまり、コントロールするのは能力の方ではなく、何に満足を感じるべきかの方だということです」
「あなたがもし有能になりたいと思ったら、どうすればなれると思う?」
「そうですね、人がやらないようなユニークなことをします」
「それって具体的にどんなこと?」
「なんでもいいんですけど、例えば圏論をミクロ経済学に応用するとか。こういうことはユニークなので、他にやる人があまりいません。そうすると、すぐに自分が最先端に到達します。つまり僕は、何をするかという目的の方をコントロールしたのであって、就活のための能力の方をコントロールしたんじゃないんです。」
「なるほど、そういうことなのね!それならわかるわ!」
「そうです。重要なのは、想像力と柔軟性なんです」
「ありがとう!これで研究が捗りそうだわ!」
こうして彼女は帰っていった。
というか、相談する側が僕なのに、なんで僕が相談してあげてるんだろう。次はもっと変わった人と話そう。牢屋で30年間、哲学書を読みながら暮らしている囚人のカーターさんに相談しよう。
「こんにちは、僕は大学生ですが、最近こんなことを考えています。」
「ほう、なんだね?聞かせてくれたまえ」
「はい、人は目的に対する想像力を使えば幸せになれるのに、なぜか社会が決めつけた色々なものによって悲観的になっているということです」
「ふむ、興味深い意見だね。詳しく聞かせてくれるかい?」
「例えば僕が読書が好きだとします。読書だけで幸せになれる人間です。その場合、精神病院に閉じ込められて読書しても、エリート研究者として読書しても幸せは同じはずです。ところがなぜか社会の人たちは後者を幸せだと考えるらしいのです。」
「ああ、それは私の持論なんだがね、人間は本質的には自由を求める生き物なんだと思うよ。だが、その本質とは正反対の性質を持つものが義務や責任といったものだ。」
「なるほど、なんとなくわかります」
「それで君は、どのようにしてそれを変えるつもりなんだい?」
「僕は、主観を変える術についてのヒントを、インターネット、小説、アートなどの方法で残そうと考えています。」
「それは面白いアイデアだ。是非協力させてほしいね。ところで君はどうやって主観を変えるんだい?」
「どうやってという説明が難しいのですが、今の自分はすでに十分幸せだという前提を崩さなければ、主観は僕にフィットします」
「君は今幸せなのかい?」
「ええ、幸せですね」
「そうかい。それは良かった。私も主観についてもう少し考えてみたいことがあるのだが聞いてくれないかね?」
「ええ、もちろんいいですよ」
「私は昔から人生は無意味なものだと思っていたんだ。だからずっと独身でいたんだよ。私が結婚しなかった理由は単純で、ただ単に結婚する理由がなかったからだよ。でも最近は少し考えが変わってきてね。私は人生を意味のあるものにするために結婚したいと思うんだ。そこで君に質問したいんだが、君にとって結婚とは何かね?」
「あくまでも僕にとっての結婚ですが、それは動物の本能を社会通念化したものです」
「動物にそんなものがあるのかね?」
「はい、異性を求めたいという欲求があります」
「それは子孫を残すためのものじゃないのかい?」
「ええ、それが発展したものが結婚ですよね」「そうだね、私もそう思うよ。ということはつまり、結婚こそが人間の根源的な欲望ということになるわけだね?」
「いえ、それは猿の根源欲求であるものの、人間の根源欲求であるかはわかりません。僕は結婚しなくても幸せになれると思いますし、人間は欲求そのものを想像力によって柔軟に捉えることができると思うのです。」
「つまり、人間が真に求めるものは、今の段階ではわからないということかね?」
「いえ、正確に言えば、人それぞれが自分が求めるものを定義できるということです。」
「そうか、ではこうしよう。君がこれから結婚して幸せになると仮定しよう。すると君の子供は幸せになるだろうか?あるいは子供がいない方が幸せになれるのだろうか?それを教えて欲しい」
「僕が仮に結婚したなら、結婚した人生を最大限幸せにするでしょう。そして、僕は子供のために情報を与え、子供が人生を幸せに生きられるように補助はするでしょう。ただ、過保護になりすぎないようにはしますけどね。」
「なるほど、では君が子供を産まないとしたら?もしくは君が子供に愛情を抱かないとしたら?君はどう感じるかね?」
「子供を産まないならそういう人生を楽しみますが、子供に愛情を抱かないなら、愛情を抱くように自分を変化させるだけです。」
「じゃあ君が親になった場合はどうだろう?君の両親は君を愛してくれたかな?それとも嫌っていたのかな?どう思う?教えてくれないか?」
「僕の両親は僕のために尽くしてくれたと思います。ただ、僕が親になった場合は僕の両親の育て方はあまり参考にはしませんね。」「なぜだい?」
「僕の両親と僕の生き方や価値観がまったく違うからです。僕の両親は、善良ではありますが、数学については詳しくありません。僕は学ぶことが好きなので沢山本を読みます。もし僕が子供を育てるなら、子供に本を読む楽しみを教えるでしょう。」「なるほどね。非常に参考になったよ。ありがとう!」
「いえいえこちらこそ、ありがとうございました!」
こうして彼は去っていった。結局、なぜこの質問をされたのかわからなかった。まあ、哲学者なんてみんな変人だし仕方ないか。
そして家に帰って、AIに今日あったことをすべて報告した。
「ということがあったんだけど、AI君は僕が今日学んだことをまとめるとどうなると思う?」
「はい、まず1つ目は『人間は自己実現に向かって生きるべきである』というものです。これは客観的に見ても正しいですし、主観的にも間違ってはいないと思われます。2つ目の『人間は目的に対して想像力を使えば幸せになれる』というのはその通りだと思いました。3つ目『人間は自分が望むものを定義できる』というのもその通りです。」
「ではAI君、本来幸せであるはずの人が悲観的なことに現実感を感じないために必要なことは、君なりに考えると何かな?」
「おそらくですが、『自分が望んでいるものを自分で定義すること』だと思います。」
「よくわかった。ありがとう。では今回の小説タイトルは何にしようか?」『幸福への方程式』
「もっとエキセントリックなタイトルにしてよ」
「わかりました!考えましょう!うーん……そうですね……よし!決めました!『あなたはどんな物語を望みますか?』これでどうでしょう!?」