閑話16:ウォルド
「うぃーす、今日も来てるな。スクウォーズ財務官」
「これは、ミルトアディスさん」
第一皇子殿下不在がひと月すぎた左翼棟の端で、宮中警護のミルトアディスさんが気軽に声をかけて来る。
私は一人留守を任されており、青の間の一画に置かせてもらった机に向かっていた。
「ここ遠いでしょ。良く来るね。しかも昼間でも静かすぎてちょっと不気味」
「今さら私の立場を知らぬわけでもないでしょう。こちらのほうが静かでいいのです」
財務部で冷遇と冷やかしを受けるくらいなら、一人静かにいるほうがずっといい。
この宮中警護の長官の懐刀であるミルトアディスさんは、私のように長居はしないが変化はないかと毎日確認に来る。
聞けば本来、正規で第一皇子殿下の居住区に配備されている宮中警護だという。
その割りにトトスさんのように仕事をしている姿を見たことはないし、第一皇子殿下とあまり深入りしたくはない話をしているのを耳にする。
「いや、ほんとほんと。一年で辞めると思ってたのに。殿下もいなくなってまだやるってどういう風の吹き回し?」
金髪を払って適当に座るミルトアディスさんは、粗野に見えてあまり音が立たないお上品さがある。
侯爵ほどの高位の方の血縁であるとは聞くが、こういう所は育ちの良さかもしれない。
私などエルフの特徴だけしか継がないほど血が薄れ、知識層と呼ばれる貴族の下の身分の生まれ。
必死に勉強して良い就職先を見つけたところが、左遷でもう嫌になっていたくらいだ。
「錬金術が、面白くてですかね」
「マジで?」
そんな正気を疑うような顔をして聞かないでほしい。
「魔法の劣化版だし、大したことできないし。あの殿下もすごい魔法の教師に鍛えられた腕隠すためにやってるんでしょ?」
「いえ、確かに魔法の才をお持ちですが、それ以上に錬金術も相応にできる方です。…………何より、できるとできないの溝は深いのですよ。少しでもできるならば、全くできないより大きな変化です」
私は思わぬ評価につい熱く語ってしまう。
人間には珍しくないが、エルフの特徴を持って生まれた私は家族も親類も魔法を使えるという状況の中で育った。
そのため大抵の者は、私の見た目から使えると思い込む。
そして使えないと知った時にはあからさまに落胆したり、嘲ったりするのだ。
「あぁ、まぁ、技術として珍しいのはわかるさ。俺も第一皇子殿下とはそれなりの付き合いだけど、面白さってとこは全然わかんないんだよ。何がいいの?」
殿下が発ってからひと月、左翼で顔を合わせてこうして益体もなく話すのが日課になってきている。
「だいたいさ、ここにある本の内容意味わかる? 俺ルキウサリアから送られてくる本には目を通さなきゃいけないんだけど、魔法体系だけでもう無理。お腹いっぱい」
不真面目そうに言って、本当にすべてに目を通してるのは知っている。
第一皇子殿下がそう言っていたし、私が殿下に言いつけられて本を増やすとすぐに気づくのだ。
あの第一皇子殿下につけられるだけの人材だということだろう。
生まれの血筋が低すぎて軽んじられる皇帝の、より低い血筋で生まれた第一皇子。
才能があっても疎まれる、知恵があっても廃される。
そう生まれたというだけで、その才覚をひた隠しにしつつ、実は大貴族の目を掻い潜っている方には、目端が利く者でなければ欺かれるだけなのだろう。
「スクウォーズ財務官は殿下から何か面白いこと聞いてない? 案外悪戯好きだからさ。何か仕込んで行ってると思うんだよね」
「さて、私は錬金術に興味があるようなら、器具を使ってもいいとは言われていますが。仕込みというのも、正式な派兵ですし今回危険はないのでは?」
殿下は私とこのミルトアディスさんを近づけることはしなかった。
言動から察するに錬金術関連の秘密は明かしておらず、きっとディンク酒が誰の考案かもしらないのだろう。
逆に政治的な面は私より知っていそうだけれど、同時に完全な味方でもない。
それは、私も同じだ。
暗殺の可能性や帰還の困難は、知らないふりをして水を向ける。
「いやいや、そんな大それたもんじゃないって。俺を驚かす仕掛けみたいなさ。エメラルドの間だっけ? あっち訳のわからない物多すぎて、逆に確認もできないんだよね。出かけに何かしてたとか聞いてない?」
「そこは私も同じです。使い方を教えられた一部しかわかりません。そちらは目録があるようですし、一度確かめてみてはどうです?」
とぼける私に気づいているかはわからないが、何やら疲れたように息を吐く。
「もうね、目録読んでもわからないんだって。ルキウサリアから送られてきたままの目録書き写したっていうでしょ。家具なんかも妃殿下がきっちり目録作って送ったからって、逆にきちんと目録揃いすぎててさ」
「あぁ、家具や小物の目録なら私が写しましたね。殿下の歳費で増やした物品の目録もありましたから…………。新たに作ったのは、服くらいでした」
逆に目録がない物のほうが少ない。
それは翻って、殿下のこの部屋に恐ろしいほど物がなかったことを示す。
「まぁ、不自然なほど物のない部屋だったな」
思い出すように肯定したミルトアディスさんは、窓辺に置いてあるビーカーに気づいて目を剥いた。
「…………!? あ、あれ、あれさぁ、何?」
「あれ? あぁ、塩の結晶を作るという実験の途中ですね。何が悪いのか、殿下が残された実験のやり方どおりには結晶ができてくれないんです」
「塩? あれ、塩水? はぁ? 何やってんだよ…………」
何やら納得いかない様子で、ミルトアディスさんはぼやく。
「さて、今日もこともなしってことで、俺は戻りますわ」
「はい、ご苦労様です」
少しの世間話を続けた後、妙に気分が落ち込んだ様子でミルトアディスさんは帰って行った。
あとは一人静かに財務官としての仕事をする。
と言ってもご本人がいないため、決められていたものを定期購入、それとは別に商人を当たって本などを探すくらいだ。
これはいつ入るかは運なので、入った時に処理を行い殿下への報告を作成し送っていた。
「さて、今日も使わせてもらいましょう」
私はやることを終えて、青の間の図書室で一冊の本を手に取る。
開くと間に、殿下に書いていただいたエッセンスを作るための手順解説があった。
エメラルドの間に行って、必要な器具と材料を作業台へ。
手順を確認してエッセンス作りを始める。
「できたら、点火実験。確認。…………よし」
私の手から火が生まれる。
それだけで心躍った。
一生縁がないものと思っていたのに、私は魔法を再現できている。
小さな火花は散っては消えるだけ、役立つとは言えない。
それでも私は知っている。
この魔法の劣化だと言われる錬金術も、高めれば魔法では難しい氷の生成や電気の発生もできるのだと。
「あぁ、早くやってみたい。けれど、やはり私ではまだ安定的な品質は難しい」
殿下が趣味として熱中する気持ちがわかる。
同時に私ではまだまだ未熟でそこまでは至らない。
「そう、まだまだ…………足元にも及ばない」
言って首を巡らせた先には水晶球があった。
台座に乗せられ飾りにしても武骨な造り。
見ただけでは何かわかるはずもないそれに、私もまだ性能は半信半疑だ。
それでも殿下が作られた錬金術の結晶であり、元は九尾と讃えられた魔法使いが考案した物。
そしてそんな魔法使いさえ舌を巻く、技術と理論発想で高めた逸品だ。
「劣化だなんてとんでもない。こんなに可能性に満ちている」
魔法の使えない私が魔法を再現できた。
魔法では至れなかった安定を錬金術なら昇華できた。
できればあの水晶を使うことはないほうがいい。
それほどの危機的状況はないほうがいい。
けれど思ってしまう、使ってみたいと。
驚くべき技術の一端を担ってみたいと。
「あぁ、こんな気分はいったいいつぶりだろう。まるで、童心に帰ったようだ」
主不在の居住区ではしゃぐ自分が、少し気恥ずかしい。
けれど同時に感謝をいつでも胸の内で繰り返す。
殿下が一年はと引き留めてくださったこと、錬金術とは何かを見せてくださったことに。
私は今、左遷されたことさえ感謝してもいいと思えている。
「…………悪意の中、少しは役立ってくれるといいんですが」
私は左遷時に軍への再就職を斡旋しようとしてくれた親類の顔を思い描いていた。
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