73話:北の兵乱3
弟たちを送る名目で、僕は未だに妃殿下の招き以外だと歓迎されない宮殿本館に赴いた。
会議後でまだ人がいたけど、それでも顔を合わせたら父は悟ったような表情を浮かべる。
「陛下、少々お時間よろしいですか?」
「…………聞いたか?」
「ヘルコフが」
短く答えると、父は頷いて人払いをし、おかっぱだけが残る。
「兄上」
「またね、テリー。ワーネルとフェルをよろしく」
何か言いたげな弟には悪いけど、僕は笑顔で去るように促した。
テリーたちと別れて、僕は父と書斎らしき部屋へと移動する。
ここは初めて来た。
いつも会うのはサロンで、他はテリーの練習場くらいしか行ってない。
「イクト、ヘルコフを呼んでくれないか? 意見が聞きたい」
父は僕を座らせてイクトを左翼へ向かわせた。
ここなら周辺に父の警護がいるし、イクトが離れても平気だと判断したようだ。
ただ出しなにイクトがおかっぱに何か耳うちし、途端におかっぱが嫌そうな顔をする。
そしてそれを僕と父が見ていた。
「あいつは腕が確かな分ちょっと最終的に力尽くでどうにかすればいいと思ってる節があるからな」
「基本的に有言実行だから、何か脅されたなら変に抵抗しないほうがいいよ」
「あなた方のその信頼とは違う確信はなんですか?」
おかっぱは苦い顔で批判を質問に変えて訴えつつ、棚付近に置かれていた資料を取ると僕に見えるよう置く。
父とはテーブルを挟んでソファで対面する形で向かい合った。
「ロムルーシ側から先に報せがもたらされた。地方の独断で押すつもりらしいが、派兵に関してはこちらに負担してほしい旨が婉曲に書かれている」
「軍を動かすと、関わる人数分の出費が必要だそうですね。ロムルーシは自国の主権を保持するよりも出費を気にするのですか?」
「…………もしや、軍事についてヘルコフから?」
「えぇ、計算が得意だというので何故かと聞いたら、兵は数と金だと言われたので。それから軍という機構の維持管理について教わりました」
なんでか陛下とおかっぱが揃って天井を見る。
僕も見るけど何もない、いや、宮殿は天井にもフレスコ画とかあるから絵はあった。
「陛下、もう一度家庭教師たちが何を教えたか聞き取りをし直すべきかと」
「これは俺の聞き方が悪かったのか? ヘルコフは剣も振れない室内で教えることなんてほとんどなかったと言っていたのに」
「基本的にはみんなの体験談を聞いてました。軍事関係については、歴史上の戦いを自分だったらどう勝利に導いたかという話などを聞いているのがほとんどですよ」
ヘルコフの言うことは間違いじゃないし、毎日の会話の中でも授業でもそういう話はする。
それにウェアレルが教えてくれている時に、いつの間にかヘルコフやイクトが加わることも良くあるから、本人が教えてる内容ではないという認識かもしれない。
たぶん忙しい陛下は一から聞いていられないと思うし、本人たちも細かく覚えてないんじゃないかな。
今はウォルドから算数とこの国のお金にまつわる制度の概要、ノマリオラからは宮殿の使用人をしてる間に知った貴族の名前と来歴、血縁関係や利害関係を習っている。
あとノマリオラは伯爵令嬢だから教養面も親身になって教えてくれるお蔭で、ハーティがいなくなって以来ほぼ触らなかったピアノレッスンが復活した。
けどこれは僕の独断だから父は知らない。
「先に言っておきますが、僕はロムルーシに赴いてもいいと思っています」
途端に父の顔が引きつる。
そのあとは頭を抱えるように俯いてしまった。
「わざわざ来たから、もしかしてとは思っていたが…………」
「第一皇子、陛下の相手をしていると進まないので、そう判断した理由をどうぞ」
おかっぱが案外雑に皇帝を無視するように言う。
ただ言いながら、たぶん会議の資料だろう部外秘な書類をテーブルに出した。
出された周辺地図は詳細に町や道の位置が書かれており、問題となった場所の名前もあった。
ロムルーシ側の町の名前はワービリ、帝国側の町がカルウ。
どちらも行くには面倒な山間の高地を登っていくしか道がない。
「なるほど。領地として主張しても旨味は少なく、また国が兵を出すほどの要地でもない。ましてや兵を出しての出費が痛いのは目に見えていると」
山越えに水の確保も難しいとなれば、兵のみならず物資も余計に必要だ。
馬や荷運びが増え、さらに必要物資も増えるとなると、軍事費は跳ねあがる。
「どう考えても負担ばかりが倍々に増えて行きますね」
「さらに六十年前にも兵を出す騒ぎを起こしており、その時の報告書があります」
おかっぱが出すのは新しい紙だから、六十年前の報告書の写しだろう。
そこには、ロムルーシにも帝国にも権威として重きを置かない意固地な地域性が書かれていた。
派遣された将軍は戦闘に横やりを入れて力尽くで止め、その後に両者の代表を集めての講和を取りつけてるが、実に七年の期間を要している。
「長すぎじゃない? え、争い自体は到着してすぐに止めたんだよね?」
「根が深く、どちらも退かないままで、最終的にカルウ側の陣頭指揮を執っていた人物が病に倒れたために、係争地をワービリが取り治まりました」
「それ、治まってないよね? おじいちゃんくらいの代のしこりを孫世代が混ぜ返してるよね? これ、解決策用意して行かないと帰れないのか」
他にも資料を見ると、係争地である場所を獣人たちは神聖視しているから説得は無理だと報告されていた。
しかも六十年前よりも以前から何度も同じような争いをしているという現地民の話もある。
「どちらが取っても問題なんだね。だからって国が管理するには遠すぎるし便も悪い。ロムルーシももう面倒がって手を出さないけど、気遣いを忘れてもいけないと。これ、兵は必要最低限、交渉事が得意な者の中でも妥協を引き出せる者を同行しないといけないかな?」
僕は資料とにらめっこを始める。
そこにイクトがヘルコフを連れて戻った。
二人は入ってドア閉め、父とおかっぱの顔を見たあとに、揃って僕を見る。
「殿下、何しました?」
「何も? まだ資料を見ていただけだよ」
「つまり情報を見ただけで問題点を挙げていたんですね」
イクトが言うと、父がソファに倒れ込むように身を預けるといういつにないラフさを見せた。
「…………これは普通か?」
「まだ何も行動に出てないんで、普通よりも大人しいでしょうな」
ヘルコフの答えに父は身を起こす。
「何を教えているんだ。軍事についてどれだけ…………」
「言っておきますが、俺は自分の経験以上のことを教えられるほど達者じゃない。非凡なのは殿下の理解力と応用力ですよ」
「僕、まだ一般的なことしか言ってないよ?」
異議を唱えたけれど、イクトが首を横に振った。
「アーシャ殿下、今動くほうが有利を取れると睨んで即決する時点で一般的ではありません。また宮殿を出たことのない方が、問題点に気づけるだけ非凡です」
「…………つまり、僕は喋らないほうがいいんだね。だったらここで方針を固めて陛下に人事を握ってもらわないと。それにどういう解決を目指すかをきちんと伝えなきゃ」
父はまた天井を仰いで息を吐きだすと、切り替えるように僕に向き直る。
「よし、俺の息子が天才なのはわかった。わかってたつもりだが、だいぶ想定より上なのもわかった。まずアーシャの意見を聞こう。どうして出兵を受けるべきだと思った?」
父は真剣な顔を作ると、何やら不安そうに手を握り合わせていた。
いや、ここは話を聞いてもらえるだけいいと思おう。
僕も姿勢を正して、まずヘルコフに言った今動くべきである理由と、下手すると陛下が不利になることを告げた。
何か言いかけた父は、けれど何も言わず続きを促す。
「ただこうして資料を見る限り、場合によっては僕を二度と帝都に戻らせる気がないとも思えます」
「それは…………では、出兵はやめるか?」
「いいえ、今やるべきです。そうしないと、テリーの代になって悩むことになります。それに今ロムルーシ側は丸投げを表明している。ここで確約を取って動きやすくしましょう。いっそ後顧の憂いを断つためにも、ワービリも帝国領に編纂し直す手続きをするよう交渉すべきかもしれません」
平和はそれだけ変化もなく、歴史に残せる功績というものを得にくい。
ここで極小とは言え領地が増えるのは、父の皇帝としての名目上の功績とできる。
困るのは、公爵たちがあくまで帝国に対しては忠誠を持っていることだ。
公爵たちと対立して、権力からの排除を目論んだって結果的には帝国の忠臣を失う。
だからこそ父の排除を狙うことはあっても、皇帝権力の縮小は狙わないから、上手くすれば利益になるところもある。
「問題点は三つ。ワービリとカルウの問題の解決方法。次にロムルーシからの承諾。そして公爵たちからいかに良い条件を引き出し、こちらの条件を呑ませるか。二つめと三つめは陛下に動いていただくほかありません。ですから、最初の問題である解決方法は僕のほうで考えさせていただきます」
一生懸命考えて訴えたんだけど、何故かみんなして天井を仰いでしまったのだった。
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