閑話121:アルタ
私はかつてお嬢さまと言われて育った。
けれどそれも昔の話。
今私を表す言葉は淀みの魔法使い、もしくはハリオラータだ。
大して面白くもない成り行きだけれど、そのことになんの疑問も不満もない。
なくなった過去に囚われるほど、人間らしさは残ってなかった。
けれど執着はある。
それを向けるのは同じハリオラータの淀みの魔法使いだけ。
他に淀みの魔法使いがいたら、もしかしたら興味を持てたかもしれないけど、今のところそんな者には会ったことがなかった。
「はぁ、こんなおいしいお菓子が食べられないなんて、みんな可哀想。ねぇ、そうは思わない、アルタ?」
甘く溜め息を吐くのはマギナ。
同じハリオラータで、クトルくらいには人間性を偽装できる器用さがある。
柔らかく微笑みながら、最後のチョコチップクッキーなるものを指先で摘まんだ。
それは帝国第一皇子からいただいた、珍しくも美味しい菓子。
報酬であり、餌であり、ここに繋ぐ枷でもある。
他では手に入らない、他では作れない、他では与えられない甘い逸品。
「本気で言っている?」
「えぇ、もちろん」
明るく笑顔でマギナは応じる。
私のよく聞こえる耳に、マギナの言葉に宿る虚偽は聞き取れない。
心臓の音も何一つ嘘偽りなく、そう思っているのだと告げていた。
けれど、すでにマギナは美味しいお菓子を食べてしまった後。
残す気なんて毛頭ないのに、本気で憐れんで、本気で悲しむ。
けれど同時に、本気でどうでもよく、本気で自分勝手なのだ。
それがマギナの中では矛盾なく並びたち、だからここまで澄んだ音で嘘を吐き、微笑んでいる。
「マギナは本当に面白いな」
「うふふ、ありがとう」
私は今、きっと実験動物でも見る目をしている。
けれどマギナは心底嬉しそうに笑う。
そこにあるのは、自分のために吐かれる言葉ではないからこその純粋さ。
マギナが吐く言葉は他人のためのもの。
相手が何を望むか、満たされるかを考えて、その上で心の内は行動に出る。
自分勝手で自分本位で、自分を守るためだけに動く。
「知り得たと思っても、また新たに考察すべき切り口が見える。やはり淀みの魔法使いは面白い」
「まぁ、それじゃあ飽きられないように私、頑張っちゃう」
「いや、余計なことはしなくていい。ただマギナはあるがままでいてくれ。あぁ、けれど質問には答えてほしいな」
「おしゃべりね、いいわよ」
私の発言の真意なんて気にしない、自分のいいように解釈して、そのくせ相手が望む返答を口にする。
それはマギナの自衛だ。
傷つけられた子供の、大人に媚びてより強い者の庇護を求める防衛本能。
そんな子供は珍しくない。
私も実験に使った子供たちの行動を、記録観察する中で知った。
拙い経験の中で、誰かに褒められた記憶を頼りに、自らの容姿や美点を使って媚びを売り生き残ろうと足掻くのだ。
「マギナは第一皇子に対して、初対面と印象が変わったことはあるか?」
「皇子さま? 素敵な方よね。頭がいいし、お菓子は美味しいし。それに全く怒らなくてとても優しい方。最初に会ったのはアルタたちも捕まったあとだったから、その時から優しい方だと思っていたわ」
皇子に対して、庇護を求める対象として見ている様子は今までもあった。
その上で、思わぬ認識の齟齬に気づく。
マギナはともかく、第一皇子からすれば初めて会ったのは私たちが捕まった後ではない。
捕まるその時に、あの皇子はあの場にいた。
足音や息遣い、何より第一皇子の側にあるだろう、金色の大樹の美しい魔法の音。
私も姿は見ていないけれど、音で確実にいたことはわかっている。
そうなると、あのマギナを囮にして置いたのは第一皇子だ。
実際私たちは釣り出されたのだから、頭が良く菓子が美味いのは事実としても、優しいとは言えないだろう。
「マギナは、皇子が優しくなかったらどうする?」
「優しくなくても、あの皇子さまは私が怪我するのはきっと嫌がるもの。素敵な方よ」
マギナは揺るがない。
確かにあの皇子には、荒々しいことを避ける傾向がある。
どころか、犯罪者で罪人の私たちが怪我するようなことを嫌がりさえした。
そんな皇子が、心中で私たち淀みの魔法使いをどう理解している、それは大いに関心がある。
私は淀みの魔法使いという存在に執着している。
だからこそハリオラータに所属し、知りたい、わかりたい、理解したいという欲を満たす。
その上で、私が生み出したいのだ、淀みの魔法使いを。
「あの皇子ならば、育ってしまった状態でも、淀みに浸らせれば…………」
「あら、駄目よ」
思わず漏れた言葉に、マギナが可愛らしく頬を膨らませて見せる。
「そうしたら皇子さまでいられなくなって、お菓子も作ってくれなくなってしまうわ」
笑えるほどに自分本位な言葉は、珍しいマギナの本音だ。
漏らしてしまうほどに、嫌だったのだろう。
「あぁ、私もあの方の不興を買うことはしない。それに十四歳を超えると、どうしても死ぬ。大人が生きられないのと同じになってしまう」
「まぁ、けれどアルタが使った子供は、誰も生き残れなかったじゃない」
「それは結果論だ。見込みがなく途中で切り上げた子供たちは育った末に、仕事を失敗して処分されただけ。淀みとはなんの関係もない」
私は淀みの魔法使いを生み出したい。
けれど成功例はない。
子供を攫ったり買ったり、いくつも条件を変えて、少しでも成功に近い結果が出れば、今度はその結果に近い子供を捜して試行してきた。
サンプルケースとして、失敗でも生き残った子供たちは成長を見て記録も残している。
淀みの魔法使いになることはなかったが、魔法に面白い特徴が出た場合は、クトルが構成員にして使っていた。
結果として死んでも、そこはもう私の研究とは関係がない。
「それに、私が何かしようとしても、あの第一皇子には通用すると思えない」
「そうね、クトルが殺意もなく私たちを見るなんて驚いたわねぇ。アルタもあの歪みをどうしようもなかったんだから、通用なんてしないと思うわ」
クトルの執着は家族との心中。
私たち淀みの魔法使いを疑似家族にし、その上で心中することに執着していた。
クトルの中で、家族は守るものという認識と、心中したいという欲棒で危うい均衡が保たれていたが、いつ決壊してもおかしくない状態だったはずなのだ。
それがあの第一皇子と対峙した後には、驚くほど落ち着いた。
最早手綱を握ると言ってもいいほど、第一皇子はクトルを制御している。
研究する私にもできなかったことを成したのは、ひと目見て何かを理解したからこそ。
正直、その才能に嫉妬を覚えた。
まさか人間性を失くした私にそんな感情があるとは思わず驚愕したほど。
逆に驚きすぎて、今はもう嫉妬した事実しか思い出せない。
その感情がどんなものだったか、少し惜しいのは、私もまた淀みの魔法使いだから。
「でも一番驚いたのはあの金色の美しい姿ね。はぁ、またお会いしたいわ。とても安らぐ香りをしていたの」
マギナが熱い溜め息を吐く。
もしかしたら、本当に懐いてるのは金色の大樹に対してなのだろうか?
あれが第一皇子についてるから、結果として第一皇子に好意的なのか?
どちらにしても、マギナはもう第一皇子に抵抗はしない。
私もひと目で敵わないと悟る存在だった。
私たちは少なくとも人間よりも強く、他種族であっても遅れは取らない自信がある。
なのに、あの金色の大樹には敵わないとひと目でわかった。
「何か次元の違う存在で、それを感じていたのが私たちだけらしいことにも驚いたな」
「あら、そうなの? 見慣れてるのかと思ったわ」
「いや、鼓動や身じろぎで、私たちのほうを警戒していた。あれは確かに金色の大樹の存在は知っていたが、力量のほどを理解はしていなかった」
一人、円尾の超人はもしかしたらわかっていたかもしれない。
敵わないと察して完全に脱力していたように思える。
けれどあれ以来見てもいないから、はっきりとはしない。
「理解していない聖女教会は、皇子さまにも敵わないわね」
マギナがくすくす笑って、今日第一皇子に聞かれた相手を思い出したようだ。
私もそうは思うが、面白がるほどの関心もない。
だが、聖女教会の動きと結果を見て、他の聖女の奇跡を求める集団が動く可能性はある。
そうなった時、きっとそれらも第一皇子の前に姿をさらし、そして摘み取られるんだろう。
「教会の派閥さえ、第一皇子に敵対すれば、潰されるかもしれないな」
「でもきっと痛いことはしないわ。だったらいいじゃない」
プライドなんかで救われないと知っているからこそ、マギナは嗤う。
けれどプライドを傷つけられるほうが苦しむ人間もいる。
教会のような権威者の群れにいるなら、きっとプライドを重視する者のほうが多いだろう。
だからこそ、第一皇子と事を構えるのは得策ではない。
何せ私たちの裏をかいた上に、力勝負でも負けない強さを隠し持つのだ。
さらには淀みの魔法使いの手綱を牽く器用さと理解力、発想力もある。
下手に気取って頭を使うだけ、裏をかかれ、恥をかいて負けるのだろう。
私はそんな第一皇子を、淀みの魔法使いを知る上で、とても良い助言者になってくれると見込んでいる。
それは私の執着の結実を助ける可能性だ。
他の誰にも向けたことのなかった期待でもあった。
そのために会う度観察し、音を聞き、会話に応じて第一皇子を知ろうとしている。
今日までに観察した結果、きっとあの皇子は鏡のように、苛烈に襲い掛かるほど、苛烈な返しが待っていることだろうと思えた。
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