閑話114:ネーグ
まだ冬のルキウサリア。
本来なら社交もなく、家族や親戚で暖炉を囲むような季節だ。
それが、帝国第一皇子殿下が留学して以来、忙しい季節となっている。
春になれば動けるよう、冬の間に整えよという勤勉さを求められるのだ。
特に第一皇子殿下に直接関わってしまった私は、表立てないところを担うことで、もはや本業が何かわからない。
子爵と呼ばれるのを、ネーグと呼んでほしいなどと言ってしまったせいで、周囲からは特段親しい者という認識になってしまっているのだ。
同じく、いや、師である者にも使われるノイアンくんは私以上かもしれないが、ともかく共に動き回ることも増えた。
そして何より、ご高齢にもかかわらず今までにない熱量でもって方々に顔を出し、その割に貴族相手の社交は放り捨てるようなテスタ老が一番お忙しくしている。
「先生、寒さでそんな顔をするくらいなら、冬の間くらい大人しくなさってください」
ノイアンくんに言われるテスタ老は、雪の積もる王城の屋外を歩くだけで、顔が強張り憤激しているようにも見える。
ただこれは極度に寒いため、顔に力が入りすぎているのだそうだ。
本来ならこういう顔になってしまうテスタ老に、冬の社交などは不向き。
しかし夏場に散々逃げ回った結果、今の時期に社交を命じられていた。
この状態ならば、いつもの反論もなく、強張ってるため口も動かさない。
なら、思うことを言ってしまっても良いのでは?
「テスタ老、ご自重ください。権威と呼ばれるご自身の立場を捨てるつもりはないのでしょう? たとえ、第一皇子殿下が帝都に戻ったとして、そこについて行くつもりであっても」
睨むように目を私に向けるが、しかし口は開かない。
そして屋内に入るために足も止めない。
視覚から与えられる重圧はあるものの、口達者なこのご老体に言いたいことを言い聞かせられる機会はそうないことだ。
ノイアンくんも、苦言を言うなら今と思ったらしく勢い込んで頷いた。
「そうですよ。あんな風に追い払われるとわかっていて、顔を出してアピールなんて。ついて行くのも嫌がられてしまいますよ」
私も大いに頷き、言い返せないテスタ老に言い募る。
「そもそも帝都へ出張だとか、学会を開くだとか、今から計画していることも国王陛下に漏れているのです。だからこそ、ルキウサリアの貴族との連帯を強めさせようと、この冬の間に社交をするよう直々にお声をかけられたでしょうに」
「あ、そうなんですね。普通に不義理が過ぎたのかと…………」
ノイアンくんが言うのも一理ある。
ただ、テスタ老はそもそも血筋的にもあまり貴族として重視されない生まれ。
実績を積んで自家を築いて爵位を得た、その権威としての強さでのみ立つ稀有な人物。
貴族的な繋がりが全くないわけではないが、そこまで重視しないのだ。
というか、封印図書館関係で無茶をした時には、普通に家名や血縁に連なる貴族たちを道連れにしかねない行動をとっていた。
テスタ老からしても、貴族としての家や地位はあまり重視していない。
我が国の陛下もそれをわかっているから、ルキウサリアを捨てる可能性を視野に入れて、引き留めの網を作ろうとしているようにも思える。
「ただ先生の気持ちもわかりはするんです。第一皇子殿下の示される技術は本当に新たな扉を開くように感じます。一生かけても成果をあげられない研究者も珍しくないですし。あの方からの薫陶は、確実に進歩に繋がる。それが、あと一年となると惜しくもあります」
「焦りは禁物というだろう? この二年で確実にあの若い司書とは話ができるようになった。まだ手を出すには早いところを、望んでも勇み足にしかならない。確実にこちらが手にできる成果をきちんと見定めて、時間の使い方を考慮しなければ」
ヴィーラというオートマタのことを濁していさめつつ、私は苦笑する。
ノイアンくんと、思えばこんな関係になるなんて思わなかった。
お互いに顔見知り程度で、深く話すことも、研究テーマも違いすぎていたのだ。
それが封印図書館に共に潜ったという奇縁から、今日まで関わっている上に、この先も一蓮托生な関係にまでなっている。
未知に怯えるかと思えば、テスタ老の第一の助手だけあって、時にのめり込んで引っ張られるし。
そうなると、私一人で止めなければならないため、適度にこちら側に繋ぎ止めておかなければならない相手だ。
「ふぅ、隠居予定であったというのに…………」
テスタ老が、王城の中へと戻って漏らす第一声が不平だった。
しかも、その予定は封印図書館が見つかる前のもの。
そもそも薬学と切れる予定もない話で、ルキウサリアからも出ないはずだった、今となっては意味のない予定だ。
「それはそうでしょうが、状況を変えたのはテスタ老もそうでしょう」
「先生、第一皇子殿下にアピールされるなら、人脈を活用するほうがいいのでは?」
私たちは雪を払いながら軽く言った後は、しばし無言でテスタ老に与えられた王城の研究室に向かう。
誰も出たがらない冬の屋外ならともかく、誰の耳があるかわからない王城の中で、第一皇子殿下に関しては話しにくい。
扉が閉まると、テスタ老が今まで黙っていた反動のように口を開いた。
「引き留めるならば、わしよりも第一皇子殿下こそを引き留めるべきであろう。国王陛下にも申し上げたが、全く弱腰で困る」
「申し上げたんですか? 仲がいいとは言え、第二皇子殿下が入学するとなると、また対応が必要な案件出てくるのでは?」
ノイアンくんが言うとおり、第一皇子殿下の立場は微妙だ。
そのためルキウサリアに揃われると、皇子本人たちに関わらず、ここを政争の場にされかねない。
それは国王陛下としては本意ではないだろう。
だがテスタ老は私の想像など軽々と超えて、とんでもないことを言った。
「面倒が起きるのならばなおのこと、最も勝算の高い方法を取れば良い。ご息女も差し出すつもりでことに当たるよう申し上げたとも」
「申し上げたんですか!?」
私は思わずノイアンくんと同じことを口にする。
だが、当のノイアンくんは、あまりの暴挙に固まっていた。
それもそうだ。
第一王女であるディオラ姫が第一皇子殿下に心寄せるのは、知る者は知る話。
その王女の思いを利用してでも引き止めろと言うのは、第一王子であるご子息がいない今、婿を招くようなことになる。
戻らないアデル殿下を切り捨てろと言うに等しい。
「あの方は情のあるお方。その情を向けられる者が身内にいるのならば、ルキウサリアの発展にも繋がろう」
「何を言っているんですか。あの方は嫡子ではないとされていますが、明確に皇帝の御子。その血を我が国に迎えることの意味が付随して、余計に問題が大きくなります」
テスタ老は小動もせず応じた。
「今ならユーラシオン公爵も、技術を対価に口を噤ませられる。継嗣の実らぬ恋慕を断ち切ることも、家門の安定に繋がる良い話。帝国と連携する上では、政治的にも意義のある婚姻となろう」
ディオラ姫に心寄せるのもまた、知る者は知る話。
いいところだけを取ればそう言えるが、帝位に目がくらむ者も出るのは歴史が証明している。
そうなるとやはり政争が起き、しかも第二皇子という対抗馬がいる。
そこに我が国が求めて第一皇子のほうを選べば、次代の皇帝を見下すと取られることも。
そこにご本人たちの気持ちはなく、ただ利用される言い訳になるだけだ。
私がテスタ老を止めようとすると、ノイアンくんが真顔で言った。
「それと今日第一皇子殿下の元へ突撃したことに、関係はないですよね、先生?」
普段穏やかで押しも弱いが、私よりもテスタ老との付き合いは長く、その心の内も覗くことができる立ち位置。
どうやら私は極端な話に乗せられたが、ノイアンくんはそれで隠したい何がしかに気づいたらしい。
じっと見据えるノイアンくんに、テスタ老は目を逸らした。
「引き留めるにしても、帝都にお帰りになるのを追い駆けるにしても、やはり今日の行いはよろしくないのでは?」
「…………あの方は情をかけない者から、すぐに離れられる。そしてわしは、情をかけられない者だ。であれば、常にそちらが手綱を握るのだと、意識してもらわねばならん」
またとんでもないことを言い出した。
この方は薬学の権威であるという立場を、もう少し尊重してほしい。
「わかりやすく、その手でわしに首輪をつけるようなものよな。殿下がその先の縄を握っているのだと、引いてくだされと言わなければ、わしのことを放り出してしまわれる」
「ちょっと、待ってください」
「えぇ、なんだかすごく嫌な絵面を考えてしまって…………」
私とノイアンくんが顔を覆って、テスタ老の言葉を止める。
たぶん同じことを想像してしまったんだろう。
たとえとわかっていても、第一皇子殿下がテスタ老に首輪?
しかもそれを引くなどと、あまりにも想像したくないが、想像してしまった。
だがテスタ老自身はわかっていないようで、私たちの動揺に口角を下げる。
「何を言っておるのだ? 少々強引で忌避されることはわかるが、導くという意志を持ってお教えいただくにはこれがわかりやすい。あぁ、学園の卒業生という同じ学生のくくりであれば、あのように気にかけていただけるというのも羨ましいことだ。私も教えを受ける立場になれるのならば、這いつくばっても願うものを」
「あの、それはつまり、あの錬金術科の卒業生になりたいと?」
「ですから、もっと言葉を選んでください」
何故少年の第一皇子殿下を相手に、老人が妙な言い回しをするのか。
いや、その知性に対する尊崇があるのだろうが、だからといって、言い方が悪いし、想像してしまう絵面も悪い。
学生に紛れ込んで学生ぶるテスタ老など、想像したくもないんだが。
「テスタ老、そのような言動は他所ではお控えください」
「そうです、先生。変た…………倒錯的過ぎるもの言いです」
「む、そうか?」
い、今のは、テスタ老は気づいていないのか?
というかノイアンくん、自身の師を変態呼ばわりは、いかがなものかと思うのだがね?
私は突っ込みを飲み込んで、この場は聞かないふりをする。
だが当分、第一皇子殿下とテスタ老が揃う場面で、この日のことを思い出していたたまれなくなることになったのだった。
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