閑話94:ウォルド
第一皇子殿下が側近型だけを連れて夜の学園へと向かわれた。
詳しくは聞く暇もなかったけれど、捕まえたハリオラータ幹部が動くかもしれないとのことだ。
「ノマリオラ、ウォルド、上手く誤魔化しておいて」
そう言って殿下は出られたが、屋敷内に動揺はない。
表向きは早めの就寝であるとは言え、どうやって気づかれずに出られたのか。
帝国の人員以外にも、ルキウサリア国王と繋がる執事が目を光らせているのに。
とは言え、何かあればいるように見せかけるのが私たちの役目だろう。
「私は妹に寝るように言ってきます」
第一皇子殿下が出てから、侍女どの、いや最近ノーマと呼ぶことを許してくれた相手は振り返りもせず告げる。
それでも、貴族令嬢が名を呼ぶことを許してくれた意味は、間違いないはず。
仕える殿下の師である方々でも、その身を守る貴族位を持つ宮中警護でもなく、私に許してくれたのだから。
そうは思っても、扉の閉まる音で溜め息が出る。
「せっかく皆さんがお膳立てしてくれたのに…………」
収穫祭でも殿下不在を紛らわし、腕の確かな側近方を近くに控えさせるため、私たちは一緒に収穫祭へ向かった。
収穫祭は本来なら数日開催の予定で、初日には何も起きない可能性もあったのだ。
だから、実は、デートの予定が、あった。
と言っても私の発案じゃない。
ノーマの妹、テレサだ。
「それも結局、騒ぎで…………。その時も見送るしかなかったな」
また溜め息が漏れる。
憎からずは思ってくれている、はずだ。
ただ打算交じりの誘いの後には何もない。
それを見かねてテレサが、ともに出かけるならばとデートを発案してくれたのだ。
そしてその話を聞いた、面倒見の良い家庭教師のスキロワスキどのも助言をくれた。
「なのに」
騒ぎは起きた。
しかも第一皇子殿下がハリオラータの正面に立つ形で。
私はスキロワスキどのや、トトスどのを見送るしかなかった。
「かっこいいところを見せて、少しでも好感を稼げたかもしれない。それが心を砕く殿下の安否となれば余計に。…………いや、無理だ」
気を引く方法は思いつく。
だが、実現可能かというと、無理だ。
そもそも殿下が非凡で、淀みの魔法使いなんていう魔物のような存在相手に翻弄するという私では決してできないことをやってのけている。
魔法も使えない、武術などやったことがない私では、勇んだところで足を引っ張るだけ。
逆に第一皇子殿下を妨害したと、あるかなしかの好感が下がる可能性もある。
「でも、やっぱり、打算以外にも心を向けてくれていると、確かめたい」
そのためのデート。
テレサやスキロワスキどの、時にはトトスどのにも助言をもらって計画した。
ぐだぐだになった告白をやり直すチャンスを得られると思っていたのに。
いかせなかった自分が情けない。
そして未だにデートに誘う勇気も持てず、勤勉なノーマの仕事の隙も見つけられず。
「…………遅いな?」
テレサに声をかけに行っただけのノーマが戻ってこない。
今夜どう誤魔化すか、想定できる状況と対応を話し合い、場合によっては何がしかを成して戻る第一皇子殿下を迎える準備も話し合いたいのだが。
私は無人の二階から、階下へ向かう。
そして使用人が使うスペースに用意された姉妹の部屋の前に立った。
ただノックをしようとして、扉が微かに開いていることに気づく。
ノーマもすぐに戻るつもりだったのだろう。
「危険な人が潜んでいるから、ご主人さまが対処なさるのはわかるわ。その分、姉さんが忙しいのも。けど、ことが落ち着いたらお休みをいただくべきだと思うの」
「あら、何処かへ一緒にお出かけしましょうか」
「違うわ。私じゃなくて、ウォルドさん」
テレサに名前を呼ばれてドキッとした。
嬉しいやら恥ずかしいやら。
どうやら先日の失敗から、もう一度チャンスをくれようとしてくれているらしい。
「たまには二人で過ごすべきよ」
「いつも顔を合わせて、二人になる時もあるわ」
「それは仕事でしょう」
「えぇ、仕事は大切な時間よ。大切なことを真面目に努める姿を共有する。いいことでしょう?」
「そういうんじゃないの。姉さんわかってて言ってる?」
テレサの不満そうな声に、ノーマも困った様子だ。
「私のお姉さまは、いつから殿方を利用して弄ぶような悪い女になったのかしら」
「まぁ、そんなことはないわ。ちゃんと好意があるとわかっていて」
「それが駄目だと思うの」
「…………言葉選びが悪かったわ。その気のない方に無理強いをするつもりはないのよ」
「それも違うのぉ」
テレサが粘るけれど、私のほうがだんだん申し訳なくなってきた。
いや、わかっている。
ノーマは仕事を続けるために、結婚を望んだのだ。
そこに好意を持つ私がちょうどよくいただけ。
わかっていても、知識層とは言え平民の自分と、伯爵令嬢なんて高位貴族のノーマが結ばれる可能性などないと思っていた。
そんな夢のような、物語のようなことはありえないと。
だから可能性があるとわかったあの時、つい勢いで余裕などなく押してしまった。
「テレサ、寝なさい。明日は、ご主人さまが長く眠れるように私たちが早く起きて必要なことは全て終わらせておくようにしないと」
「その気遣いを、もう少しウォルドさんにわけてあげてほしいわ」
掛布を引き上げるらしいテレサに言われて、ノーマは黙る。
きっと感情の向きが極端なせいで、私にテレサほどの気持ちは向けられないからだろう。
自分で考えて気落ちする。
それでもあの時ノーマの手を取ったことに後悔はない。
…………いや、あるな。
とてもある。
もっとこう、彼女に相応しいかっこいい感じにしたかった。
「別物だもの、わけられないわ」
「ふーん」
何やら姉妹の間で短いやり取りがある。
そしてノーマの動く気配がした。
慌てて私はドアをノックする。
してしまってから慌てた。
ただなんの言い訳も思いつかない内にノーマが出て来る。
「遅くなり申し訳ありません」
「あ、は、はい。遅かったので様子を見にきました」
乗って言い訳をするが、後ろめたい思いが消えない。
沈黙が怖くて、私は考えもせず言葉を口にする。
「テレサは寝ましたか?」
「えぇ、ベッドの中に」
会話が続かず焦るとノーマから声をかけられた。
「この一件が落ち着きましたら、ご主人さまに休暇をいただこうとテレサと話しました。ウォルドさんもいただいてはどうでしょう」
「あ、そうですね。そう、ですね」
ノーマは愛する妹に言われたことをすぐに実行する。
その上で勧めてくれているとわかっていても、気にかけてもらえたことが嬉しい。
これはつまり、テレサに勧められたことを、する気がある?
私とデートをしてくれる気が?
つまり、ここで誘えば…………。
けれどなんと言って誘えばいいのか、伯爵令嬢を相手にどうすればデートに誘える?
「…………休みを取られますか?」
「は、はい。取ろうと思います」
私が答えた後、沈黙は、たっぷり十数えるほどあった。
そしてノーマは、無表情というには目元に不機嫌さを漂わせて言う。
「私は、いつまでも待ちませんよ」
言われて、ノーマは背を向けた。
ノーマが去る怖さについ手が出る。
ノーマの手を取った私は、その不躾さへの罪悪感と焦りから、勢いのまま口走った。
「わ、私と休みに、デートをしてください!」
思いのほか響いた声に、私はゆだりそうなほど顔に血が上る。
ノーマもさすがに驚いた様子で目を瞠っていた。
物音がして見れば、ベッドに入ったはずのテレサが慌てて扉を閉める。
気恥ずかしさに何も言えなくなってしまったのだが、それでも確かにノーマが頷いてくれたのは見たのだった。
ブクマ9400記念
予約投稿の時間を間違えました。
次回からは閑話は十八時投稿です。




