470話:淀みの魔法使い5
夜の学園、地下の魔法研究施設。
収容されてたハリオラータのカティが、仲間の手引きで脱走を図っていた。
「操る魔法は匂いを合わせて使われてる。この地下だと相当効くと思う」
僕はイクトのベルトを掴んでその陰に隠れたまま、警戒すべきことを伝える。
話を聞いたウェアレルは、すでに鼻を覆っていた。
「呼吸をする限りは防ぎようがありませんね。ですが、風を吹かせることで少しは紛れます」
「見たところ、新手のハリオラータに体術の心得はあまりないようだ」
イクトが攻める隙を見つけると、ヘルコフも怒りつつ冷静に応じた。
「来る前に魔力の放出があった。それはなんのためだ? 今その放出した魔力分弱ってるってことはないか?」
魔法を使い続けて風を吹かせてるウェアレルが応じる。
「考えられることはいくつかあります。操るために必要な手順だった。仲間の囚われた場所を確定するため、敷かれた魔法的な守りを破壊するためなど」
「どれだったとしても、必要だからやったと思うべきだろうな」
「その上で、どうやら弱るということはなさそうだ」
低く構えるヘルコフにイクトが応じた。
イクトが言うとおり、ウェアレルが風を吹かせるんだけど、それは抑え込まれてる。
カティが思うように魔法が使えないなら、穏やかに笑ってるマギナというハリオラータを制圧することが鍵だ。
そうとわかって、ヘルコフが突っ込んでマギナの動揺を誘う。
ただ長く匂いを吸うと駄目だから、息を止めて攻撃しては離れ、また攻撃した。
(ウェアレルの風に対処しながら、ヘルコフの攻撃も魔法でさばいてるけど、あっちも勝算があってのことだよね?)
(風を吹かせられない圏内で呼吸させれば、嗅覚が鋭い獣人を操ることで同士討ちを狙えるとの考えです)
やっぱりハリオラータだ! やろうとすることがひどい!
(セフィラ、ウェアレルを手伝って)
(…………警告。マギナと呼ばれたハリオラータは魔力の感知に優れています。主人に匂いが届かないよう風を動かしたところ、気取られました)
(そういう気づき方もあるのか)
つまりセフィラが僕を守るためにウェアレルとは別に魔法を使った。
その魔法の気配をマギナは感知して、目に見えない四人目がいることを気づいてる。
ともかくセフィラに、みんなとその情報を共有するように言って、もうばれてるならってことで魔法はお願いする。
たぶん光学迷彩で姿隠した僕とか、そもそも実態がないセフィラとかそんなことは思い当たってないはずだし。
どこかに潜む四人目がいることで少しは気が散ってくれるいいんだけど。
(あとやれるのは、マスキングか。セフィラ、ウェアレルとヘルコフに謝っておいて)
僕は言うと、イクトの手に持ってきてたハッカ油の入った小瓶を握らせる。
前に臭いでクトルを追跡できたからね。
錬金術部屋にあった、テレサが作っただろうものを咄嗟に掴んできたんだ。
香水用の噴霧器でもついてればよかったけど、原液の入った小瓶でしかない。
イクトがふたを開けた途端、ウェアレルとヘルコフは攻撃をやめて一歩距離を取った。
その上で操りにくいハッカ油を、イクトは半分ほど魔法で瓶から取り出して周囲に撒く。
途端にカティが反応した。
「あ、駄目だこれ。こいつらこっちの対策持ってきてる。もう匂いのこともばれてたね」
「カティを捕まえた、勇壮な方々は賢くもあるのね」
なんだかマギナは惚れ惚れするように言うんだけど、その様子にカティも呆れる。
「じゃ、あたしは逃げるから」
言った途端、カティは霧を発生させた。
途端に姿が滲んで暗い中に消える。
上手く使えないってのはブラフか、もしくは使えないなりにできることはあったか。
けどそんなことで逃げられるわけもない。
(家庭教師ウェアレル、右手九時の方向)
セフィラの指示で、ウェアレルが牽制するように蹴りを放つ。
その間にヘルコフが突進を仕掛けた。
「うわ!? 暗い中でも目が利くタイプか! これだから獣人は!」
カティは姿を現して、ヘルコフから逃れて退く。
二人にばれたのは、獣人の目には見えたからだと思ったらしい。
それだけ本調子じゃないんだろう。
霧が消えるのは森のダンジョンの時より早いし、動きも鈍いから身体強化の魔法は使えてないようだ。
「カティにひどいことしないで。ねぇ、お願い」
マギナは何処までもおっとりとしていて、緊張感を感じられない。
その上で放たれる魔法は強烈だった。
雑に火炎放射を放ってきたんだ。
しかも狙いも甘いせいで、危うくカティも巻き込まれそうになる。
「もう、マギナ!」
「ごめんなさぁい」
あまり悪びれた様子もなくマギナが謝る。
カティは背後からも迫る足音に表情を険しくした。
正気づいた見張りが追って来てるんだ。
「…………これするしかないか」
ベリーショートの髪を乱暴に掻いて、カティは切り替えるように笑みを向ける。
「じゃあね、マギナ。また会いましょ」
「あら、そうなの? では、またね」
何やら別れの言葉を交わすので身構えると、カティは笑顔のまま僕らに聞いた。
「ねぇ、あんたたち。この子のこと好き?」
「何処に好きになる要素あんだよ」
「大人しく捕まれ」
ヘルコフとイクトはバッサリ否定。
それにカティはいっそ笑みを深めた。
「じゃあ、嫌いなんだね?」
「当たり前でしょう。何をしているかわかって…………は?」
ウェアレルが肯定した途端、僕でも感じられるほどマギナの魔力が膨張する。
その現象は知ってた。
森でカティが眼帯を奪われた時にも同じことが起きたんだ。
(好き嫌いの言葉が淀みの魔法使いとしての暴走の鍵だったんだ!)
(嫌いの言葉に反応し、肯定の言葉で精神的安定を崩しました)
(今はそれよりも逃げないと! 暴走のことを知らせて!)
(好きかと聞いた時に、期待がありました。嫌いに反応したのであれば、期待を満たすことで精神の安定を取り戻すと提言)
そんな単純な。
けどこんな地下で暴れられたら、階段に近い僕たちは逃げられても他が逃げられない。
セフィラの声は聞こえてたみたいで、引き金を引いてしまったウェアレルが声を上げる。
「私は、大人しいのならば、好きですよ!」
その叫びに、膨れる一方だった魔力が増えるのをやめた。
それでも肌を焙るように感じられる魔力はまだ危険な水準だ。
変化を目にしたヘルコフも、牙をむくように口を開いて言う。
「そうだな! おいたするのも可愛いもんだが、笑って静かにしてるほうが好きになる奴は多いだろうな!」
現状を許容する言葉の上で好きと続けた。
途端に、嵐のように荒れた魔力が、膨れ上がったまま止まる。
ただやっぱり膨大な魔力の圧のせいで、静かになってもまだ危機感は去らない。
(宮中警護イクトより、助言の要望)
イクトは上手いこと言える気がしないみたいだ。
僕はセフィラ伝いに思いつくまま答えた。
「好いた相手にはこちらから近づきたいのが男心! どうか、近づけるようにしてほしい。そうすれば、もっと優しく囁ける!」
すっごい投げやり感。
けど、マギナはおずおずと顔を上げて、瞬きをする。
イクトは目を向けられたことで、僕の手をベルトから離させて一歩前に。
その様子に、マギナも一歩分魔力を弱める。
そうしてじりじりと距離を詰めて、なんとか、暴走しそうなほどに膨れ上がった魔力を押さえてもらった。
「あまり、声を強くされるのは、好きではないのか?」
「うん、そうなの。優しく、してくれるのが、好きよ?」
マギナはさっきまでの荒々しい魔力なんてなかったかのように、イクトに小首をかしげて笑いかけた。
(逃げます)
(ハッカ油もう一本あるんだよね)
僕はセフィラに言われて、こっそり通りすぎるカティにハッカ油をかける。
悲鳴を堪えて逃げるカティだけど、通った後にはハッカ油の独特の匂いが尾のように残っていたのだった。
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