閑話86:キリル先輩
教室に戻って、俺の姿を見た級友が声をかけて来た。
「あ、帰って来た。キリルくん、またトリキスくんの手伝い?」
「同じ医者を志す後輩を思ってか? ずいぶんと熱心だな」
料理屋の娘のトリエラと、竜人の商人出のロクンだ。
二人して何かを煎じているが、異臭はしないし放っておこう。
就活生で授業はないが、それでも集まっているのは実験や論文のしやすさからだ。
何より今まで落ち着いて使えなかったからこそ、教室でのびのびやりたい思いはある。
「熱心ではないな。俺は眺めてるだけだ」
正直他人ごとだった。
他国の話だし、帝室なんて関わる気もないからな。
「じゃあ、それなんの得があってつきあってるのさ?」
エルフのウルフは、何やら手紙を書きつつ聞いてくる。
故郷のハドリアーヌに戻ったメル先輩とやり取りをしてるのは知ってた。
馬獣人のエニー先輩と何やら商売を始めたそうで、ウルフもそこに噛んで自ら商売をと目論んでいるらしい。
「後輩に頼まれたからには手を貸すくらいはする」
「だが、帝室の弱み握れそうな話じゃないか。いや、恩を売ったほうがいいのか?」
オルスがまた馬鹿なことを言い出した。
ルキウサリアに残りたいけれど、仲の悪いジョー先輩がすでにいるせいで無駄に悩んでるだけでも馬鹿らしいのに。
結局錬金術科で何をしたいとも決められずいるのがオレスの問題だ。
実家に帰っても、領地の運営に携われる立場もないのに。
作業系はできるのだから、トリエラのように何か作るほうに行けばいい。
少なくとも火もないのに爆発するワンダよりも形にはできるはずだ。
「あんな面倒な話、本気で取り組むだけ無駄だ。それでも本気でやってるのは、当事者の身内であるトリキスと、興味に走ってるポーくらいだ」
「その事件というのも五年も前のことなのでしょう? 正体不明の呪いだかなんだかに、今さら手を出すのは怪しいですわね」
ワンダは不器用で、なんでそうなるという失敗を繰り返す。
だが自己顕示欲は同じでも、オルスより考えはするからことの怪しさもわかっていた。
「今日ユーラシオン公爵の令息もその話に加わったんだが。どうもそっちも、第一皇子を犯人とは見ていないらしい」
このまま自習のため、俺は後輩の教室であったことを話す。
後で教師が巡回でやってきた時に相談となるので、それまでは暇なんだ。
「話を聞く限り、第一皇子を犯人と断定できる証拠はない。だが、犯人ではないという証拠もない。そのせいで放置されているんだろう」
「突き詰めても誰も得しないからねぇ。けど、見てたお医者さんなら説明しなきゃいけないし、触りたくなかったけど、仕方なくって感じかな」
言いながら、スティフは描き散らしたデッサンを放り出す。
俺は一発小突いてから、他にも散らばるデッサンを拾い集めた。
おい、デッサンの間から紋章入りの封筒出て来たぞ。
しかも適当に中身も放り出されて、桁の多い絵の売買に関する相談が丸見えだ。
タイトルは、アイアンゴーレムの絵の具を使ったあれだな。
それならこの値段も頷ける。
これは後でイア先輩に回そう。
「どういうことだ? 皇子に被害があったんだったら、放置なんてもってのほかだろ」
オレスはいっそ、貴族子弟にしては純粋かもしれないな。
どう考えても勢力争いの泥沼に気づきもしないなんて。
「毒殺事件なら毒を解明して対処は必須。しかし当時打つ手もなく収束した。さらには五年かけて調べてもなんの成果もないままだ。これで皇子の病だった場合、やはり対処できずにいた不手際。その上、治療方法の確立は必須。そうでなければ表面上今では健康な皇子を捕まえて、病気だということになる。それは後ろにいるルカイオス公爵に喧嘩を売るようなものだ」
順を追って説明するが、内容はほぼ推測だ。
だが、トリキスの病気だろうが呪いだろうが、原因への説明を求める姿勢を思えば外れてはいないだろう。
俺が医者の立場なら、地位を捨てて逃げるくらいにどうにもできない案件だ。
ましてや、第一皇子の主張する実態のない毒か病かも判然としない蟹の呪いを調べるなんてやってられない。
そんなの、患者にあなたには実体のない幽霊が憑いて倒れましたと言うようなものだ。
もっと理論的な可能性を探るに決まっている。
「え、ちょっと待ってよ。それって、皇子が毒殺だってわかっても、気づくの遅すぎ。病気だったら帝室から誹謗扱い。どっちにしてもトリキスの家、睨まれるだけじゃん」
ロクンが羽根をばたつかせて騒ぐ。
ウルフも面倒な状況を理解して、いない後輩に哀れみの笑みを浮かべた。
「呪いだとかは置いておいても、さすがに五年は長いな。で、調べてる、努力はしてるっていうためにトリキスを錬金術科に?」
「そんなところだろうな。あれなら薬術科でも医術科でも行けただろうに」
俺が頷くと、ワンダが柳眉を逆立てた。
「お待ちになって。まさかトリキスは、解決する結果を見つけなければ、家にも戻れないのではありませんの?」
庶子とは言え侯爵家の躾がされているから、家からの命令での入学と、目的、そしてそれを達成できなかった時の扱いにも想像がつくようだ。
「医療者にもなれる学力のある、トリキスの将来を潰して入れてるんだ。家のほうも解明は本気で望んでいるんだろ」
毒殺なら毒の特定、病気なら治療方法の確立。
どちらかを手に入れなければ、トリキスは貴族としてもまともな扱いはされない。
「えっと、トリキスくん、自分で開業とかは? 家に戻れないなんて可哀想だけど、それでも本人にやる気があればさ?」
「学会に所属できない学科に入ってたら、医者として大成もできない。どころか家名があるからこそ、どうして錬金術科に入ったと、不審がられるだけだ」
トリエラは平民だから、手に職があればと言う。
だが貴族は、血筋と家名の重みを無視できないんだ。
帝室に抱えられるほどの名家からはみ出した。
それだけでトリキスは、医者になっても避けられることになるだろう。
いっそ医療とは関係のない職に就いたほうが安穏と暮らせる気もするが。
「三年で結果を出さなければいけないだろうな」
そのトリキスの焦りはわかる。
その上でできることを、考えられることを、結果に繋がる道を模索していた。
そんながむしゃらで、懸命な姿勢には覚えがある。
俺もそうだった。
「みんな大変だねぇ。けどそうして心配してないなら、大丈夫なんでしょ、キリル?」
スティフが今度は、木炭で汚れた指をマントで拭いながらいう。
俺はぐちゃぐちゃにされて床に落ちてたスティフのハンカチを渡した。
「あれこれ案を出すポーがいるから、一人で煮詰まることはないだろう。そのポーにつき合って、アシュルとクーラが冷静に意見を聞かせることもしていた」
アズも戻ってすぐに話を聞いていたし、ウー・ヤーやイルメも協力的だ。
先輩も同輩もまともに授業を受けられず、教室自体を避ける状況だった俺とは違う。
「何より、本人に探求する熱意がある。聞かされた他人の言葉を鵜呑みにせず、可能性があれば追う。妥協は見られないから大丈夫だろう」
呪いなんて、俺なら鼻で笑って考慮にも入れない。
けれどトリキスは可能性を追って、解明の糸口を探っていた。
呪いが病の暗喩だというのが正しければ、呪いが病である症例でも集めて理解を深める方法はあるだろう。
トリキスという後輩は、状況的に哀れだが、深入りもできない。
俺はこの一年が終わればルキウサリアを離れる予定で、頼られても中途半端で放り出すことになる。
「はぁ、他人の心配とは、余裕があっていいな」
「初めから目的があって入学してるんだから目標もなく怠けたつけだよ」
「まぁ、比べるだけ得はない。嫉むだけ見苦しいからやめておけ」
俺にぼやくオレスに、ロクンとウルフが笑いながら辛辣に諫める。
卒業後が明確には決まってないのは、ワンダもそうだが、トリエラを見て首を捻った。
「卒業後について、悩みが多いのもどうかと思いますわね」
「うぅ、ラトラスくんの親御さんからも改めてお誘いあったんだよぉ」
トリエラは故郷に戻るつもりが、熱心な誘いを受けて揺らいでいるようだ。
デッサンを続けるスティフは、アイアンゴーレムの青を作るなんて方向を変えてたな。
「キリルは、卒業後も大学で勉強するんでしょー。医者になったら国に戻るのぉ?」
「いや、修道院の推薦を受けて行くから、数年は教会を巡っての奉仕医療だ」
教会が運営する大学へ行く予定は、入学前から決まっていた。
いっそ、この入学が上からの命令での予定外の四年だった。
そしてたぶん、俺はもう故郷には帰らない。
「いい絵が描けたら手紙に入れて送るよぉ」
「あまり大きなものを送られても困るぞ」
なんでもない風を装って答える俺に、スティフは目だけではなく顔ごと向ける。
特に嘘はないが、誤魔化しを見透かされた気になった。
俺は教会の総本山、ムルズ・フロシーズで秘密の研究に携わる。
失われた聖女の秘術を復活させるための糸口として、錬金術科に入ったんだ。
将来的に外と連絡が取れるかは、正直望み薄だろう。
だからこそ、俺は後輩にも同輩にもこうして会える内に貸せる手なら貸す気でいた。
できれば、この環境を作ってくれたアズに借りを返したいところなんだが、どうしたものかな。
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