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閑話85:ウェーレンディア

 誘拐されたソーさまが無事に戻り、私は学園へ戻る馬車の中でそのことを噛み締める。


 気づけば握るハンカチは絞れそうなほど濡れていた。

 しかも、これは私のハンカチではない。


「ディオラ姫、こちら、後日新しいものをご用意してお渡しします」

「いえ、お気になさらず。ソーさんが無事で本当に良かったですね」


 一緒に戻るので馬車にはルキウサリアの王女であるディオラ姫と一緒だ。

 落ち着きと気遣いのある言葉と共に、今は少しの好奇心を含んで私を見る。


「ソーさんが無事で喜ばしいことですが、まだ少し問題があるとも聞きます」

「えぇ、第一皇子殿下にはご無理をお願いしてしまいましたし」


 当り障りなく来たので、こちらから聞きたいだろうことを口にした。

 私が察したことを知って、ディオラ姫は頬を染める。


「わ、私は、そんなにわかりやすいでしょうか?」


 第一皇子殿下はアズロスと偽名を使って学園に入学していた。

 黒髪の鈍い皇子が、銀髪の快活な少年になっていたのだから、大抵は騙される。

 正直、決め手がなければ私も気づかずにいただろう。


 決め手は本人が言うように、ディオラ姫の態度だ。


「恋する目をしていらしたから」

「恋する?」

「えぇ、慕わしくて、愛おしくて、お側にありたいと希求するような」

「ま、まぁ…………」


 両手で頬を覆って、あまりに心情をそのままあらわにするので、私のほうが恥ずかしさも覚える。

 それほどに、ディオラ姫は熱く、第一皇子殿下を見ていた。


「私も、覚えがあるのでわかりました」

「…………まぁ」


 今度は申し訳なさそうに、ディオラ姫が声を落とす。

 その態度は正直よろしくない。

 馬鹿にしてると思ってしまう。


 けれど、そう、けれど私も知ってしまった。

 このディオラ姫も、私と同じだったことを。


「そんな目で見ているのに、意中の方には届いていらっしゃらないところまで、同じく覚えがありますから」


 ディオラ姫は、私の言葉にはっとする。


 私がお慕いするのはソーさまだけれど、どんなに熱い視線を注いでもこちらを見てくれない。

 視線の先にはディオラ姫がいる。


「ディオラ姫は、第一皇子殿下があのような方だとご存じで?」

「えぇ、初めてお会いした時には装っていらっしゃらずにいましたから」

「初めては、ソーさまと同じ時のはずでは? その時から今の振る舞いだったはず」

「きっと、ユーラシオン公爵閣下もいらっしゃったので、アーシャさまも自衛のために。私は会場から離れた場所でお会いしました」


 思い出すように窓の外へと向けられるディオラ姫の表情は、嬉しい記憶であり輝かしい記憶を思い出すような喜びに満ちている。


 そんな出会いが、少し羨ましい。

 私は物心ついた頃には、婚約者が決まっていたから。

 だから初めてお会いした時に、劇的なことがあって好意を寄せるなんて記憶はない。


「どのような出会いだったのです?」

「え…………じ、実は私その時に迷子になって、それで…………」


 一瞬の戸惑いはあったけれど、話し出せば饒舌にディオラ姫は語る。

 第一皇子殿下に涙を止めてもらい、笑顔を引き出され、その上でエスコートと気遣いを残して去る。


「まぁ、まるで物語の王子のような振る舞いですわね」

「そうなのです! あ、失礼しました」


 勢い声を強くしたディオラ姫は、頬を染めて退く。

 学園でも見ない様子は、私と同じ年齢の少女なのだとよくわかる。

 そしてきっと初めてなのだろうことも。

 第一皇子殿下への思慕など、周囲の目を思えば言えない。

 ましてやご本人が隠しているのだから、その素晴らしさを語る機会などなかっただろう。


 ソーさまに思いを向けられる姿に妬みを抱いた。

 けど今はそんな出会いと経験を持つことを、羨ましいと素直に感嘆する。


「私は生まれた時から、いえ、生まれる前からソーさまと結ばれることが決まっていました。それこそ神が決めたとしか思えない、そんな関係の中生まれたのです」


 初めて出会う方に心惹かれるという物語に、憧れはあった。

 けれど私自身、ソーさまとの婚約はそう定められて、神に結ばれる二人として生を与えられたように思っている。

 そんな運命的な巡り合わせであることを、嫌ったことはない。


「物心ついた時から当たり前に結婚することを受け入れていました」


 けれど七歳で、変わった。

 ソーさまが、ディオラ姫に出会ったのだ。

 それから勤勉に、抜かりなく学んで振る舞って、私も婚約者として鼻が高かった。

 ソーさまも最初は無自覚だったからこそ、何も問題はなかったのだ。


 けれどそんな頑張りが誰かのためと知ったのは、十二歳の時。

 温室でディオラ姫と会っていたソーさまの顔は、恋をしていた。

 そして、私も当たり前だと思っていた気持ちが、恋だと知った。


「私はソーさまを尊敬していますし、お慕いしています。生涯をかけてお支えする覚悟も決めているのです」


 恋と自覚した時に、その思いは敗れた。

 だったら後は矜持のみ。

 お家のため、お互いのため、そう言い訳をしてソーさまを繋ぎ止めようとした。


「あなたに辛く当たってしまったことは、今さらではありますが、謝罪を」

「そんな…………」


 言い訳もせず黙って聞いていたディオラ姫の目を見れば、そこには同情があった。

 この表情を、私は下に見ているのだと怒りさえ覚えたものだ。

 けれど、違った。


「あなたも、届かない思いにご苦労されているのですね」

「苦労などと。私が、きっと、至らないのです」

「まぁ、才媛と言われるあなたが至らないのであれば、大半の令嬢が意中の殿方を前に恥じ入らねばなりませんよ」

「いえ、私はアーシャさまに出会った頃から子供のまま、そうした相手として、見てはもらえないんです」


 それが第一皇子殿下でなければ杞憂と言っただろう。

 けれど、七歳の時点で自らを偽り、今もなお大半の大人に凡愚であると錯覚させている方だ。


 私も今日、まるで心でも読むように言い当てられるまで、気のせいだと思っていた。

 温室で第一皇子殿下だけが、私の存在に気づいていたことを。

 次に会った時、親しいディオラ姫を責めるという場面で、事を荒立てずにいてくださり、その後も車中でも目立ったことはなかった方。

 それが才能のなさと思っていたけれど、実際は先を見据えてのことだった。

 そうでなければルキウサリア国王を抱き込むようにして偽名での入学などしていない。

 全く噂になっていないことを考えれば、完全に帝国貴族には隠しとおしている。

 その下地の最初が七歳なんて、自分の身に置き換えればなんて遠大、なんて忍耐。

 そんな方からすれば、ディオラ姫も対等には成りえないのかもしれない。


「…………私は、どうすればあの方に見てもらえるのか、未だにわかりません」


 ディオラ姫から初めて聞いた弱音。


 ソーさまを奪われまいと張り合い、学業でも振る舞でも私は一歩遅れていた。

 その上、今回の誘拐事件では、親身になって取り乱す私を支えてくださったのだ。

 辛く当たった自覚があるからこそ、私はディオラ姫の懐の深さに敵わないとさえ思っていたのに。


「私も、同じことを悩んでいます。ですから答えられることはないのですけれど、何もしなくては可能性さえなくなってしまいます」


 私はそう思って、今もソーさまを振り向かせるつもりでいる。

 本心からの弱音に応えると、ディオラ姫は泣きそうに目元に力を入れた。


「ありがとうございます。そう、ですね。可能性までこの手で潰してしまうのは、耐えられない」

「でも、やりすぎもいけませんわね。私も反省しました。…………私が心配していたことを伝えた時のソーさまの驚き。あれは、私が家の都合で離すまいとしていると思われていたのでしょうね。本気で、ソーさまの身を案じていたとは思っていらっしゃらなかった」

「そんな。これだけウェルンさんが真摯に思いを伝えていらっしゃるのに?」

「独り相撲だったのは、音楽祭の辺りから自覚していました」

「いえ、きっと薄々は気づかれていたのが、今日のことで確信したのではないかと」

「それで言えば、第一皇子殿下はわかっていて距離を取られているだけ、難物ですわね」

「そう、なのです。聡いからこそ、私のことも気にかけてご自身の身の上ではと…………」


 思ったよりも第一皇子殿下とディオラ姫は思いを伝えあっているのかしら?

 というよりも、それは一度振られているのではない?


 そんな風に思うことはあるけれど、きっとディオラ姫も同じなのでしょう。


「それでも?」

「それでも」


 短い問いに、確かな答えが返る。

 その気持ちは、やはり私も同じだ。


 気づけば私たちは、馬車の中でお互いに笑みを浮かべて、手を取り合っていた。


ブクマ8500記念

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数日かけて最初からここまで読了 読者としてはやっぱりアーシャとディオラが結ばれる以上の望みはない、この二人は悲恋で終わってほしくないな 立場が難しいのは分かるけどディオラに危機が迫ってとか必要に駆られ…
アーシャとディオラ、結ばれて欲しいな、と本当に思うんだけど、それぞれの立場を考えるとどうにもならないのが本当に辛い… 兄皇子、いったいどんな風になっていて、どんな風に絡んでくるのか。 最終学年くらい…
アーシャとデイオラ姫は互いの立場がそれぞれ重い位置、難しい位置なので現状では打開策は無いんじゃないかな~と。 デイオラ姫の兄が何か絡んで来るとか、帝国側でアーシャの立ち位置が公爵二人の策で良い方向で固…
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