閑話79:とある家庭教師
皇帝の住まいである宮殿が占拠された。
それは今も継続中で、壮麗な門前では戦闘が始まっている。
「あぁ…………本当にこれでいいのか?」
俺の口から思わず弱音が漏れた。
そんな俺の心中と反するように、すぐ隣で軽快な声が上がる。
「いい訳がなかろうとも! 自らの手で皇子殿下をお救いする気概も見せられず、後から出張って来た腰の重いユーラシオン公爵よりもさらに後ろにいるなどと! 我々のなんたる意気地のなさであろう!」
よく喋る同郷の幼馴染は、何故か第一皇子の派兵に同行した武官。
そこで冷遇されるところが、一年で帰還ししかも犯罪者組織の打倒と言う成果まで引っ提げて帰って来た。
その上近衛の反乱から、サイポール組、近衛の逃亡などなど、語ることの多い一年を過ごし、英雄と名高いワゲリス将軍の直下に置かれる武官となっている。
どうもその止まらない喋りと気宇壮大な言動を、あえて使ってのロビーに使用してるそうだ。
当人はそれを誇っているので、気持ちまで小さくなるものかと言っていたこいつには、お似合いの仕事なんだろう。
「もちろん君も同じ思いだろう、友よ!」
「いや、俺は…………」
「そうでなければおかしい、そうでなければならない! 何せ君は安否不明の第二皇子殿下の教導たる家庭教師なのだから!」
大げさな言い方は今さらだが、言うことに間違いはない。
俺は数年務め、魔法を教える家庭教師だ。
だが、それでどうした。
「俺は訳もわからず宮殿から退避した。武装もなければ魔法使いなんだ。魔法に制限のかかる宮殿では、何もできはしない」
ここ数年ずっと思っていることだ。
俺には何もできないと。
宮殿に上がって、次代の皇帝と目される皇子に教え、人によっては垂涎の職。
生活の上では十分な給金を受け、宮殿に上がれる誉もあり、上手く第二皇子殿下のおそばに留まれれば、親族や子供も取り立てられる出世の道。
だが、それこそが難しいと、年を追うごとに突きつけられていた。
「逃げたのがなんだね? 戦略的撤退だ! それに君なら皇子殿下の当日の行動と何処におられるかの目星がつくのでは?」
同郷の武官はにんまり笑う。
あまり好感の持てる顔ではないが、けっこうこいつは真っ直ぐなんだ。
任された仕事はどんなことをしてもやり遂げて、誇る。
その上で他人の裏をかいたり、予想を裏切るようなことが好きなのだ。
これはまたろくでもないことを考えていそうだな。
「確かに殿下方がどちらにおられるかについては、予想がつく」
武官の目が光る。
「それは何処なのかな?」
「言うわけがないだろう」
俺はすげなくあしらうと、周りを見渡して見せた。
ここは門前を睨む陣営であり、今門を攻めるのはユーラシオン公爵なのだ。
本来陣営を敷いたルカイオス公爵は別に動いていて不在。
「おぉ、なんと冷たい言葉。ここは置いて行かれた者同士手を取り合おうではないか!」
「俺は確かに置いて行かれたがな。お前は自分でここに残った口だろう」
「それは背中を煤けさせた友がいたから、放っておけなかったのだよ!」
どうせ知った顔があったから情報をとでも思ったんだろう。
道化風でいて考えているし、策士ぶっていて使えるものには飛びつくんだ。
本当にこいつは変わらず真っ直ぐ、行く先を定めている。
自分のことを思うと、楽しそうに働いているだけで、一武官でしかないこいつを羨ましくさえ思う。
友人だと思っている皇帝を裏切り、ルカイオス公爵に情報を流し、第二皇子が周囲と協調できるよう立ち回り、言い方を変えれば妥協するように仕向けている。
「…………はぁ」
「本当にどうした? 宮殿の権謀術数にでも巻き込まれたのか?」
今度は素で声を落として聞いてきた。
本当に俺は煤けてるらしい。
だが、こんなこと言えない。
少なくとも第二皇子殿下や皇帝に不利になる動きはしたくないし、政敵であるユーラシオン公爵の者の耳があるところでなど論外だ。
未だに敵から動きがないのなら、きっとご無事ではあるはず。
そうなるとユーラシオン公爵に確保されて、政治利用されるようなことはないようにするのが、今の俺の最善だ。
「…………お前は、今回のことは管轄外だろう。知って何をしようと言うんだ」
水を向けると、俺が話さないと察してまた道化のような身振りでぶち始めた。
「確かに私はワゲリス将軍の忠実な武官だとも! そして第一皇子殿下の抜擢によって栄誉を得た身! 知っているかね、私の立ち位置を狙う輩がいるのだよ! ふふふ、この私を! 羨んで!」
ワゲリス将軍は、民衆に人気のある英雄となっている。
その近く、不在の間の諸事を任せられるというこいつの立場を羨む者もいるだろう。
片田舎の小領主の子息という、家も継げない子供だったことを思えば、そうして羨まれること自体が嬉しいのだろう。
「実は第一皇子殿下が帰還され、ルカイオス公爵と共に宮殿を取り戻さんと動かれているというのだ! であれば、私こそがお力となるべくはせ参じたかった!」
俺は宮殿の様子を聞き取りするため、この陣営に呼ばれた。
その中で第一皇子が現れたというような声は聞こえているが、姿は見ていない。
「力に、なれると思っているのか?」
つい聞いてしまう。
だが本当にあの第一皇子に、何かこちらから働きかけられるとは思えない。
何せあの方は魔法が得意とは言われないのだ。
理由は簡単で、使わないからだ。
だと言うのに火の魔法、風の魔法の効果的な習得を自ら編み出した。
難易度は高く、覚えなくてもいいが、覚えておけば強力な魔法を使う際にも有用な方法を。
公にはされていないが、水や土の属性にとどまらず、光、雷、氷、岩と言う上位の属性のやり方さえ考案している。
もはや、そこらの魔法の研究者よりも確かな実力があると言うのに、それを誇示する価値もないものとして放置しているのだ。
「確かにあの方のお知恵には、適わないだろう」
同郷の武官も、そこはわかっている。
何せ浅はかな企みで時間をかけ、自らの有用性を演出しようとしていたところを、さらに効果的な手で第一皇子に阻まれたのだから。
そして失敗したと悔やんでいたところに、いつ帰れるともわからない派兵からの早期の帰還。
ワゲリス将軍が英雄として立てる素地を築いたところで、よりよく喧伝しろと仕事を任された。
完全に第一皇子の手のひらの上。
それをきっとこいつは、能力を認められたと捉えている。
実際そうなんだろう。
「だが、それでもまだ子供と言う身体に変わりはあるまい? であれば、この私がはせ参じることで第一皇子殿下のお力になれる可能性はまだ残っているとは思わないかね!」
正直、その顔に浮かぶのは名声欲だ。
だが、そこには自分の力を振るうに値する相手への信頼がある。
そんな顔を見ていると、どうしてこいつはこうなのだろうと羨む気持ちが湧いてくる。
俺とは違う、その迷いのなさが羨ましい。
「そのためにも第一皇子殿下が気に掛けるであろう、帝室の方々の情報をお届けしたいのだ。君もそれで第二皇子殿下の一助となれば報われるのではないかね?」
「残念だが、すでに俺が知ることはルカイオス公爵の部下の方に聞き取りを受けて伝えてある」
「いやいや、それが第一皇子殿下のお耳に入っているとは限らないだろう?」
俺のような者を使って、皇帝と第二皇子殿下をそれと悟らせずに操ろうというルカイオス公爵閣下だ。
第一皇子の噂とは真逆の優秀さは知っているだろう。
「たぶん、ルカイオス公爵閣下であれば、今さら秘する必要はないとお考えだろう」
「む、そうか…………。うーむ、しかし」
先ほどまでの生き生きした様子と打って変わって、顎をこすって考え込む。
こいつが恐れていることはきっと、この機会を逃すことであって、それで自分の有用性が揺らぐとは思っていない。
それに比べて俺は、第一皇子の才能を疑えないことがわかって、悩み、恐れ、自分の価値を示せていないと情けなく怯えている。
第二皇子殿下が学園へ入学された後、もう教えることのない俺は、家庭教師を続けることはできないだろう。
「はぁ」
「む、もしや何処か怪我を負っているのか? ふむそれでは無理をさせるのもさすがに心苦しい。私は私のやれることを今一度探ってみよう!」
諦め悪く自らの手でなにがしかを成そうというその姿勢が、俺には妙に眩しく思えた。
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