閑話78:ストラテーグ侯爵
帝都の宮殿が占拠された。
宮中警護の長官として、ルカイオス公爵側からそれとなく聞かされ、この事態は想定していたため、無人の左翼棟も変わらず警備を置いている。
私自身もできる限り宮殿で目を光らせ、指示を出せるようにしていたのだが。
結果として、皇子の間に逃げ込んで皇帝と共に籠城するとは思っていなかった。
「すみません、起きます。侯爵さま、今は?」
「レーヴァン、まだ休んでいろ」
皇子の間の出入り口方面から聞こえる激しい声に、疲労のにじむ顔でレーヴァンがソファから身を起こした。
しかしこの一番奥の寝室にレーヴァンは必要だ。
「受信機とやらも動いていない。また騒音を聞き取るなら可能な限り休め」
私が見るのは謎のテーブル型の道具。
振子と紙が組み合わさった不可解な装置を、レーヴァンはあれこれと改造した。
その後は小一時間、騒音にしか聞こえない音を聞きわけ、時には自ら鳴らして連絡をするという相当疲労が溜まる作業をしたのだ。
その分情報も得られ、皇帝もねぎらってここで休むことを許している。
「外の音、ここに立て籠ってるのばれたんでしょう? だったらこっちからそのこと連絡しないと」
レーヴァンが言うとおり、今になってこちらにも賊の手が伸びてきた。
どうやらこれだけ遅いのは、会議の予定は知っていても、逃げる先は知らずにいたため。
皇帝の寝室や執務室、本館中央から右翼棟方面を捜索していたようだ。
そして皇帝がいるはずの場所で見つけられず、ようやくこの左翼棟側にも来た。
なまじ宮殿の内部を把握しているから、皇帝がいそうだという先入観で動いたらしい。
それで言えば、この皇子の間を避難場所として想定していた皇帝は上手く敵の目をかいくぐったことになる。
「そんなにすぐ連絡がつくものか?」
「いえ、たぶんこれ鳴らしてる間しか連絡取れません。本来はこの紙に記録して後から見るんで。それも形が違うので向こうはどうやってるのか、いや、ランプか。それでえっと」
疲れてるらしく、思いつくことをつらつらと並べ立てるレーヴァン。
私にわかるのは、そんなに種類があるのかということくらいだ。
そしてあまり公言すべきではないことを漏らしている。
「わからぬことが多いのであれば、あちらからの連絡を待ち動けばいい」
私の消極的な対応に、レーヴァンは怪訝な顔を向けた。
私も目で周囲を示し、意図を伝える。
レーヴァンは思考も鈍っているようで、思い出したように笑った。
「そうですね、下手に触って壊しても、俺はもうどうにもできません」
察して退くレーヴァンは、目元を揉むふりで失態に険しくなった眉間を隠す。
周りはレーヴァンの呟きを拾おうと集中していた。
何せ、画期的な道具を扱えるのは今のところレーヴァンだけであり、その情報を聞き漏らすまいとこの状況で貪欲求めているのだ。
私たちは会議中に襲撃を受け、ともかく避難をした。
ことが起きる可能性は聞いていたから、私や皇帝は即座に会議室を離脱。
残っていた会議中の者たちはどうなったか知らない。
ただ皇帝の脱出を見て同じ扉から出た目ざとい者たちが一緒についてきている。
「すみません、軽率でした」
レーヴァンが小声で謝るのを、首を横に振って応じた。
皇子の間に避難した皇帝に追従した者たちは、私も含めて必ずしも皇帝派閥というわけではない。
それどころかルカイオス公爵派閥でもない者も多い。
「どうしたものか」
伝震装置というものを見て、最初は誰もレーヴァンの奇行と眉をひそめた。
ただこれが画期的な連絡手段ということは、皇帝へと報告する際に知られている。
皇帝からの口止めも、これが漏れるのは時間の問題だ。
ただこの状況で連絡を取るのは、間違ってはいない。
レーヴァンを指名しての無茶な命令も、窮地の今、必要な判断だろう。
「ご本人におっかぶせは?」
連絡を取れと名指しした相手に、ことの対処を投げるようレーヴァンはいう。
対応の速さから、宮殿の外にいるのはわかっている。
つまり、ルキウサリアで何かあり、その上でこの時期に戻って来た。
しかし魔導伝声装置のほうに、事前の連絡はない。
つまり帝室に知られるのは悪手であると判断し、第一皇子自ら動く何か。
「侯爵さま、お顔」
「うむ」
今度は私がレーヴァンに注意される。
私もまた見られているのだ。
伝震装置を扱い連絡を取るレーヴァン、その上司なのだから。
ましてや皇帝と共に当たり前に情報を受け入れた。
伝震装置はもちろん、魔導伝声装置も知らなかった者たちからすれば、私は当事者側。
正直そんなつもりもないのに、だ。
「ストラテーグ侯爵」
皇帝が室外からやってきて声をかけてきた。
そちらからは何か大声で言い合う騒ぎに発展している様子がうかがえる。
たぶん投降を求める賊と、非難する皇帝派の貴族が怒鳴り合っているのだろう。
「どうやら私がここにいることはまだ断定していないようだ。今の内に動こうと思う」
「は、それはどのような?」
というか、何故私に?
いや、動くとは何をするつもりだ?
脱出するにもここの出入り口を押さえられた形は変わっていない。
外と連絡を取ったが、あちらもまだ動ける状況ではない様子だった。
それこそ今は足並みを揃えて動くために待つ時だろう。
「皇妃と皇女を助けに向かう」
「は?」
声を漏らしたのは私だ。
しかし室内にいた誰もが耳を疑って皇帝を見ている。
当の皇帝は当たり前のようにしていた。
そしてレーヴァンへ声をかける。
「アーシャが報せた中に、皇女の間への道というものがあったな?」
「それは、はい」
「あれだけ騒いでいれば室内で音を立てても気づかれまい」
レーヴァンは返答に困って私に目を向けた。
第一皇子が作った暗号でのやり取りは、慣れたレーヴァンでなければ聞き逃しただろう。
さらに聞き取ったのも書き留めたのもレーヴァン。
本当に第一皇子がいう通路があるなら、その場所と開け方を聞いたレーヴァンが主導して皇帝を案内するべきところ。
だから上司である私にまず声をかけたわけか。
「ご命令でしょうか?」
「いや? もう一度場所を教えてくれれば自分で…………」
「ご自重ください!」
思わず声を大きくしてしまった。
ただ周囲の誰もが頷いている。
だと言うのに、何を当たり前の顔しているんだこの皇帝は。
皇帝自身が状況もわからない道を通って、本当にいるかもわからない皇妃と皇女を迎えに行くなど。
「しかし、私がここにいると確定せずに騒ぎが続いている。それならいっそ、私が姿も見えないほうがいいだろう?」
「一階はすでに制圧されている可能性が高いのです。そのような所に陛下御自身が赴かれるなどなりません」
「だが娘の部屋に行くのに他の男を向かわせるのも駄目じゃないか?」
「そ、それは…………いえ、ですが」
微妙に反対しにくいことを言いだした。
そしてやると言っただけでなく、引く気がないから口にした気配がある。
このやりにくさに思い浮かぶ顔があった。
ひっそり隠れて生きているように見せかけて、誰も見ていないなら遠慮なく常識を投げ捨てる何処かの黒髪の皇子の顔だ。
なんでこういうところで親子が似ているんだ、まったく。
「ルカイオス公爵のほうもまだ整っていないようだし。助ける時間はあるだろう?」
「そういう話ではないのです。こちらも動くのならば相応の準備というものがありましょう」
「あぁ、貴殿らは何をする必要もない。気にするな。私だけでもかまわな…………」
「そういう話ではないのです!」
十年ほど前までは周囲の様子を窺う右も左もわからなかった皇帝が、どうしてここまで図太くなった?
いや、実を見て木を知るともいう。
つまりは、あの皇子あって、この皇帝ありということか。
慣れずに言動に出せなかっただけで実はこれが素?
などと思っている内に勝手に行動を始め、皇帝は自ら救出に行く気満々だ。
私も職務上一人で行かせるわけにもいかず、結局連絡係のレーヴァンは置いて、この場にいる宮中警護全員で事に当たることになったのだった。
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