閑話73:とある従者
ルキウサリアには十年以上ぶりに足を踏み入れた。
以前は自身の子の発表を見るためだが、それよりはるか前には自らも音楽祭を催す側だ。
学園の音楽祭が近い今、懐かしさと賑わいを感じ取れるが、それは馬車の向こうの話。
馬車の中には私と、父の従兄であるルカイオス公爵閣下。
そして私の他に一名の若い従者もいるが、私たちは押し黙っていた。
うっすら笑みを浮かべて窓の外を眺める閣下の心中を推し量れないのだ。
「そう見据えられると、穴が開きそうだ」
「失礼いたしました」
私たちのぶしつけな視線への対応だが、軽口とは珍しい。
それだけ機嫌がいいということか。
理由は、今辞した屋敷に滞在する方、不要な第一皇子。
「聞きたいことがあれば質問を許そう」
ゆったりと馬車の座席に背を預けた閣下が、そう切り出した。
しかし私ともう一人が思うことはきっと同じだ。
あんな噂と違いすぎる皇子を、放っておいていいのかと。
しかしそんなこと、許されたとしても言いにくい。
そもそも第一皇子の排除は、第二皇子殿下のためには必須。
ましてやあれが実像だとするなら、より難しいこともまた必定だった。
「ふむ、ではどこが噂と違うと感じた」
閣下はこちらの内心を、しかと見定めて仰る。
相対する者の心中を捉えながら切り込む方なのだ。
肝の太さが私のような凡人とは違う。
そもそも公爵家の三男であった閣下は、優秀な長兄が不慮の事故で亡くなったことで動かれた。
次兄は族内でも評判が悪く、次期当主となる時には騒然としたらしい。
しかし長兄の訃報を受けて、当時修道会にいた閣下は即座に還俗。
次兄を廃して自らが公爵となって、ルカイオス公爵家を権勢の中心に引き上げた。
間違った選択はしないというのが、この方への一族からの信頼だ。
「…………第一皇子には、帝位を狙う傲慢、勤勉さとは縁遠い怠慢、弁えを知らないふるまいの驕慢と噂は絶えずありますが」
「噂と違ったか?」
「いえ、まさに噂のとおりでした。それ故に、なるほど不要な皇子なのだとも…………」
そう、不要なのだ。
皇妃の子ではない皇子に、何一つ必要のない性質だった。
傲慢にも思える泰然とした態度も、優れた師がおらずとも光る明晰な頭脳も、閣下を前に一歩も譲らぬ豪胆さも。
何一つ帝位に至らせるわけにはいかない皇子が持つだけ、争いの種にしかならない無駄な才覚。
「確かに、帝位を狙うという邪推以外はそのままか」
当たり前のように今までの定説を翻して見せる。
しかし、思い返せば派兵を受け一年で戻り、今回の留学もあえて入学せず、実際は国を動かす成果を作っている。
帝位を狙える実力がありながら、その才を極める動きもなく、自ら身を引く場面であるとわかっていて動かない。
裏でいったい何をしているのか、計り知れない素質があることはわかったからこそ、本当に帝位を狙っていないのか疑わしく、恐ろしい。
「閣下…………! あの第一皇子は危険では?」
黙っていた若い従者が、意を決して声を上げる。
「本当に帝位を望まないと言えるでしょうか? これだけ伏していたのは、より高みを目指してのことではないのでしょうか?」
それは私も思うところだが、閣下は笑う。
「その気であれば、もっと手を打っている。ご本人が仰るとおり、今まで大人しくしていらした。悪意に満ちた噂も放置するほどに」
「しかし、才知あればこそ、日の目を見る時を計っているとも思えます」
若い従者はなおも疑いを口にする。
あの様子を見れば、何も考えず大人しくしていることはないと私も考えた。
呆れるほど人がいないのは、身を飾って並べる貴族の人材さえいないことからわかる。
そうであるにも拘らず、帝都の状況を的確に話、閣下の動きも間違わず捉えていた。
あれは、私たちに見えていない裏の顔があることの証左ではないか?
「閣下を脅すようなことも口にされていたではありませんか」
「あれこそ、あの方の素直なところではないか」
「は、素直?」
私は思わず、横やりを入れるように聞き返してしまった。
しかし閣下は手を振って気にしていないことを示すと、続けられる。
「私なら、敵を前にお前を排除するなどとは言わん。全て整えて、排除し終えてから、必要であれば言うかもしれんが。陥れる相手に警戒させるだけ無為だ」
つまり、できる力があると脅すだけ、対策の時間を取られる。
それをやらずに目の前で言うだけ、第一皇子は素直であると。
自ら兄を追い落とした故に、近い血縁の兄弟からは人材を得られなかった方だ。
閣下は実力があれば登用し、自ら使うほどには、他の才能を見抜き取り上げる。
そんな方ができないと言わないのであれば、あの第一皇子なら、権勢を誇る閣下を本当に?
「何より、そう、何より上手く事が運んでくれたのは、あの方に他人からの評価を期待することをやめてくださったことだ」
変わらず笑みで仰る閣下は、何処か肩の荷が下りたようなお顔だった。
第一皇子のことであるなら、それは他人を信頼できない性格を見抜いたのだろうか。
周囲に人が少ないのはそれが理由か?
それとも期待しないからこそ、帝位というわかりやすい羨望の的にも興味がない?
なんにせよ、そうしたのは閣下だ。
幼くして宮殿に上がった第一皇子を端に追いやり、皇帝陛下も近づけぬよう手を回した。
「他の者から隔てたことが正解であったと言えるほど、賢すぎたと?」
「そうも言えるか。期待するだけ無駄、自ら立とうとするだけ煩わしい。そう幼い内に悟ったのやもしれん」
あの第一皇子にとって、帝位は望むほどのものではないと。
確かにそうかもしれない。
皇子であるから窮屈で、皇子であるから睨まれる。
だから帝位など狙わず、騒がれるような才覚は使わず、そのような策を弄した閣下を前に怯むこともない。
そう幼少から示されたなら、聡いからこそより苦境を悟ることもあるのだろう。
「では、あの方は留学から戻らぬ気だったのでは?」
閣下は戻るようにとお声をかけられ、第一皇子はそれに応えていた。
「いや、戻るであろう。戻らぬ選択など、今までいくらでも選べた。しかし帝位どころか皇子であることにも価値を見出してはいない。宮殿での暮らしにおいて地位を軽視するのならば、あとはもう家族の下へ戻ることを考えよう」
「家族?」
思わぬ言葉に驚くと、そんな私に閣下は苦笑した。
無礼な思いが読まれたかもしれず恥じ入る。
何せ閣下は自ら兄を追い落とした方だ。
そんな方がとは思うが、それも結局は他の家族、私も含む血族を守ることになっている。
「情のない者など、信用には値せん。自らの利益のみを追求する者に、預けることなどできはしないのだ。そして情に流される者など論外だ。甘え竦んで何を成すこともできはしない」
断言されるのは、閣下が見てきた経験からか。
そうであるなら、情がなく預けられぬと切り捨てたのは次兄。
そして情に流され何も成せなかった誰かがいるのか。
「だが、ただ情を裏切らずに進む者は強いぞ。立て直し、人を動かせる。…………あの方の進む先が帝国の安寧であるならば、そのためにも一度宮殿に戻っていただいて、陛下の足元をさらに固めるためにも尽力していただかねば」
閣下の機嫌がよい理由が腑に落ちた。
今まで距離を置いていたため、第一皇子という地位だけで不要な存在。
未来の皇帝の正統性に傷をつける有害ですらある皇子だった。
だが、言葉を交わした今、閣下にとって第一皇子は有用に変わった。
立て直し、動かせる者。
第一皇子が評価を求めず、雌伏し、宮殿へと戻る姿は、閣下に変わらぬ情のあり方と、信用に値する価値を示した。
「しかし惜しい。あれがテリー殿下でも越えられる高さであれば、良い踏み台となったものを。こうなれば、殿下を守るための的となってもらうしかない。それではテリー殿下が余計に情も傾けようが」
「つまり、閣下はあの第一皇子が、テリー殿下に勝ると仰るのですか?」
若い従者が驚愕を禁じえずに聞くのを、閣下は無言で見据える。
答えはないが、それが答えだ。
テリー殿下は優れており、人格も清廉で、学園に入れば貴公子として名を轟かせるだろう可能性をすでに示されている。
だというのに、その才は身分の低い生まれの第一皇子に劣ると、閣下は考えておられる。
だからこその、的。
攻撃され、第一皇子という看板が痛むように望まれるのだろう。
しかし第一皇子はそんなもの意にも介さず自らの信じる道を行く。
それは何処までも並行で、閣下と交わることのない道のように思える。
なまじ見据える先が同じであるからこそ、隣り合って衝突もあるほどの。
「しかし、わしはそんなにわかりやすかっただろうか? …………どうも心胆全てを覗かれたようだ。面白い方だと他所ごとを考えると必ず睨まれた」
そう言って頬を撫でる閣下に、私はいつの間にか間抜けに開けていた口を閉じる。
閣下はやり手だが、どうやら第一皇子は天性の読心術も相当であるらしかった。
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