閑話70:ディオラ
ある日、私は学園で思わぬ相手から声をかけられた。
「これはディオラ姫、お時間はおありですかな? 少々この老人にお付き合いいただけませぬか」
「これはテスタ老」
ルキウサリアに留まらず、帝国に連なる国々においても薬学の権威である方。
世界でも薬術の分野における最高峰であるその人だ。
私は何度かお顔を合わせたことはあるけれど、周囲の学友たちは一歩引く。
「わたくしでよろしければ」
「おう、学問の邪魔にはならないであろうことは保証します故。学友方には失礼ながら」
「はい」
私が応じれば、テスタ老は他の同行を断る。
テスタ老とよしみを通じたいと願った学友たちは、迷いない私の返事に落胆した息を吐いた。
しかしわざわざ声をかけられたことには、何かあるはず。
考えられる理由は二択で、テスタ老の分野である薬学ではない。
私の血筋である王家に関してでもない。
この方はもう一つ、権威として第一人者と呼ばれる分野がある。
それは封印図書館。
そして私が考えうる二択は、その封印図書館とそれに関わるとある方について。
「場所を変えてもよろしいか?」
「えぇ、もちろん」
二択のどちらであっても、余人があっては話せない内容なので、私は学友と別れてテスタ老について歩きだした。
行く先は会議室かサロン室かしら。
そう思ったのだけれど、辿り着いたのは学園を形作る城の面影が残る、尖塔の一つ。
「こちら、ですか?」
兵一人が登って見張りを行うための、狭く何にも使えないはずの場所。
時折男女の学生が消えるとも聞いたことがあるので、密かに話すには向いているのだろう。
「足元にお気を付けを」
見張りよろしく尖塔の階段前で、テスタ老の助手の方がそう言ってくださる。
きっと人払いがされているのだろう。
「私は、こちらには始めて参りました」
「そうですか。ではこちらからの景色も初めてですかな?」
人一人寝ころべばいっぱいの部屋で、テスタ老は窓の一つを示した。
窓枠もない吹きさらしで、見張り用の簡素さが際立つ。
ただそこからは湖が良く見え、決して悪い見晴らしではなかった。
「あら、湖のほうから声が聞こえますね?」
「ほう、やっておりますな」
テスタ老は楽しそうに、尖塔から下を見る。
私も同じく窓の外を窺うと、どうやら湖の側で学生が遊んでいるらしい。
樽や水槽などを用意して、立てた柱には布を張っていたりする。
「あ、あの方たちは…………」
見慣れない者もいるけれど、目立つ異種族は錬金術科の学生だと判別できた。
どうやら水らしきものを放って、布を色付けしている様子。
私は気づいて、すぐに銀髪を探し、湖の際に座り込んでいる姿に胸が大きく脈打った。
特別何かというわけではないけれど、その姿が見えるとつい嬉しくなる。
なかなか会えなかった昔からの反応だ。
会えないのは今も同じだけれど、偶然にも会うことのなかった以前よりも、こうした機会があることが嬉しい。
「さて何をなされているのか…………」
どうやら今回のテスタ老のお誘いは、帝国第一皇子であるアーシャさまについて。
つまり、アズロスという生徒の正体を知っていることになる。
そう言えば師事する形で留学されているのだから、本来は一緒にいらっしゃるはずの方。
それがこうして学園にいるなら知っていて当たり前だった。
「錬金術科では何をなさっているのでしょうか?」
「懇親会であると聞いておりますな。錬金術の道具を使っての遊びだとか」
確実にテスタ老が私に見せたかったのはこれなのでしょう。
見ている間に、水で打ち合う的当ての遊びを続けている。
「しかも第一皇子殿下が作った物を改良したと、小耳に挟みましてな」
テスタ老は偶然を装って言うけれど、確実にどこかから情報を得ている様子。
アーシャさまの家庭教師である方かしら?
ほんの少し、私もそのような伝手を作りたいと思ったけれど、今は話しに聞いたものの実物を見られたことが何より嬉しい。
「私もお手紙であの玩具のことは聞き及んでおりました。下の殿下方で遊んだと」
「ほう、同じようなものでしたかな?」
「いいえ、もっと種類があったはずです。水の飛び方が違うのだそうで」
「おひとりで数種類を考えられたと。して飛び方というと、距離ですかな?」
「速度や、水が途切れず放水する形のものなどでした」
懐かしく、アーシャさまと交わした手紙について話をした。
その間も眼下では、懇親会というに相応しく、声を上げての競争が行われている。
ただ惜しいのは、アーシャさまはほぼ動かずにいること。
ご自身で考案したのだから、いくらでもやりようはあるはずなのに、目立つ位置にも立とうとはしない。
そして盛り上がりで言えば、アーシャさまのクラスがやり合うよりも、他の二つのクラスが対戦したほうが白熱した。
「もっと、できるはずですのに」
思わず漏らすと、テスタ老は頷いてくださった。
「いたし方ありますまい。それほど差があるのです。あの方は生まれ持った才能もさることながら、年月をかけて研鑽された」
「はい、そうですね」
「しかし、わかる者はわかっているでしょう」
テスタ老はそう言って、窓の外を指し示す。
見れば、対戦を終えてアーシャさまの周りには人が集まっていた。
口々に話しかけ、それにアーシャさまが対応している。
声をかけるのはクラスメイトたちに限らず、上級生らしい方からも声がかかっている様子。
確かに、わかる者にはアズロスと名乗るアーシャさまの非凡さがわかっているようだ。
ことの中心が誰であるかということが。
「学問としての発展には、まず何より有用性を示すこと。広めることなのです」
テスタ老は生徒に教える教師のように語る。
「それで言えば、あの方はこの学園という唯一広めるための場が残った場所を選ばれた。故に、まずは共に広め、示すための同志が必要となります」
「わかっております。しかし、錬金術科がありながら、私どもはあの方に有用な人材を紹介することさえままならないのです」
学園を誇るルキウサリアは、現状アーシャさまに育ててもらうような形だ。
その上で、封印図書館についてや交通に関してもお力を求めている。
アーシャさまが入学されて以来、王城の中で魔法使いたちも活発になった。
きっと私にも知らされてない別の研究がおこなわれていることだろう。
それは、テスタ老が言うとおり有用性を示し広めるための努力。
「…………今日は、お誘いいただきありがとうございます」
「何、一人ここに来るのは憚られたもので。こちらこそお時間をいただけたことに感謝を。それに、あの方の幼少のお話も興味深くありました」
テスタ老は言葉のとおり満足げ。
「楽しみ、共に楽しむ。なるほど、あの方の幅広い活用に対する視点は、日々の生活に即しておられるのですな」
「なかなかお会いできない弟君との時間を大切にされています。その上で何をしようかと考えられていました。ですからきっと、危険なことは最初から考えてもいないのでしょう」
「…………かの図書館に関して何かお聞きに?」
「いいえ。ですが、決して容易なからぬことであることは理解しております。ただ密かに交流を持つことを喜ばれたあの方が、自らの名を絡ませながら、成果を多くは出さないよう計られているのですから」
膨大な図書の量は私も見ている。
その上で、見える形にされているのはごく一部だけ。
それだけしか出せないような内容だったのだろうと思う。
やすやすと触れてはならないような、そんな内容。
だから封印図書館から私を外すような形であることを、かつて詫びていらした。
きっと長く出入りを厳格にされるため。
「わかっていて、実態をお聞きになることは?」
「いたしません。あの方の重荷になりたいわけではありませんから」
テスタ老は感心したように頷かれた。
何が琴線に触れたのかはわからない。
少なくとも、関わっていらっしゃるこの方よりも、私では関わるにも力が足りないことはわかっているつもりだ。
けれどきっと、私のこの我慢は間違ってはいない。
テスタ老の反応はそう思わせてくれる。
だったら少し、もう少し心配や不安を押し込めて、少しでもあの方に近づけるよう頑張ろうと思えたのだった。
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