閑話69:ノマリオラ
ルキウサリアでの生活も一年が過ぎ、非常時の対応にも分担ができるようになった。
私が大恩を受けたご主人さまも、二重生活に慣れて来きていらっしゃるけれど、その才能を放っておかれることはなく、いつでもお忙しい。
「え、レーヴァンも婚約者と歳が離れてるの? まさかそっちも押しかけなんてこと…………あるんだぁ」
「こっちはもっと他愛ないことで。っていうか、トトスさん。ペラペラとプライベートを」
「先に婚約がどうこうと絡んで来たのは誰だ」
ご主人さまは二重生活の上、第二皇子暗殺阻止という大変なお働きをして戻られた。
家族思いの方で帝都まで戻られ、手を打ち、今は他愛ない話に興味を持たれている。
話しているのはミルドアディス警護官の、一回り下の少女と軽い口約束から始まった婚約話。
話を聞きつつ、同時にご主人さまは報告書にも目を通していらした。
報告内容は魔石を作るという前代未聞の功績について。
ただ自らが弟殿下の邪魔にならないよう身を引く献身のため、老学者へと譲ったもの。
惜しむ思いはあるけれど、誰かのために行動するその姿勢も尊い方だ。
知るほどに、私はご主人さまに尊敬の念を抱いていた。
「大きくなったらお嫁さんにしてなんて、本当に言う子がいるんだね」
「いや、大人への憧れとかでちょっとおませな子はけっこう言うと思いますよ。けど、本気で準備されてるとは思わないじゃないですか」
ミルドアディス警護官にそう言われて、ご主人さまは首を捻る。
そして目を向けるのは、私の最愛の妹テレサ。
「テレサもそういうことあった?」
「いえ、私はベッドの上だったので。こうして家を離れるのも初めてのことですし、多くの方と交わることも経験がありませんでした」
テレサは呼吸に難があり、食事さえままならないほど病弱だった。
それを救ってくれたのはご主人さまで、素晴らしいお知恵と技術をお持ちだ。
苦しむ者がいると知って惜しみなく与える度量の広さもある。
今日もその素晴らしさが曇ることなくあられるのも、また尊い。
「殿下、他人ごとですけどね。仕える者の身の振り方も主人の裁量ですよ。テレサのお相手とか考えてないでしょ」
「まだ早いので差し出口をなさらないでください」
不躾な軽口に私が目を向けると、ミルドアディス警護官は首を竦めた。
ただ思わぬ方向から声が上がる。
「ご主人さま、結婚のお世話は私よりも姉にお願いします」
「テレサ?」
「まぁ、そうだよね。上から順番に結婚しないとやりにくいって聞いたことあるよ」
ご主人さままで…………。
私は余計なことを言ったミルドアディス警護官を見据える。
さらに身を引くけれど、それをトトス警護官が押し返した。
しかし今度はご主人さまから埒外の言葉が出る。
「ノマリオラ、結婚したら帝都に帰る?」
「はい?」
「あれ、違った? あ、それとも家に入るから侍女辞めることになるのかな?」
ご主人さまの言葉に愕然とした。
確かに結婚すれば家のことに専念しなければならない。
さらには女の身では出産もあり、今までどおりとはいかないだろう。
宮殿勤めの夫人は、出産以外は他人に任せられるか、もしくは育児も終わった後の夫人たち。
私とは状況が違いすぎる。
「ね、姉さん?」
私があまりのことに足元がふらつくと、テレサが心配の声をあげた。
優しい妹に心癒される思いもあるけれど、今はこの問題にどう答えるか。
私はテレサの成長を見たい。
ご主人さまのお力になりたい。
この職はその両立が叶う素晴らしいお勤めだ。
けれど結婚相手によっては、続けられないことになる。
「失礼します。殿下、すみませんがこちらの書類にもサインを」
入って来たのは見慣れたスクウォーズ財務官。
私はその姿にすぐさま歩み寄って、色黒で男性らしく骨ばった手を取った。
「ご主人さま、この方との結婚をご了承いただけますか?」
「はい!?」
「え、そういう関係だったの、ウォルド?」
「ち、ちが、違います!」
大きく首を振って否定するけれど、握った私の手は振りほどかない。
どころか汗がにじんで熱も高まって、緊張が丸わかりだ。
目を見れば、すぐさま視線を逸らす。
けれど手の熱からすれば頬は染まり、どう考えても照れているのでしょう。
これで脈がないことはない。
「結婚後もご主人さまにお仕えし続けるためにも、応じてくださいませんか?」
「あ…………! そういうことですか。けど、あの、そんな理由で自分を選ぶのはどうかと」
「私では不満ですか?」
「そ、そんなことあるわけがないでしょう!?」
返事を求めると身を引きながらも、慌てふためいてやはり脈ありの返答。
というか、繋いだ手があるので離れられないのに、よほど混乱していると見える。
これは押せば行けそうな気がする。
「私を憎からず思っていると感じたのは勘違いですか?」
「そ、あ、それは、い、いぃ、いつから?」
「ともにご主人さまに仕え始めた当初からだったと」
スクウォーズ財務官は汗を浮かべて慌てるけれど、否定はしない。
ただお優しいご主人さまは、私を窘めた。
「ノマリオラ、強要したらだめだよ。ウォルドも落ち着いて、ちゃんと気持ちを言おう」
この成り行きに困りつつも、ご主人さまは何処か楽しそうでいらっしゃる。
スクウォーズ財務官は周囲に目を向け、全員が見ていることに気づいてさらなるパニックに。
結果、あらぬことを口走り始めた。
「確かに私は侍女どのを意識していました。というか、あなたにそのような感情を抱いて初めて自覚したのですが、私は自立した女性に惹かれるようでして、その!」
完全に目が泳いで、何を口走っているのかわからなくなっているらしい。
「いじめられていた私を庇ってくださる大叔母のしたたかさに子供心に憧れを抱いていたのです! それが原因で女性に関してもそのように思っていたようで、あなたのしたたかさを見るにつけ、素敵な女性であると感じていました!」
別にスクウォーズ財務官の趣味嗜好の発露はどうでもいい。
けれどその大叔母は、確かご主人さまの派兵に際して守りについてくださった小隊長さま。
あれほどの方と並べられるなら悪い気もしない。
「とは言え、あなたに好かれる要因もなく! ましてや理由が仕事を続けることであれば、私である必要もなく! それで、あの…………!」
「いえ、あなたがもっとも適齢期です」
ご主人さまの周囲は、年齢が外見に現れない方が多い。
けれど十年以上もご主人さまに仕えているので、私との年齢差もそれなりだ。
それで言えば、同年代はこの財務官だけとなる。
「そうではなく、えっと、あの、その…………!」
だいぶ参って言葉も出なくなっているのなら、お断りされる前に押したいところ。
そう思っていたら、一方的に繋いでいた手を強く握り返された。
「あ、あなたに並んで恥ずかしくない自分でいたいので、まずはちゃんと場を設けて交際を申し込むところからさせてください!」
「はい?」
予想外の反応をされた。
けれど勢いで言ったスクウォーズ財務官はそのまま続ける。
「私としても! 大事な者を心のままに慕うあなたの姿勢は好ましい。何より実家での不遇を全く苦にしないその強さに惹かれております。どうか、今少しお待ちを! か、覚悟を決めて、ご挨拶の段取りを整えますから!」
「は、はい」
押されてつい返事をしてしまったけれど、これは応諾と思っていいのかしら?
あら? 挨拶とは何処へ?
交際と言いつつ、その先について話しているような?
私が他所ごとを考えると、スクウォーズ財務官も正気づいて大汗をかき始めた。
さらには、握っていた手を離して、自らの手を上げたり下げたり忙しい。
いっそのその慌て具合が私にも伝播しそうな心地にもなってきた。
「し、失礼しました! あの、その、あ、頭を冷やしてきます!」
叫ぶと、そのまま部屋を出て行く。
何もできず見送ると、ご主人さまが一つ息を吐いて呟いた。
「何か、サイン必要なんじゃなかったっけ?」
「…………すぐに呼び戻します」
「え、無慈悲」
ご主人さまの呟きは聞こえないふりで、私は視線が集まる部屋から逃げる。
顔に出ないたちで良かった。
何より、うるさいほど身の内で鳴る鼓動の音を、誰にも聞かれることがなかった事実に、一人廊下で安堵することになったのだった。
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