閑話62:ストラテーグ侯爵
帝都の宮殿にある宮中警護長官としての執務室、そこに久しぶりにイクト・トトスがいた。
「は!? レクサンデル大公国の競技大会見物? ちょ、ルキウサリアにいないのに俺なんであっちにとんぼ返りしなきゃいけないんです!?」
「うるさい。元はと言えば、今の時点でルキウサリアにいなければいけないというのに。何故出発直前に滑って転んで手足を挫くのだ、愚か者」
不満を訴えるレーヴァンに、トトスは辛辣に返す。
ただそのとおりなので、私もレーヴァンをフォローすることはできない。
季節外れの雨の後だったとか、石畳だったとか、転びそうになるご婦人を支えたとか、自分の受け身がおろそかになったとか理由はあるが。
それで足をねん挫して、治る頃にまた同じようなシチュエーションで今度は足を庇って手をねん挫するとは…………。
「けど、いない殿下の警護なんて必要ないんですし、いいじゃないですか」
宮中警護として甚だ問題発言だが、トトスが即座に肘鉄を入れたので今のは聞かなかったことにしよう。
というか、ずいぶん嫌がるな?
「レーヴァン、何か懸念があるなら報告をしろ」
「いえ、報告するほどのことじゃないんですけど…………殿下いないと、ダム湖に常駐する学者に絡まれるんですよ」
「あぁ…………」
レーヴァンの愚痴染みた報告に、トトスも同意の声を漏らす。
「テスタ老や、帝国やルキウサリアの学者ということか? 絡むとはいったい?」
報告を促せば二人から思わぬ話が聞こえた。
「私もアーシャ殿下の錬金術を見ていたのでわかることはわかるので、質問されることがあります。しかしほとんどのことはわかりません。ただ、似たような実験をアーシャ殿下が行っていた場合はその事実だけを伝えます」
「で、俺も同じ宮中警護だから知ってるはずだろって聞いてくるんです。違うなんて今更言えないですし、もう完全にあそこ第一皇子殿下のファンの集まりになってて、言ったら最後、年上から囲まれての説教ですよ」
「そ、そうか」
傾倒してるとはレーヴァンから聞いていたが、そんなことになっているのか。
「もう、話が長いんですよ。こっち戻ってくる前とか、殿下が人間は逆立ちしても物を飲み込めるなんて変なこと言い出して。その実験で逆立ちしても平気だからって、俺がやらされて」
「私がこちらへ戻る前には、アーシャ殿下が残された課題から、錘を動力に稼働する機構の組み立てと、落ちる力の働きについて何やら言っていたような?」
「待て、訳がわからない情報を挟むな」
あそこで研究してることなんて、学者にしか理解はできない。
だったら必要な情報と状況を理解しなければならん。
「つまり、殿下がいるよう偽装するためにやって来るお前たちを捕まえて、長話をするんだな? お守りする殿下がいないために、時には実験につき合わされることもあると」
「「おっしゃるとおりです」」
仕事の邪魔とも言えない絡み方に、元凶となった皇子へため息と愚痴が漏れる。
「大人しくしているならそれで構わなかったのに。何故こうなる?」
六歳頃にはいっそ興味のなかった相手で、それで問題がないと思っていた。
ディオラ姫が関わって警戒対象となり、それがいつの間にかレーヴァンを使われるようになっている。
口出しをしたら自らも巻き込まれ、今では完全にあの殿下の都合に巻き込まれていた。
故郷の危機に口や手を出さないことはできなかったのだ。
しかし、やり方を間違えた感が否めない。
「私はいつになったら隠居できるんだ…………」
侯爵としての息子が生まれて成人までと思っていた。
ところがその後に犯罪者ギルドの掃討に、第一皇子派兵に際しての文書偽造の告発。
近衛の反乱にもトトスが関わってるせいで、私も知らないふりはできず、さらに遠い伝手を伝って、元近衛の事件に関する陳情が持ち込まれたり。
ルキウサリアに向かえば入学体験で問題を起こし、封印図書館を発見すると目が離せなくなった。
私は今、ストラテーグ侯爵の名を譲るどころではないほど、問題を抱えてしまっているのだ。
「今のルキウサリアに戻るのもどうなんですかね」
「アーシャ殿下としてはどちらが都合がいいのか」
レーヴァンは懸念がわかってるからこそ軽口を叩くが、トトスは完全に私を巻き込むつもりで言っている。
本当に最初から今日まで目上を敬う気のない奴だ。
いや、そう言えば最近妙な噂を聞いたな。
第一皇子から離れる気がないので気にしていなかったが、一応上司として確認は必要なことだ。
「…………そう言えば、若い娘を囲ったと聞いたが、報告はないのか?」
珍しいことにトトスが肩を揺らすほど動揺した。
しかもその後に諾否も言わない。
普段なら不躾なほど揺らがない目も、下に落とされて合わないほどだ。
そんな様子にレーヴァンは茶化すように口笛を吹いた。
「え、否定しないってことはほんとに? 錬金術科の卒業生って言うから、どうせ殿下関係で一時的に引き受けたとかだと思ったのに」
私よりも興味を持っていたらしいレーヴァンは、相手の身元もわかっていたようだ。
卒業となると、十六か十七か。
トトスは全体的に皺がないため若く見えるが、一回り以上違う。
私は驚きとともに思わず言わなくていいことを漏らしてしまった。
「レーヴァンよりも歳の差がある相手か」
私の言葉に、トトスがレーヴァンの肩を締め上げるように掴んで距離を詰める。
「ほう? そのにやけ面で女児に迫っているわけか?」
「んなわけないでしょ!? さすがに成人してますわ!」
最近成人したことは言わないでおこう。
ただ、一つレーヴァンがルキウサリア行きに難色を示した理由に思い当たる。
「レーヴァン、まさか婚約者に会いたくないからルキウサリア行きを渋っているわけではあるまいな?」
「ま、まさかぁ」
「おい」
思わず侯爵らしくない声が漏れたのも仕方ない。
相手は貴族令嬢で、ルキウサリアの宮殿でも安定した政治運営で知られる家門。
本当なら出自も不明なレーヴァンには巡らない相手だ。
私が父親であることも伝えていないが、それでも相手の令嬢のたっての願いでできた縁だった。
ルキウサリアの陛下も、相手の令嬢を知っていて浮薄に振る舞うところのあるレーヴァンには、良い重石となってくれると推す相手。
そんな令嬢に会いたくないとはどういう了見だ?
「そんな睨まないでくださいよ! いや、冬に帰る前、いっそ帝都に連れ帰ってくれって散々強請られたんです! 帰ってこないならいっそ連れて行ってくれって! けど、それ聞いたお父君がすんごい顔されてですね!」
「当たり前だ。ルキウサリアで婚姻して家を建てると言うのが婚約の時の」
「そう言う話なら、私は次にレクサンデル大公国へ向かうための準備のため失礼を」
「ちょぉっと、トトスさん! 一人で逃げないでくださいよ! 同じ幼な妻迎える者同士じゃないですか!」
私の説教から逃れようと、レーヴァンはトトスを捕まえる。
ただ幼な妻という言葉にトトスも嫌な顔をして足を止めた。
「私はまだ婚約もしていない。そんなことになると決まった訳では」
「えぇ!? 婚約者でもない相手を家に住まわせてるんですか!?」
「あれは無人の間貸すというだけの話だ。ニノホトの文化上、過ごしやすいだろうと」
「お、案外相手のこと気遣えるんじゃな…………いてててて!」
調子に乗ったレーヴァンの顔を、トトスが正面から掴んで締め上げる。
しかし上司として聞き捨てならないこともあった。
「婚約も整ってない女性を家にいきなりあげるとは。さすがに宮中警護としての品位に傷がつきかねん。きちんと身を処してから段階を踏まないか」
「…………あちらは、本国の許しを得る、状況でもないので、今は、大使館と、協議中、です」
あまりにも歯切れの悪い答えに、私はレーヴァンと顔を見合わせた。
「あの、トトスさん? もしかして外堀埋められ中ですか、って、痛いですって!」
今度は額を中心にこめかみを締め上げられるレーヴァン。
しかし否定しないことからその推測は正しいようだ。
なんだかいっそ、あのトトスをここまで狼狽させる令嬢に興味が湧いてくる。
というか、ニノホトに許可を求めなければならないほどの血筋なのか。
年齢以上にあのトトスが気後れする理由もありそうだ。
故郷に戻らないつもりだと思っていたが、それとは別に故郷を重んじる思いはあるのかもしれない。
「ともかく、レーヴァンはルキウサリアへ行きあちらの家にきちんと弁明を。トトスはそうした醜聞になりかねない状況はきちんと報告しろ。そして場が整った時にも報告だ。いいな?」
私の上司としての命令に、揃って返事をしない。
全く本当に、私はいつになったら隠居ができるのかわかったものではなかった。
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