閑話59:ヨトシペ
平地ならまだ冬の始めという季節。
すでに雪に閉ざされた山の上で、私は人心地ついていた。
「助かっただすぅ」
「この季節に山に入るなんて無謀すぎよ、ヨトシペさん」
「面目ないでごわす。通り抜けるならいけると思ってしまったんどすぅ」
実際私の特異な身体強化魔法を使えば、大陸を別つ山脈を越えることもできる。
ただ今回は進路を変えて山登りをしたせいで、狂いが生じて少々辛い状況に陥っていたのは否定できない。
「山向こうは天気が違うのはわかってたんだすが、トンネルを抜けた途端豪雪に見舞われるとは思わなかったでげす」
私は北の大国ロムルーシから南へ、かつて帝国の手で穿たれたという山の中の道を。
そこを通るのは初めてじゃないけれど、こうして山脈を形成する山の一つの山頂を目指すのは始めて。
こんな村があるということだけは知っていたけれど、豪雪と共に配分を間違えた。
「いやぁ、この村のこと聞いてなかったら危なかっただす」
「あ、ロムルーシのほうでもこの岩盤浴が噂なの?」
私の体調を見てくれるのは十代半ばくらいのイタチの獣人の女の子。
辺境の村で育った割りに丁寧で弁えた様子があり、何処かで教育を受けたのは明らかだ。
「そうとも言えるでごわす。このカルウ村に気持ちいい岩盤浴と温泉があるって、赤い熊の獣人さんから聞いただす」
これは、本当。
お使いついでに入ってみればいいとは言われている。
けれどまさか身体強化を使ってもなお凍えた体を、これだけ温かくしてくれるとは思わなかった。
「もしかして、軍に同行してた方かな? でも、帝都の方のはずだよね?」
「そうどす。ロムルーシに里帰りしてたのに会ったんでごわす。それでホーバートの将軍に手紙を預かってここに寄ったんでげす」
私の答えに少女は目を輝かせる。
共通の知人を話題に出すと反応がいいのは何処でも一緒だ。
ただ、私のふざけた口調に全く反応がない。
たぶんこういう方言が遠くにはあるくらいの認識で、通じればいいというくらいのもの。
それは田舎だからこそのおおらかさと無知さだろう。
あえてしてるこっちが、恥ずかしくなりそうだ。
「もともとあーしは、ヘルコフさんの同僚にあたる、緑の狐耳の生えたウィーと学園で一緒に学んだ縁だったどす」
「わぁ、学園の人なの、ヨトシペさん?」
「学園から仕事受けることもあるだすよ」
少女はとても好奇心が強い。
これだけ陸の孤島と化した状況なら外の情報が物珍しいのもあるだろう。
ただ全く無知ではなく、帝都の位置をわかっているし、ルキウサリアの学園の権威も理解しているようだ。
いったいアズ郎はここで何をしたのやら。
凍えた私が放り込まれた岩盤浴施設だけでもすごいことだけれど。
その上でここの設備の管理をさせるため、村人に錬金術を教えたとも聞いている。
管理が上手くいっているかを見るのも頼まれたことの内だった。
「それで、ここは皇子さまが作った岩盤浴を真似て私たちが一から造ったの」
「そうなんどす?」
ここがそうだと思っていた。
どうやら近くにあるもう一つの建物がアズ郎が作ったほうらしい。
「皇子さまは数カ月で造ったのに、私たちは学んで材料も集めて一年以上かけてようやく」
「それでも形にできたなら、すごいことでごわす」
お世辞ではなく心底そう思う。
それに、アズ郎が残した錬金術を独学したという少女は嬉しそうな顔をした。
この山が近くに火山があって温かい理由はわかる。
それは幾つも山や洞窟を巡った経験があるから。
ただ、その熱を人が利用できるようにしている構造は想像がつかなかった。
「ヨトシペさん、春になるまで山を下りれないでしょうから、村長に泊まれる場所をお願いするわ。できればその間、皇子さまや錬金術、学園について教えてほしいの」
「学園についてなら。ただあーしも、第一皇子や錬金術は詳しくないだす」
「それでも全然いいわ」
少女が嬉しそうに立ち上がる。
「私の友達が錬金術科に入学してるの。手紙が来るんだけどすごく面白そうで」
それもアズ郎に聞いた。
この村出身の同級生がいると。
そしてそこから、ここで今温泉を延長しようという計画に問題があることも聞いている。
それを実際に見て報告してほしいというのがアズ郎の依頼だった。
滞在中にこちらも話を聞きたかったから渡りに船。
まずは実際に、この岩盤浴施設を造ることに尽力したらしい少女と距離を詰めよう。
「ロムルーシに錬金術科からの留学生が一人いたんだす。それで大きなイタチっぽい同級生がいることは聞いたでげす」
「そう! きっとネヴィラチカ」
愛称で呼ばれてちょっと困る。
生まれはロムルーシの私だが、育ちはほぼルキウサリアから帝国領内。
響きに馴染みがない。
けれどアズ郎からネヴロフという名前を聞いてるので、まぁ、そうだろうと。
それから少女と親しくなって、村長にも紹介された。
ひと冬の滞在を許され、物資が少ないながら第一皇子の家庭教師の知り合いという、間接的な関係で歓迎される。
「はぁ、これが温泉だす? こんなに水あるならいいどすなぁ」
「でも飲むには向かないみたい。もっと時間をかけて流れて来る水じゃないと、薬になるものが多く溶けすぎてるらしいの」
村の中は他に比べて雪も少なく動ける。
少女は興味を示す私につき合って村の案内をしてくれた。
その分、夕食時になると村長の家に他の者も集まって、私は少ない引き出しから話を絞り出さなければいけなかったけれど。
本当、錬金術は詳しくないから、他の土地で見た珍しい地形や景観で誤魔化すしかない。
第一皇子については悪い噂しかないから、避ける以外になかったほどだ。
「あぁ、石灰が溶けてる水と同じようなもんどすか」
温泉は他に見たことがある。
そこは石灰が水槽のような形に固まって、水が溜まった場所だった。
濃度が高すぎて、植物はもちろん魚さえ住まない澄みすぎた水を見たことがある。
「ワゲリス将軍も気にいってくれて、雪に閉ざされる前にと入りにきたの」
「あ、その将軍はヘルコフさんの馴染みで、話聞いたことあるでげす」
「そう、よく二人で大きな声を出していたわ」
まだ見ぬ将軍のイメージが悪くなりそうだ。
この村の人たちはもしや懐が広い?
ただ聞けば、ワゲリス将軍も騒ぐだけじゃなく、温泉を延長して財源にという話に協力しているとか。
「でもどこに造ろうかというのが問題で」
「そうだすなぁ。ここに造っても来るのが難しすぎるでげす」
ここは山頂にある窪地で、周囲は急峻でもっと高い山に囲まれている。
造るなら安定していて、通いやすい場所だろう。
「ネヴィラチカも学園で考えてくれているけど、難しいらしいの」
「詳しく聞いていいだす?」
「えぇ、ヨトシペさん物知りだし何かわかれば嬉しいわ」
そうして見せられたのは予想外のもの。
何が描かれているかよくわからない図面だった。
「…………下手でごわす」
「その、私たち絵を描くなんてことしたことがなかったから」
「大丈夫だす。字が書いてあるから何が描きたいかはなんとなくわかるどす」
私はアーチや橋といった言葉を手掛かりに、あるべき姿を新たに描きだす。
新種の植物や生物を絵を描いて報告するのも仕事の内。
私は絵を描くことにも慣れていた。
「すごい。すごい、何が描いてあるかわかる!」
「あーしも描いててわかったでげす。崖に水道橋をかけたいんどすな。それで、峡谷の高さと、対岸までの距離、下の地形と、傾斜が知りたいと」
けっこうしっかり考えてあった。
ただ絵が下手すぎて石で何か作りたいとしか通じていなかったらしい。
どうもこの村の領主は、ともかく石工に相談という安定的な手を打っているとか。
けれど峡谷を渡すのなら、石工をいきなり連れて来ても困ったことだろう。
「…………あやふやなまま話すばかりだと、一宿一飯の礼にもならないと思ってたところでげす。雪が降らなくなったらあーしが崖の測量するでごわす」
「崖の? え、でも危ないわ。すごく深くて、崖を降りるのも回って行って下まで大きく遠回りをするの」
それこそ私の身体強化が生きる状況だ。
常人なら体力が尽きるような崖の上り下りも可能だからこそ、本職として専用の道具も作って愛用している。
それにどう考えても、ここに測量技師を呼ぶだけでも苦労する。
だったら命を救われたに等しい私が一肌脱ぎましょう。
ブクマ5900記念




