閑話58:アーシャ
マーケットが終わったルキウサリアは、雪が降る前に移動を開始する人たちで普段とは違う賑わいがある。
そんな時期に、僕は時間を見つけてまたモリーの店の支店へと向かった。
今日は初めて足を踏み入れる二階部分に上がる。
一階は店舗とほぼ倉庫で、客対応は二階でする造りらしい。
さらに上からが従業員の部屋なんだとか。
相部屋らしいけどラトラス曰く、人数いないと部屋が寒すぎて宿題もできないそうで、従業員こと親戚一同と住むことに文句はないそうだ。
「忙しい時に呼んでごめんね、ディンカー」
そう言って謝るモリーは、ヘルコフ経由で僕を呼ぶという珍しいことをしてる。
支店を任された猫獣人たちは下階で働いていて、いるのはディンカーの正体を知るヘルコフの甥たちくらいだ。
時間は夕方。
日が落ちるのも早いから、そんなに長居もできないのに直接話さなければいけないことってなんだろう。
「モリーが必要なことだと判断したんでしょ。聞かせて」
「そ、それでは…………」
何やらモリーが改まって座り直す。
僕はヘルコフと目を見交わすけど、思い当たる節はなさそうだ。
「事後報告になってしまったけれど、冬前に、あたし…………結婚をしたの」
完全に予想外な言葉に、僕は言葉も出ない。
ヘルコフも毛がもわっと膨れるくらい驚いてる。
「…………お、めでとう。びっくりした。そういう相手いたんだね、っていうのも失礼か。仕事で飛び回ってたりするから」
「否定しないわ。実際結婚するか怪しかったし。仕事にかまけてとか言われて別れた相手もいたしね」
モリーは肩を竦めて応じる。
対してモリーに会う頻度が僕より高かったヘルコフが別の疑問を投げかけた。
「お前、一年に一回つき合う相手と別れてなかったか?」
「え?」
とんでもない初情報に驚くけど、三つ子の小熊たちは頷く。
「ディンカーがいうとおり、忙しくて別れてたり」
「ディンク酒狙いが透けて見えて別れてたり」
「一番上手くいってた奴も婿入り断られて別れてさ」
僕は宮殿から抜け出してたまに会うだけ。
だからそういう付き合いは見えてなかった。
けどけっこうモリーってもててたらしい。
別れてもすぐに次につき合う人はできるけど、結局一年くらいしか続かなかったとか。
「余計なこと言わないの。こほん、せめて報告は直接言おうと思ってね」
モリーは咳払いをした後は、照れくさそうに瞬きをした。
「だがしかし、本当に急だな。入学前に一言もなしってことは、予定もなかったんだろ?」
ヘルコフの予想は、どうやら実際結婚したことがあるからこそ。
結婚となると、準備に相応の時間がかかるし、事前の挨拶や紹介、新生活の準備があって目に見えて忙しくなるんだとか。
何より注目されるディンク酒を扱う店のトップの結婚だ。
気配があれば、話題になるはずってことらしい。
そう言われて、モリーはちょっとげんなりした表情で白い髪を払う。
「それが、陛下のサロンに呼ばれてから、貴族方からお声かけが増えてね」
「商機にできるチャンス、ってわけじゃなさそうだね?」
「そ、言っちゃえばお見合いの話持ち込まれてたの。しかも完全にあたしから店の権利奪う目的で。金持ってる男やもめから、顔だけの若輩者まで」
「どうやって奪うの? 縁故で内部に人入れて乗っ取り?」
聞くとモリーはやさぐれた笑みを浮かべた。
「結婚を名目に私の財産全部夫のものにするだけよ。させないけどね」
この世界、財産の権利は個人じゃない。
血筋と家、もしくは家に準じる組織だ。
たとえば僕に何か財産と呼べるものがあったとして、結婚もしてない僕が死ぬと、僕個人が作った財産は血筋の者の中で近いと思われる人、父かテリーへ渡る。
その二人がいなくなればワーネルかフェルへ、さらにいなくなればライアへと継がれる。
家に継がれる場合は、僕が帝室から独立して爵位を得て家を建てていた場合だ。
そうなると僕が建てた爵位を継ぐか、家の名前を継ぐ誰かに財産は渡る。
「つまり、モリーの財産を結婚して家のものに? できるの?」
「対策してないとそうされるわ。けど、商会の商品については商会に帰属する形にしてるから、あたし個人と結婚しても渡らないようにしてあるの。安心して」
ただそれも手籠めにしてしまえばどうとでも、なんてモリーを見下した下心で迫る者が後を絶たなかったそうだ。
「モリーさん、貴族に呼び出されてはそう言う話で。相手の男用意されてたんだって」
「身分で命令してくる奴とか、頷かないと帰さないみたいなところまで出て来てて」
「竜人の商業ギルドのお偉いさんに動いてもらったりしてたけど、聞きやしねぇの」
三つ子が語る様子から、思ったより大変な目に遭っていたようだ。
「故郷で大農園運営してる大伯父頼ろうか考えてたら…………その、別れた男が、ね」
ただ話の不穏さに似合わず、モリーは恥ずかしげに横を向いてもごもご言う。
どうやら婿入りが嫌だと言われて別れた相手は、モリーの下で働く人間だったそうだ。
私情を仕事に影響させないため、そのまま雇っていたとか。
けれどその分、モリーが心ない求婚で困らされている状況を目の当たりにしていた。
「モリーさんを愛してもいない奴らが群がるのが腹立たしいんだと」
「意地張って婿入り嫌だなんて言ってた自分の小ささを後悔してて」
「自分よりもモリーさんを思ってない相手と結婚は嫌だって」
どうやらモリーの結婚相手が告白し直した場面に三つ子もいたようだ。
「なんか未練あるってわかったら、近くにもいられないからばれないようにしてたらしいぜ」
「振られたけどまだ好きで、その気持ちがある間は側にいたかったって言ってたぜ」
「魅力も才能も溢れる素敵なモリーさんの良さがわからない奴なんかに渡さないとか」
「おだまり!」
モリーがさすがに恥ずかしくなったのか、暴露を続ける三つ子を叱りつける。
まぁ、ともかく、モリーもその元恋人の熱烈な求婚に応えたらしい。
で、けっこう大物貴族からも狙われてたから大急ぎで結婚。
事後報告になるからってことで、僕の所には直接話に訪れたのが今回のルキウサリア来訪の目的の一つだったそうだ。
「そっか、大変だったんだね。話してくれてありがとう。改めて僕からもお祝いを」
「いいわよ。こっちだって入学祝も何も用意できてないんだし。今までで十分ディンカーにはもらってばかりなんだから」
「こういうのは気持ちなんだけど」
「だったら、もう終わったあたしより、次にゴールインしそうなエラストにしてあげて」
突然振られた紫被毛のエラストは毛を逆立てる。
ヘルコフが見ると、エラストはすまし顔を取り繕うけど、毛は膨らんだままだった。
見た目テディベアみたいだけど、三人とも成人してる獣人だ。
異性とのお付き合いに身内への報告なんていらない。
とは言え、ヘルコフとしては身内だからこそ甥っ子たちから言ってほしかったところはあるだろう。
「ドワーフと人間のハーフの可愛い子でさ。宮仕えらしいんだけど素朴な感じなんだ」
「貴族じゃなくて、魔法使いとして優秀なんだって。わざわざ招かれて就職してる」
するとレナートとテレンティのほうが暴露を始めた。
それにエラストも、渋々ヘルコフに言い訳をする。
「機密性のある研究分野だから、あんまり仕事とか暮らしのこととか言えないって。だからその、なんて紹介しようかって、思ってて」
お付き合い報告が遅れた理由を聞いて、僕は脳裏をよぎるものがあった。
「もしかして、見た目ドワーフだけど魔法の特性が人間寄りだったり?」
僕が言うと、エラストは耳をぴんと立てて驚く。
さらには僕が魔法関係で察したことで、ヘルコフも何かに気づいた様子で耳を振った。
だって僕、錬金術以外に研究なんて関わってないし。
その中でも魔法関係となると、ウェアレルがルキウサリア国王に見せた伝声装置しかないしね。
「よし、その相手を深掘りするな。本人たちが納得してつき合ってるならいい」
ヘルコフが即座に詮索をやめると、逆に退かれたエラストが前のめりになった。
「その反応ってことは、機密ってディンカー関係かよ!?」
レナートとテレンティがそれぞれ、エラストの肩に手を置いて引き戻すと、空いてる手で親指を立てる。
「お互い言えないこと同じならちょうどいいんじゃないか?」
「目線が近いかわいい子捕まえていい思いしてる分だよな」
どうやら彼女ができて、兄弟たちから嫉妬されてたらしい。
国家級の秘密持ちを恋人にしたとわかったエラストは、両手で頭を抱える。
「ねぇ、その研究っていつか開示されそう? 宮殿が動くなら相応の利益を見込んでのことよね?」
モリーはと言えば、商機を感じたらしく逆に気になってしまったようだった。
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