269話:惚れた腫れた4
形式的なお礼を終えたら次は褒美の話だ。
もちろんここでイクトを差し出すようなことはしない。
「少々あなた方錬金術科の就活生の状況について、第一皇子殿下にお話いたしました」
そして変わらずウェアレルが代弁。
教師だけど、錬金術科でも僕とのパイプってことは隠すどころか前面に出してる。
それは僕たち新入生だけじゃなく、上級生にも就活生にも同じ。
「あなたたちはニノホトに戻らず、かと言って図書を探す仕事を請け負うつもりもないということで合っていますか? 発言をどうぞ」
「ごぞんじでいらっしゃるのでしたら、詳しくお話するんも恥ずかしゅうございます」
たぶん教師からのリークだから、ロムルーシ留学のふざけたような理由についても伝わってると見て、ヒノヒメ先輩は言葉少な。
そして僕がウェアレルを代弁させるのと違ってヒノヒメ先輩は自ら話す。
「こちらの作法には疎いので、失礼があったらご容赦くださいまし」
いつもの訛りを抑えて話し出すけど、抑揚はあまり変わらないなぁ。
「図書の仕事はやって数年。人数を増やせばそれこそ一年か二年。もっと強く国に帰らないという者もおりまする。ですから、同窓のためにもわたくしどもは請け負うつもりはございません」
つまり手に職をつけることにならないから、譲る。
就活生でなくなっても、さらに時間を稼いで生活基盤を作れるようにと。
それだけ、ヒノヒメ先輩たちには余裕があるらしい。
「では卒業後は?」
ウェアレルが僕の疑問を察して聞いてくれた。
僕もアズロスとして聞いたけど、お嫁さんになるって話されただけだったし。
「帝都へ向かうつもりでおります」
ニノホトの一番大きな大使館があるからだという。
確かにお姫さまならどんな王侯貴族相手でも身分的に対応可能だ。
歓待要員としての需要も、遠くニノホトから離れた帝都でなら高貴な血筋というだけで喜ばれる。
やっぱり錬金術師としての就職は難しいようだ。
そして本業を持てば趣味でするには錬金術は設備や時間を取りすぎる。
「錬金術を続けるつもりはないと?」
「可能な限りであればやぶさかではございませんが、現実的ではありませんもの」
「仕事にするおつもりは?」
ウェアレルに、ヒノヒメ先輩は一度黙る。
「…………もちろん、奥にいて許してくださる背の君がおられるなら」
布で視線までは見えないけど確実にイクトを見てる。
つい僕も見そうになるけど、我慢。
この話には、今の段階で乗らないことを決めていた。
けど人間より敏感な耳を持つウェアレルとヘルコフは、イクトの反応に耳を向けてる。
「婚姻のために立場も必要ですので、錬金術師を名乗ることも難しいと考えております」
チトセ先輩としては、ヒノヒメ先輩の暴走に対外的な理由をつける。
イクトに反応はないんだけど、その不動にもヒノヒメ先輩は好意的に映ったらしく喜んでいる雰囲気が御簾から漏れ出てた。
「えぇ、話が逸れました」
「いえ、逸れておりませぬよ?」
「逸れました。どうぞ、先生」
ウェアレルが軌道修正すると、ヒノヒメ先輩が布の向こうで首を傾げる。
それを抑えるようにチトセ先輩が先を促した。
小声で帝国皇子の前だと、ヒノヒメ先輩が窘められてる。
恋は盲目と言うけれど、つけ入れそうならぬるっと押してくるな、ヒノヒメ先輩。
(セフィラ、本題に入るようウェアレルに言って)
(了解しました)
指示を受けたウェアレルが、布の向こうのやり取りに気づかないふりで進めた。
「では、こちらから提示できる褒美の話を。帝都へ向かうというのでしたら、こちらで職の口利きも考えていました」
「それは錬金術師としてでございましょうか?」
ヒノヒメ先輩が驚きを含んで聞きかえした。
話の流れからそうだとわかっても、まともな就職先がないのは身をもって知ってる。
何より帝国では錬金術は衰退してる。
なのに皇子が主要国の姫に斡旋できる職があるというなら驚きもするだろう。
形式上、お礼の相手はチトセ先輩だけど、主人帯同で来てるから対象はヒノヒメ先輩になるんだよね。
「第三、第四皇子殿下の錬金術の家庭教師です」
「皇子の、家庭教師?」
長引かせないためにさっさと告げるウェアレルに、ヒノヒメ先輩は改めて驚く。
何せ帝都でも貴族が望んで得られる職じゃない。
そして大前提、宮殿に上がれる保証が必要になる。
言ってしまえば食事一回世話した程度ではありあまるほどの厚遇だ。
それと同時に、第一皇子には悪い評判があるし、その中には弟皇子たちと争うようなものもあるので勘ぐることだろう。
「大変光栄なお話ではありますが、相応しい方が他にいらっしゃるのでは?」
さすがにチトセ先輩も警戒する。
何せ第一皇子が噂どおり弟の排除を狙うような人物だったら、何をさせられるか。
そもそも公式の場に出ないから兄弟関係なんて伝聞だけ。
弟たちを泣かせた事実はあるから、それが余計に悪意ある噂をそれらしく飾る。
というか、前世にも皇室ある国に生まれ育ったけど、皇族の関係性なんて考えたこともなかったし、実際のところなんて外から知れるわけもないよね。
「知ってのとおり錬金術は衰退し、帝都にも相応しい技量を持つ者はいない状態です。皇帝陛下より、第一皇子殿下に相応しい者はないかと問い合わせがございました」
だからここは実際見る以外に真偽の証明なんてできない僕たちの兄弟関係は横に置く。
ウェアレルはただ事実を告げていた。
「腕が認められれば、第二皇子殿下に教えることも可能です」
「まさか、何故皇子殿下が錬金術を?」
「元は第一皇子殿下が弟殿下方に教え興味を持たれました。それがなくとも、帝位の要件に錬金術を修めることで継承可能な領地というものがあります。長く代官に修めさせることで代用してきましたが、可能であれば皇帝直轄地なので次期皇帝に習得させることもやぶさかではありません」
事実だけど、ここで僕に帝位への欲がないことを言葉にせず明示した。
ウェアレルの代弁だけど通じたようで、じっと考え込むらしい沈黙が落ちる。
というか、話を逸らさないようヒノヒメ先輩の代わりにチトセ先輩が対応する形になってた。
「大変光栄であるとともに、重大なご相談であるかと。持ちかえって検討をさせていただきたく思います」
「ではこちらからいささか提示できる条件をお伝えしましょう」
チトセ先輩が即決しないことを受け入れつつ、ウェアレルがさらに話を進めると、そこでようやくイクトが口を開いた。
「姫君の対応は大使館にお任せすることになるでしょう。ですが伊藤どのであれば、帝都滞在中は私の屋敷を使ってくださって構わない。管理のために使用人たちも少数残してあるので、暮らすには問題な…………」
「行きますぅ!」
「持ちかえります!」
声を大にするヒノヒメ先輩に、即チトセ先輩がかぶせる。
イクトも、わざわざチトセ先輩に限定したのにね。
迷った末に僕が止めないと見て、イクトは提供する屋敷の説明を続けた。
「…………一階と客間以外は、板張りにして土足厳禁を徹底しています。座具を敷いた部屋もあるため、ニノホトの暮らしに近い様式で…………」
「素敵! ぜひそこでトトス卿のお帰りを待ちとうございます!」
「持ちかえるって言ってるんですから、ちょっと黙ってください」
ごめん、イクト。
そんな困った顔してこっち見ないで。
大和撫子かと思ったんだよ。
もっと奥ゆかしくて、男の家に上がり込むラブコメみたいな感じにはならないと思ったんだ。
よく考えたら国許に無断で入学、さらには故郷に報せもせずロムルーシへ行こうとしてたくらいアグレッシブな人だったね。
それにヒノヒメ先輩はまだまだ恋に突っ走ってもおかしくない年頃。
前世でも、同学年の女子も恋バナに花咲かせてる時期だったよな。
いや、それでも男の家に上がり込むなんて聞いたことないんだけど。
「…………あいわかった」
僕が考えていると、イクトがとても真剣な声を出した。
「そちらが本気であればこちらも本気で検討いたしましょう。アーシャ殿下に対し、どれほどの力となるか見極め、添うことも考慮に入れさせていただく」
何やらイクトのほうも覚悟を決めた様子でそんなことを言う。
えっと、それは、ヒノヒメ先輩の求婚に、応諾にも近いことになっちゃうけどいいの?
訳がわからないって困ってる時よりも、落ち着いた様子はいつものイクトっぽいけど。
布の向こうからでも、ヒノヒメ先輩が花を飛ばしそうな勢いで浮かれた雰囲気になってるよ?
いったい今のさっきでどんな決意をしたのか。
これも仕事の内と割り切ったからなのか。
イクトの腹の決め方に、僕のほうが戸惑ってしまっていた。
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