閑話50:ヨトシペ
「アズ郎、何してるだす?」
「あ、ヨトシペ。なんか洞窟あったからちょっと覗いてみたんだけど、寒くて出て来たんだ。暗いし岩も多いし、入らないほうがいいよ」
子供らしい冒険心を語られると、微笑ましくなる。
けれどすぐ側に微かな足音が立った。
たぶんヘルコフさんだ。
「塔の地下を調べるのは、もういいどす?」
「うん、そっちはだいたい見たからね」
「そんな時間あったでげす?」
「僕うろうろしてるから、気づかなかった?」
そんなことはない。
静かだけどアズ郎が何処にいるかはだいたいわかる。
何せいつも大柄なヘルコフさんが気にしてるんだから。
そっちにいるんだろうなということは予想できた。
周囲には、見えないよう隠れてるヘルコフさん以外いない。
他は百年前に見つけた錬金術師の塔を調べているから。
大変な事件の後だけど、こっちも放置しておけないからと再調査が行われている。
外に出ているのは私たちだけだ。
「…………アズ郎。水底行っただす?」
切り込んだ途端、一瞬大人のような静かなまなざしになった。
実際、奔放なようでいて大人の精神に近いものを感じることがある。
その目が私を見据えて逡巡した。
長くないのはこちらが確信を持っていると理解したからだろう。
「ヘルコフじゃないのはどうして?」
「ヘルコフさんは子供守るふりでいつもアズ郎守ってたでごわす。主人がオートマタ知ってるなら、主人のアズ郎が封印解いたんじゃないかと思ったでげす」
「…………知ってるんだ?」
否定しないのはつまり、私の旧友のウィーと主人を同じくするヘルコフさんの主人だと認めている。
そして旧友の主人は、帝国第一皇子。
錬金術に傾倒する駄目皇子と言われる人間だ。
さらに私が水底図書館のことを知っていても驚きはない。
それだけの自制心と判断能力を持つからこそ、話に聞く古代の英知が猛威を振るってはいないようだ。
八百年の封印は、理性的な人物によって解かれたようだった。
「あーしの一族に、あのメッセージを書いた錬金術師が滞在していた言い伝えあるんだす」
「あぁ、なるほど。だったらあの意味わかる?」
「アズ郎は警告受けなかったどす? 本家本元の番人のオートマタは喋るらしいでげす」
「うん、喋ったね。それで八百年前の天才が引き篭もった理由とかも聞いた。けど、その知識を持ちだす者の存在は聞いてないんだ」
考えつつ、とても冷静に現状を把握しようとしている。
たぶん多くの人間を殺した黒犬病がどうやって広まったかも知ってるはずだ。
なのにこれは、覚悟が決まってるのか、もっと別のことを見据えているのか。
私が秘密を提示してまで言おうと思ったのは警告だ。
大人は子供が思うほど賢くはない。
賢いと思うからこそ愚かなこともする。
それは今回の獣人たちの対応でもわかっただろう。
「そう言えば、ヨトシペ。その喋り面倒だったら普通に喋ってもいいよ。ルキウサリアの言葉は喋れるんでしょう?」
「…………そうね、長く使っているから昔のように変な覚え方は自覚して直せるわ。でも、こっちのほうが油断してくれるんでげす」
両手を広げて言ってみせたら、アズ郎は笑う。
そしてわかると言いたげに頷いた。
きっと第一皇子の悪い噂はアズ郎の擬態なのだろう。
私と同じく、その才能を大人に利用されないようにするためだとしたら、憐れだ。
私は身分がないからこそ逃げられた。
国を離れて、共通語がわからないほど遠くの地で働くこともできてる。
けどアズ郎は、皇子の名前を捨てられず隠しているんだ。
「あーしは辺境の育ちで、そこに学者が来たどす。あーしは一族でも珍しい力持って生まれたでげす」
「生命力とか、魔力増やす呼吸とか?」
「そうだす。たまに生まれるどす。今の世代ではあーしだけでごわす」
だから調べたいと言った学者は善良だった。
けれど連れて行かれた先の、大きな町の人たちは違った。
私の力を同族を殺す戦争に利用することしか考えなかったのだ。
「学者先生があーしを逃がしてくれただす。連れ出してすまなかった、好奇心に負けた。人の欲を甘く見ていたと」
「それでルキウサリアに入学?」
「んだず。ルキウサリアは戦争できないくらい弱い国だって聞いたでごわす」
「そうだね、戦争する体力はないだろうね。けど、その分周囲の国々を交渉で味方につけるやり方をする。だから、自ら攻めることはないし、警戒される武力を求めることもない」
いい判断だとすぐに言えるアズ郎も、きっと考えたことがあるんだろう。
それにそれだけ言うってことは、アズ郎の動きに学園はもちろん国も絡んでる。
皇子が隠れて学生なんて、バックアップしてる大きな力があるとしか考えられない。
「それで、一族にはどんな伝えがあるの?」
「旅人だっただす。東を目指して錬金術師がやってきたんでごわす」
「果ての地を目指すっていう? 何処なの?」
「ニノホトだす。そこに、失敗を許す神さまが奉られてるから、技術と共に死ぬことを選んだ封印の人の弔いに目指してたんでげす」
それが贖罪の旅であると伝わっていたから、あの壁のメッセージと合致する。
そして旅の間に少しでも罪を減らすべく研究することもしていたと伝わっていた。
「そう。どれくらいの人が贖罪の旅をしたんだろう? 実は帝都にもあの図書館のことを隠して伝えるものがあったんだ」
「それ聞いたでげす。国や人々から咎められないように散り散りなったんでごわす。中にはルキウサリアに隠れ住む人もいたって聞いてるどす」
錬金術師として黒犬病のことを知る人たちは恐れた。
そして生き残ったことに罪悪感を抱え込んでしまったそうだ。
そしてそれを減らすための、過酷な旅へと出た。
命を懸けて、そして技術を結局は手放せなくて。
「弟子を作って伝えて、贖罪の旅を続けさせるだす。その中で、別の道で東を目指して行き詰った弟子が、後を追うように別のルート探すこともしたでげす」
「八百年の時を費やしたら、そういうこともあるのか」
北ルート以外にも東を目指す錬金術師たちはいたはずだと告げると、アズ郎は考えながら口を開く。
「それが帝都にも至ってたと。僕が見た文献では、師匠から継承したけど、弟子には恵まれなかったから隠して書き残すって」
「そういうこともあるどす。一族に滞在した錬金術師は、最初南のルートいっただす。けど行き詰って北にきたでげす。そして北に向かった別の錬金術師の裔に会って、引き継いで東を目指したんでごわす」
「あ、魔物の家畜化を目指した錬金術師と、塔の技術は方向性が違うと思ったけど、別々の系統で研究した人だったのか」
錬金術を聞きかじりしかしなかった私と違って、アズ郎は納得したらしい。
十年以上も前に言い伝えとして聞いただけだから、私としては実物を見れただけ、確かにこの技術は危険だという印象しかない。
他にも、東へ向かう錬金術師を助けたことで、その技術の一部は私の一族にも残されている。
その中には毒の伝えもあり、猫科や馬にだけ効くという毒も、製法が伝わっていた。
この後は一族のほうに戻って毒を外に出さないよう、知られないようにすべきだって言わなくちゃ。
「それで、辿り着いたかは知ってる?」
「知ってるだす。錬金術師は師弟でやって来て、師匠お亡くなりになったんでげす。旅を続ける弟子には一族から二人随行者を出して、一人戻って達成を報告されたでごわす」
許す神さまに贖罪を頼んで、今まで蓄えた錬金術の知識もそこに奉納して封印したとか。
懺悔を聞いたニノホトの神職は、確かに封印を約束し、数百年かけての贖罪の旅の終わりを宣言したという。
そして、いつか封印図書館が開いて悪用されるようなら、神職が封印を解いて対抗するようにと。
「百年前にこの地を発った弟子は師となり、さらに弟子が継いでニノホトへか。じゃあ、もう亡くなってるんだろうね。話してみたかったな」
「何するだす?」
「警戒しなくても、僕も封印図書館は水に沈めようか迷ってるんだよ」
驚いた。
自ら開いたならその価値はわかるはず。
なのにそれを当たり前のように手放そうとしているなんて。
「どうして?」
「え、だって危ないでしょう? 戦争の道具にされてもやだし」
「自分で使って有利に運ぼうとは思わないの?」
「ないない。そんなことに使って家族に迷惑かけたくないし」
手を横に振る仕草は軽いけれど、心底嫌がる様子が透けて見える。
その様子はいっそ子供らしく、価値がわかっていないかのように感じられた。
「…………アズ郎となら、贖罪の旅をした人も話したかったかも知れないどす」
一族に残るのは後悔の言葉ばかりで、封印を解かれる恐怖に苛まれる錬金術師の懊悩が、一族にすぎた力を求めるなという戒めと共に伝わっている。
何より私も毒を悪用する醜い争いを目にして、怖気づいた。
だからこそ、彼こそが開いたのだとわかって、警告をしようと思ったのに。
わかっていて、わかっているからこそ、アズ郎は手を出さない。
そんな人が封印図書館の知識を得たのだから、もう心配はないのだと墓前にでも伝えることをしてあげたい気持ちになった。
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