閑話49:イマム大公
今まで特に心休まることなどなかったデニソフ・イマム大公領にある屋敷でひと息吐く。
私が大公となってから使うようになった執務室は、共に各所への処理に対応する部下たちが忙しく働いていた。
私も各所への対応を行っているが、解決の難しい問題が一気に解決したことでようやく息苦しさが緩和したような気分なのだ。
「まさかこんなに上手くいくとはな」
室内には、私と同じく若い者が多い。
中には壮年や老年もいるが、誰も疲れと共に安堵がある。
「ユーラシオン公爵のご子息が噂にたがわぬ優秀さであったことは喜ばしい」
「学生が送り込まれると聞いた時には不安もありましたが、まさかここまでとは」
「本当に秘宝なしで解決に至る考えを持っていたのですから、将来が大変楽しみなことで」
ユーラシオン公爵の嫡子の評判は、大公家で上り調子だ。
大変な時期に私も、準備もなく大公の座に就いて、先代の尻拭いに追われる日々だった。
山の魔物も、牛の魔物も、地下の魔物もその場を動かずにいたため、対応を後に回すしかなった。
私は放置しておけないと思っていたが、それを放置していたのが先代だ。
なんの対応も対策も予算さえ割り振らず、さらには勝手にユーラシオン公爵と密約で土地と民をごく一部とはいえ割譲するようなこともしていたと知った時には絞め殺してやりたくなった。
「可能であれば今からでも、先代には罪を償わせたいが」
「大公家に対する憎悪の的になってもらうしかありませぬよ。今はあなたさまがお力をつける時。地元豪族のみならず、他の大公家にまで手を出されぬためには、他家の裏にも通じた先代が生きているということが意味を持つのですから」
この老年の部下は、先代の下で冷や飯を食わされていた。
それでも自らが折れては、他の者が先代の毒牙にかかると踏みとどまってくれていたのだ。
ユーラシオン公爵との密約のことも、私の就任とともにいち早く教えてくれた。
国に関わるような密事を知らぬまま大公を名乗るようなことがなくて良かったと思う。
対処をしなければ大公家とその下の者たちが、纏めて他の大公家に潰される危険もある。
それを阻止するためには私自身がユーラシオン公爵と交渉する必要があった。
「結果として、助けられた」
ユーラシオン公爵の嫡子は、年齢の割に落ち着きと度胸がある。
何より意志の強さと、なし遂げるために行動を厭わない様子に好感が持てた。
学友か連れていた者も優秀で、隔てなく語り合う様子は、他人を認める懐の広さの表れだろう。
そしてもう一人、赤い熊の獣人も有用な人材だった。
「あのヨトシペの手綱も握れるようだが、今一つ関係性が掴めないな」
「帝国の第一皇子の家庭教師というあの者ですか」
応じる壮年の部下は、私がその手腕を見込んで雇い入れた者。
先代が他の豪族に怨まれる大変な事件を起こした中で、困難とわかっていて私の誘いに応じてくれた気骨がある。
「ユーラシオン公爵家からすれば、政敵とも言えない程度というところでしょうか。それでも警戒の様子があったのは、当人の能力を買っているからかも知れません」
家庭教師はそれなりの歳であると共に、経験がある様子だった。
学園関係者から話を聞いたところ、魔物退治もそつなくこなす実力もあるそうだ。
そしてトライアン王国の港町で問題が起きた際、そこで嫡子を助けたとも聞く。
私は部屋の入り口に控える者たちに目を向けた。
「お前たちから見てどうだ? 皇子の家庭教師は」
護衛たちは今まで常に帯同していた二人だ。
片方は血縁である虎の獣人。
もう片方は狼の獣人で、どちらも実直であると知る昔馴染みでもあった。
「常に子供たちを守ろうという立ち位置で動いていることから有情。礼儀も弁えている。そこは皇子の家庭教師を務める者と言ったところでしょう」
「それで言えば、あのヨトシペは結局意思疎通ができても礼を知らない者です。大公の御前で子供と一緒になって、勝手に話をしていました」
確かに、そのことは嫡子も連れに注意をしていた。
ヨトシペと比べれば、時が来るまで黙って控えるという弁えが身についていると言える。
「そのヨトシペの、登山というのは本気だろうか?」
「実際書類を確かめてもそのようにありました」
「学園の者も、九尾と聞いて納得していたようです」
部下たちに続いて、護衛もヨトシペの異常さを語る。
「あの頑丈さは、確かに白い山にも登ることができるかも知れないとは思いますね」
「何より身軽さと力強さのバランスは奇跡的なまでの耐久力に通じているようです」
ただヨトシペに対する全員の共通認識は、私と同じく扱いにくいというものだった。
「能力を活かせる仕事を与えた学園の采配が良いから今までやってこられたのだろうな」
「こちらに引き入れることは危ういでしょうな。手元に置いておく類ではありませぬ」
「扱えそうな者も、第一皇子の家庭教師となれば一緒に引き入れることも無理でしょう」
「皇子に良い噂はないそうだが、あれほどの者が従うのなら補って余りある何かがあるか」
「いや、いっそ幼い頃から育てた情やもしれません。学園にも入学できなかったようですし」
色々と見解は出るが、なんにしても今回上手く使えればそれでいいということに落ち着いた。
何せ私たちにはまだこの先がある。
すでに大公家として問題を抱えてしまっている状況で、不安要素を増やしたくはない。
「これで、他の豪族が話を聞いてくれればいいのだが」
ここまで手柄として喧伝し、被害に遭っていた者たちからも豪族たちには話が通じているはずだ。
それでも沈痛な空気が落ちるのは、正直難しいと言うのが誰の思いでもあるからだろう。
それほどのことを、先代がやらかした。
今のデニソフ・イマム大公家には豪族たちを従える威徳がない。
「いっそ、言ってしまえば…………好転の機会を示してくれはしないだろうか」
「それは恥を晒すだけ、高望みでしょう。優秀と言っても他家の嫡子なのですぞ」
「斬新な提案が今までは上手く行きましたが、次もはまるとは期待しすぎても」
部下たちが私の楽観を戒めると、護衛も気負いすぎないよう気を使ってくれる。
「これはもう、時間をかけて回復するしかないんですから、どんと構えていてください」
「今は目の前の武力行使を抑止する方法を重視し、安定を確保しましょう」
そのとおりだ。
だからこそメイルキアン公爵家の秘宝で、周囲を威嚇し踏みとどまらせようと考えた。
伝承にあるあれの威力をもってすれば、恐れて足を止めるはずだ。
それが他家の力であっても、秘匿するからにはあちらも自らの力だとは言わない。
だから大公家には隠し玉があると臭わせるため、牛の魔物ごと山を崩して示威行為を目論んだ。
「そんなことに学生を巻き込むのは、やはり…………」
思わずぼやくと、皆苦笑いだ。
何せ私自身が学生時、卒業間際に家に戻された。
そしてそのまま先代を追い落とすため働き、大公になってからは後処理に追われている。
「最初はなんてことをと思ったが、今にして思えば私に向かっていたかもしれない攻撃性を、四つの豪族がぶつかることで散った。ヨトシペは良いタイミングだったかもしれない」
「いや、心臓に悪いですから。獅子と鹿が動いた時点で、猪から牛まで出て来るなんて」
「第一報聞いた時、生きた心地しなかったじゃないですか。今回は偶然悪くならなかっただけで」
護衛が馴染みの気安さで突っ込んでくる。
しかも言ってから、仕事中だと思い直して背筋を伸ばすので笑ってしまう。
「本当に超人と呼ばれる才の手綱を握れるならば、引き込むことも考えましょうが。そうできそうな相手は主を持っていますからな」
「里帰りで留学に同行とのことでしたから、帰郷の意思を探るくらいはありでしょう。ただ第一皇子との伝手もなしに引き抜きは難しいのでは?」
そんな部下たちの意見を聞いていて、思い浮かぶ銀髪の少年。
「あの錬金術科の学生はどうだ?」
嫡子に隠れているが、実のところあれも物怖じしない。
あちらなら、ユーラシオン公爵の嫡子相手との交渉で、とも思ったがあまり反応は良くなかった。
「錬金術師は、あまり…………。あの魔物の家畜化が軌道に乗っていれば別でしたが」
「正直、風聞がよろしくないでしょう。錬金術師を雇うくらいなら魔法使いのほうがまだ」
部下たちが言うとおり、牛の魔物の害は錬金術師と結びついている。
さらには地下の魔物もどうやら錬金術師が関わっているらしいので、印象は良くない。
というか、錬金術師じゃなくても大公家で雇うと言えば貴族の端くれなら待遇次第で応じてはくれないだろうか?
それともやはり学友としてユーラシオン公爵家が目をかけているのだろうか。
「あの少年の言うことに、インスピレーションが刺激される。あれは面白い。きっと本人が面白くないことをしたくはないたちだ」
「大公閣下と似ていると言いたいのですか? あまり他所にばかり目を向けていると、婚約者にそっぽを向かれてしまいますよ」
身内の気安さで護衛が釘を刺して来た。
「わ、私だって、こちらの都合で待たせているからこそ心苦しいんだ。別によそ見をしているわけでは…………」
何より婚約者と次に行くために、先代から引き摺ってる問題を解決しようと頑張ってもいるんだぞ。
今回のことで少なくとも一部は解決したのだから、そう急かさないでほしいものだ。
それでも少し目途が見えている。
だからこそ少し先を考えたんだ。
思う相手と結婚したならば、そこには安寧が欲しい。
そのための人材を求めるのだから、他所事ではないはずだった。
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