234話:逃げる鼠4
セフィラの声が聞こえるエルフが、錬金術科のイルメ以外にもいた。
イルメは精霊の声が聞こえる巫女姫は血筋のように言っていたはずだ。
それで聞こえるとなるとこの船乗りエルフ、実はエルフの国の偉い人のご落胤かな、なんて疑ってしまう。
僕の好奇心は置いておいて、廻船ギルドはファーキン組がリオルコノメを殺し、割符を狙っていたことを知っていた。
さらにソティリオスが狙われてるのも知っていて、手を出さずにいた理由は金にならないからだそうだ。
「ヒノヒメ先輩が言うとおりだったなぁ」
金を払っていれば仕事は信頼できる。
それは翻って金が絡まないなら信用してはいけないということなんだろう。
とは言え、リオルコノメの割符で預けられていたものはちゃんと回収できた。
僕たちは手早く箱型のカバンに入れられた中身を検める。
「これは…………帳簿の一部かな?」
僕が取りだすのは一枚の紙。
しかもご丁寧に鞄の裏地の中に隠されていた。
つまり、開けても中身はからで、リオルコノメもファーキン組に狙われるのを警戒していたのがわかる。
ただそんな小細工はセフィラが即座に見透かしてしまったけど。
紙には欄が作られていて、破れているため全体はわからない。
それでも数字や名前を表すだろう頭文字、何より違法薬物の名称と個数、金額が書いてあった。
「こりゃ、例の名簿と合わせりゃ確実に証拠にできますな」
「帳簿の一部とはいえ違法性は確かでしょう」
頷くヘルコフに、イクトも有用性を確信する。
確かにこれはファーキン組も流出を嫌がるだろう。
何より書かれている金額がけっこうな高額で、この客がいなくなるのが困るんだ。
人目につかない路地で改めていた僕らに、セフィラが警告を発した。
すぐさま光学迷彩でまた姿を隠すと、ヘルコフとイクトも得物に手をかけて振り返る。
「お、いたいた」
現われたのは船乗りエルフだった。
セフィラ曰く、船乗りエルフを守るように二人、隠れている人物もいるらしい。
「まだ何か用か? 精霊というものも私は関知していない」
得物から手を離さずイクトが言うけど、船乗りエルフは笑顔のままだ。
「何、徳詰むついでに小遣い稼ぎできそうだからな。あんたらに有用そうな情報手に入ったから、これくらいで買わないか?」
船乗りエルフは指を五本上げるけど、ヘルコフは鼻で笑う。
「真偽不明でそりゃ吹っかけすぎだろ」
「いやいや、お宅らがいる宿に出入りしている人の話さ」
船乗りエルフに言われて思い浮かぶのは、ハドリアーヌ王女たち。
僕はセフィラを通じて、ヘルコフとイクトに応諾を伝えた。
それを受けたイクトがすぐには頷かず、そのまま値段交渉を始める。
ほぼ船乗りエルフの言った値段に近い形になったけど、こっちも諾々と流されない姿勢を示す。
その上で、ヘルコフとイクトが口々に交渉しつつ内容を聞き出すよう話してもいた。
お蔭で船乗りエルフが持ってきたのがなんの話かはセフィラが先に聞き取ってしまったけど。
「帝国の偉い貴族らしいニヴェール領主についてだ」
「ったく、出入りは言いすぎだろ。二回来たくらいじゃねぇか」
「なんだ、いらないか?」
ヘルコフが言ってみせると船乗りエルフも引く姿勢を見せる。
こっちの素性は知らないけど、ユーラシオン公爵に近いと思っているなら皇太后に近いニヴェール・ウィーギントも関わりがあると推測を立てたのかもしれない。
その読みは当たらずも遠からずだけど、立場は敵対だ。
だからこそ、ニヴェール・ウィーギントがなんでトライアン王国にいるのかは気になってた。
「早く言え。こちらも暇ではない」
イクトが急かすと、船乗りエルフもこれ以上の交渉はないと見て話しだす。
「どうもファーキン組に出入りしてたらしい。と言っても、奴らの表の顔のほうだ」
「色のほうか?」
ヘルコフの確認に船乗りエルフが応じる。
まぁ、僕があまり聞くものじゃない。
あとくされのない女性がどうの、何処かのご落胤がどうのという話だ。
「それで、結局ニヴェール・ウィーギントがどうした。奴の色事情など興味はない」
「ま、その辺りは目くらましだな。お前さんら奴らのところでやらかしたんだろ? だったら見てるかもしれんと思ったんだが」
言われて思い浮かぶのは、抜け出す直前に聞いた密談。
粗野な中に一人だけ上品ぶった喋りの人物が、ニヴェール・ウィーギントだった。
そのことは、すでにイクトとヘルコフにも言ってある。
「奴が何人かの構成員を連れ出したって目撃情報がさっき入ってな。値段がたあるだろ?」
船乗りエルフはウィンクをしてみせる。
全く知らなかったら否定はできないけど、すでに知ってる情報だ。
(もういいよ、一度宿に戻ろう。二人に伝えて)
(了解しました)
正直ここで僕は気軽に動けない。
それはヘルコフとイクトも同じで、だったら動ける人に頼むしかない。
「なんだもしかしてそこも調べ済みか。うーん、だったら次縁があったら負けてやるよ」
船乗りエルフは情報料を返さない代わりのように、そんな軽口を言って別れることになった。
「お尋ねのニヴェール・ウィーギント卿ですが、すでにこの町を離れておられます」
僕はナーシャに人を動かしてもらった。
けどすでに港町を脱した後だそうだ。
今朝まではセフィラの魔法でいたのはわかってたから、相当急いで出て行ったのは確かだ。
「疲れているところにありがとう」
「いいえ、こちらとしても空振りにならずに済んで胸を撫で下ろしています」
ソティリオス助けてから、ともかく港町の役人たちを急き立て捕まっていた場所へと連れて行ったと言う。
けど上層はすでに僕が隠してしまったし、ニヴェール・ウィーギントによってある程度の人員も引き抜かれてしまった。
だからめぼしいものは何も残っていなかったんだ。
そこに僕が回収した名簿を渡して、ニヴェール・ウィーギントを追ってもらった。
「けれど、せっかく危険を冒して得られたものをこれほど簡単に渡していただけるとは」
「内容は覚えたし、僕はこれからロムルーシだ。それに、イクトがちょっと大荷物抱えてハドリアーヌを後にするから、その手伝いをしてほしいんだ」
「…………ファーキン組を潰すという実績は?」
名簿をパラパラと確認して、ナーシャは声を低める。
それができるだけの情報があるとみなしたんだろう。
そしてイクトの手伝いを入れてもまだ、僕への借りが大きくなると見たようだ。
「いらないよ。いなくなってくれればいいだけだし」
「皇帝が自ら雪ぐこともせず?」
「さすがに遠いからね。国内を纏める今、外で大立ち回りは転んで怪我をしてしまうかも」
ナーシャはかまかけだったらしく、僕の返答に苦笑する。
「思いとどまってこちらで私の手伝いをしていただければ、第一皇子ここにありと知らしめられますわ」
「いや、アズロスもちゃんと学生だからね。いきなり身分変えたりしないよ」
「まぁ、ではいっそ、小領主の子息として私とハドリアーヌへ帰ってもよろしいですわね」
「うーん、僕自身を評価してくれてることはわかったよ」
ちなみに僕とナーシャ以外、人はいない。
またナーシャのところにお邪魔してる夜だ。
お互いその気がないからいいんだけど、これってあんまり慣れちゃいけない状況だよね。
「そうそう、ユーラシオン公爵令息も安堵しておられましたよ」
「え、空振りだったのに?」
自らが捕まっていたけど敵はあまり証拠も残さず消えていた。
大貴族の子弟としては報復しておきたい場面のはずだ。
「ことが大きくなりすぎると留学に支障が出るとおっしゃっていました」
「つまり、自分が攫われた上でそれでも留学を重視、ね」
「よほどロムルーシに向かうことに意義を持っておられるようですね」
ファーキン組壊滅のための情報を重く見てか、ナーシャがソティリオスの情報を追加。
ディオラを諦めさせたいユーラシオン公爵の思惑だと思っていたけど、それだけではないようだ。
だってソティリオスとしては、この事件を理由に帰っても言い訳が立つ。
けどソティリオス自身は今も留学に前向きらしい。
(いや、この状況でまだロムルーシ行きに意義があると言うなら、逆に考えたほうがいいのかもしれない)
実は留学がディオラを諦めない条件になっていたとしたら?
思いついた可能性に、なんだか胸が重くなる。
これは、あまり考えても誰のためにもならない気がした。
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