閑話41:テレサ
私は生まれつき体が弱かった。
そう言ったら、第一皇子殿下の財務官のウォルドさんは驚いた様子を見せる。
「少し休憩をしようか。体調を崩したとなれば君の姉が」
「今は元気です。お聞き及びではないですか? ご主人さまのお作りになった薬のお蔭で」
不完全エリクサーという名前の、他にない薬だとか。
エリクサーという錬金術のすごい薬を作ろうとしてできたから、不完全なんて名前だけれど、その効果を私は知っている。
「あぁ、小児ポーション。テスタ老が製品化しようとするのを、第一皇子殿下が止めたとか」
「材料を見直して、そういう名前で売るそうですね。姉さんから聞きました」
私が姉と口にした途端に反応するその理由はわかってる。
姉が変わり者なことはわかってるんです。
家でも私には心底優しいのに、世話をしてくれる侍女相手には別人のような対応をするんだから。
家の侍女と二人で指摘してみても、そういう性分だからと気にしないし。
特に困ったこともないというけれど、絶対美人の姉に未だ婚約者もいないのはあの性格のせいだと思う。
もう少し私に向ける愛想を他にも向けてくれれば、きっと引く手あまたなのに、勿体ない。
「あの、ウォルドさんに何かご迷惑なようなら私から言っておきますよ?」
「いや、癖はあるが決して悪意はないのはわかってる。本人の個性の内だ」
「ウォルドさんは懐が広いんですね」
「それほどのことでもないだろう? 愛想がないくらいで…………もしや姉妹仲はよろしくない?」
「いえ? 私も姉のことは大好きですよ?」
何故そんな誤解が?
私たちは話しながら錬金術をする手は止めない。
ここに来てすぐはそんな余裕もなかったけれど、二カ月でずいぶん慣れたと思う。
それでもまだウォルドさんほど精度の高いものは作れないけど。
「私、こんなでご主人さまの影武者なんて務まるんでしょうか」
できあがったのは白濁するばかりの半端な氷。
エッセンスで作る水を凍らせる薬剤自体の精度が低いせいだ。
ウォルドさんが手本で作ってくれたほうは、綺麗に氷の結晶が舞って冷え固まっていく。
「こちらとしては一年かけて習得してる。まだまだ追い越されてはかなわない。それに、錬金術の腕を知る者は影武者も知っている。なら、そこは気にしなくてもいい」
「…………もしかして、気にすべきは姉ですか?」
「そこも平気だろう。特別に頬の緩む限定二人が入れ替わるだけなんだから。君が思うほど、不器用ではない。まぁ、極端ではあるんだが」
確かに姉の裏表が激しい、いえ、いっそ嘘がつけない極端な表情を思えば、私は影武者としてちょうどいいのかもしれない。
姉が笑みを向けるのは妹の私と、仕える主人である第一皇子殿下だけで、入れ替わっても支障はない。
背格好以上に、ついて回る侍女の姉が対応を変えないなら誤魔化すには適任。
「…………私、もしかして姉対策で?」
「否定はできないな」
「すっごくついて行きたがりましたからね、ロムルーシ」
「実際北の辺境にまでついて行ったからな。あの決断力と行動力は素直にすごい」
三年ほど前、姉は帝都から出てご主人さまの派兵に同行した。
私の病状が改善していなければ絶対になかったことだけれど、その上で私を治してくれたご主人さまの窮地に少しでも手を貸せたらと、姉から今まで聞いたことのない言葉が漏れたのが印象的だった。
随分やる気で、いっそ気負っていると言ってもいいくらいだったように思う。
だから私は寂しさを抑えて応援した。
結果は、数年戻れないことも覚悟していたのに一年で戻っているけれど。
「今回は半年の予定ですし、短いですよね」
「学生同士の学習環境を整える時間調整のようなものだからな。ただ、それだけ時間があれば第一皇子殿下にとっては十分だろう」
確信めいたセリフに聞こえる。
けれどウォルドさんとしては含みを持たせた意識はないようだ。
私はまだ一年もお仕えしていないけれど、ウォルドさんは仕えて錬金術を教えてもらうほど親しんでいる方だからこそ、きっとまだ私が知らないご主人さまの一面を知っているんだろう。
そのウォルドさんから今、ご主人さまの計らいで私が教えてもらえている。
調香のやり方も、道具を譲ってもらった上で、やり方を姉経由でお教えいただいた。
ここでの錬金術の合間に調香も許されてる。
しかも調香に使う材料も、ご主人さまが命じてやらせているという態でお金を出していただいていて…………。
「至れり尽くせりで、恩返しできるかどうか。ともかく、影武者を精一杯努めないと!」
「う、そこは私も、役立てるよう考えないとな」
ウォルドさんも、ご主人さまに錬金術をさせてもらっているということで思うところがあるらしい。
「だったら私がダム湖のほうに行く時ついて来てくださいぃ。あの元気だけどやつれてる人たちの中を歩くのけっこう勇気がいるんです」
「それは、うん。わかった。帝都の学者もいるのだから、ばれないようしたほうがいいな」
ご主人さまはいつでも隠れるように行動する。
その理由は、賢すぎて弟君と帝位を争えるくらいだからだそうだ。
自分がいないほうが何ごとも上手くいくなんておっしゃっていたのを聞いたことがあるけれど、そんなことは絶対にないと思う。
私でさえそう思ったんだから、ウォルドさんや姉、側近方はもっと思うことがあるんだろう。
ウォルドさんは難しい顔であらぬ方向を見ていた。
「何か心配がありますか?」
「…………今度は、何を成し遂げて戻られるかと思ってな。私では想像もできない」
「成し遂げる? 留学ですよね。勉学を修めて戻られるのでしょう?」
「まぁ、そうだな。ただあの方はそのついでを考えていらっしゃるそうだ」
何やら事情がある様子だけど、私は聞かされていないから聞いていいのか迷う。
私が困っているとそこにノックがして、姉が入室許可を求める声がした。
ご主人さまがいらっしゃる態だからだ。
私が扉を開くと優しい笑顔を浮かべるのだけれど、用事があっただろうウォルドさんのほうを見た途端、姉の笑顔は霧消した。
あまりに極端な対応に私のほうが申し訳なく感じるけど、ウォルドさんも慣れたのか特に指摘しない。
やっぱりとっても懐の広い方だと思う。
「手紙が届いていましたので、テレサの様子を見に来るついでに」
はっきりとついで宣言って、一応私の先生をしてくれてるのに。
「姉さん、優しく」
「今さら? テレサが望むならそうするけれど」
「気遣いはけっこう」
私の訴えに姉が応じようとすると、ウォルドさんのほうが首を竦めて拒否。
いったい何をしたの?
ウォルドさんは何故か自分の頬を擦りつつ手紙に目を落とす。
「あぁ、大叔母上から。第一皇子殿下宛に何かあるかもしれない」
その方は私も耳にしたことがある。
軍に所属される方で、今はホーバートの街を拠点に悪のサイポール組を潰すため派兵されていらっしゃるとか。
そしてご主人さまが密かに通う錬金術科に、そちらの地方に関わる学生がいる。
そのことについて問い合わせをしているのだとか。
第一皇子としては動けないので、ウォルドさんの親類を頼って情報を求めていたはず。
「…………ふ、む? 温泉?」
「ご主人さまが作られた施設の名称ですね」
派兵に同行した姉は知っていた単語のようで、どうやら派兵先で何かあったようだ。
ウォルドさんが差し出す手紙を見て、姉は考え込む。
「温泉拡張の算段…………ご主人さまにお聞きしたほうがいいでしょう。ただ、予算があるようには思えない村と領地でしたから、ご主人さまに甘えるようであれば」
「さすがに大叔母上もそのような考えを覗かせているなら伝えては来ないはずです。しかし、施設の拡張という話であれば、これから留学という殿下には」
何やら話し合いが始まるので、私は使った器具の洗浄を始めつつ聞き流す。
正直仕えて間もない私では、まだわからない話が多い。
けど、姉が他人と普通に話してる姿にほっとする。
私のために薬代を稼ぐべく働きに出ると言った時には、侍女と一緒に止めたけど、宮殿の使用人の職を掴んでくるという才能の使いどころが極端な人なのだ。
さらにそこから皇子の侍女と聞いて、世話をしてくれる侍女と何かまずいことに巻き込まれたのではないかと心配していたのに。
「立身出世の湯? あの将軍が大成したのはご主人さまの…………いえ、岩盤浴施設や温泉蒸しを思えばあながち間違いとも?」
「いったい辺境の村に何を作って来たんですか?」
「…………薬となる熱水のかけ流し?」
「何してるんですか!? 薬ってそんな高価なものを!?」
当たり前の顔をする姉と、薬と聞いて動揺するウォルドさん。
私も薬のために働く姉を知ってるから、いったいどんな豪華な施設かと耳を疑う。
「姉さん、温泉っていったい?」
「温泉というのは、ご主人さまが見つけられた薬となる泉の源泉で…………」
私が聞いてようやく詳しく話し出すその変わり身に、ウォルドさんはもう諦めた様子で微笑を浮かべてる。
その横で、私のほうがなんだか居た堪れない。
勉強させてくださるご主人さまはもちろんだけど、ウォルドさんにも何か恩返しができるといいな。
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