閑話40:ディオラ
学園入学からふた月、あれだけ心待ちにしていたはずが物足りなさを感じている。
「はぁ…………」
「まぁ、どうなさいまして?」
「ディオラさま、お加減が?」
「い、いえ。なんでもないのです。お気になさらないで」
小さな溜め息一つで周囲の学生たちが騒ごうとするのを、私はすぐさま誤魔化す。
けれど周囲はそんなことで、この学園のある国の王女の異変を流すことはしない。
「もしや、先ほどの錬金術科の実験で気分が? お休みになられますか?」
「まぁ、錬金術など毒を扱うのですから、あんなに近づいては害もあるでしょう」
「違います。そのようなことではありません。憶測で他人のせいにするなど、卑怯な真似はするべきではありません」
自分の振る舞いのせいで誤解されてしまいそうになり、私は強く否定する。
けれど他人の常識を覆すなんて難しいということが、周囲の反応で感じられた。
錬金術と聞いて思い浮かぶのは毒か詐術か。
私は幼い頃から本当のところを聞き知っているけれど、では錬金術とは何かと聞かれれば困ってしまう。
それほどに奥深い学問であり、可能性を秘めているとわかっていても、まだ公にはできないことが歯がゆくもあった。
「私は大丈夫です。さぁ、次の授業に参りましょう」
「はい、お供いたします」
私の声かけに周囲の生徒は従順に応じる。
その上で腹の内は晒さない。
そこは王侯貴族の子弟なので、手応えのなさはあっても、こちらを不快にするような対応はしない。
家を、血縁を、姻戚を、何より従う民草を思えば、個人の好悪で動いていい訳ではない。
特にこの教養学科にはそうした男女問わない長子たちが集まっていた。
「次はニール先生の教室ですわね」
教師は研究室と教室をセットで持っており、私たち生徒が移動して回る形で授業が行われる。
例外はたぶん錬金術科。
担当者が一人だけで、今日見た時には上級生も一緒に活動をしていた。
「ごぞんじ? ニール先生は在学中魔法学科にいらっしゃったそうよ」
「まぁ、獣人と別種族の血が流れていらっしゃったのかしら?」
「いいえ、それが身体強化のみで、魔法道具を駆使して卒業なさったとか」
にこやかで一線を守れば過ごしやすい環境。
けれど基本的には、すでに学習した内容を一歩深めた程度の授業内容でしかない。
そう思うのは生徒の一部で、ついて来られない者もいる。
わかっているけれど、どうしても自分の経験が基準になって傲慢に考えてしまう。
これではいけない。
錬金術についても私は知っていて、周囲は知らないのだから、当たり前の反応だった。
経験の差を埋められるように手を講じることこそ、王女としての私に求められる資質のはず。
そう思うけれど、なかなか錬金術への誤解を解く糸口が見えない。
「お迎えに上がりました」
授業が終わり、帰路につくため正門に行くと城から馬車が迎えに来ていた。
御者と従者に並んで、護衛を務める女官が馬車の前に揃って私を出迎える。
今日は放課後にサロンに誘われ、図書室を利用していつもよりも遅い時間だ。
すでに夕日が傾いているけれど、とても一日が短く感じた。
普段と違うことがあったからこそ、考え込んでしまう一日になったのだろう。
「どうなさいました?」
馬車に同席する女官が、私の様子に気づいて問いかけて来た。
「そんなに顔に出ているかしら?」
「目、でしょうか。姫さまは思案されている時にはその瞳が現実をすかしてはるか遠く、もしくは深くを見据えておられます」
真面目で有能な女官だということは知っている。
けれど錬金術について語る私の言葉を理解はしてくれない。
私自身が聞きかじりであるせいもある。
同時に、アーシャさまのように証明する手立てを私が持っていないせいもある。
封印図書館の成果が世に知られるようになればまだ違うのでしょうけれど、今はまだ。
アーシャさまが危険性を訴えたほどで、父もそれを受け入れている。
であれば、私が望んでその成果を盗み見るようなこともできない。
「考えのきっかけだけでもお話になられませんか。ここには私しかおりません」
どうやらそう促すほどには私が悩んでいるように見えるらしい。
その上で他言しないと言外に言ってくれるのなら、少し甘えよう。
「今日、錬金術科が実験を行っている場に行き合ったのです」
「…………危険などは?」
「ないとのことでした。何より、錬金術科の教師と、アーシャさまの家庭教師をしていらした方が監督しておられました」
女官がホッとするのは錬金術への危機感より、学園で名を残した双子への信頼が上回ったから。
どちらも魔法使いとして評価され、その上で錬金術の可能性を理解しているというのに。
「錬金術科の学生とも顔を合わせたのです。五、六人ほど。国が錬金術科を冷遇していると思われていたようでした」
「不遜なことですね。学園で存続させていたことだけでも感謝すべきところを。他の学科は確かな実績を上げている中で…………」
「いいえ、事実です。たとえ存続をさせていたとしても、発展を見据えた対処をしては来なかった」
アーシャさまが実績を見せつけなければ、近く錬金術科は消えていたと思えるほどに。
「姫さま、それはあまりに錬金術に甘い考えです。他が努力をしていないとでも? いる者が、知る者が、学んだ者が、発展を示さなくてどうします。実績として見える形にしなければわかるわけもありません。それを怠った者を庇うのは、今まで結果を残して来た他の学科を軽んじるに等しいお言葉ですよ」
指摘されれば否定もできない。
確かに私はアーシャさまという人を通して錬金術を大きく見ている。
それ以外がどうなってるかなんて見てはいなかった。
「かの薬学の権威であるテスタ老も、若き日には薬学の重要性を疑問視されていたそうです。医療に関わる分野は教会が長く実績を残していました。故に在野における薬の信用性はとても低かったのです」
薬学と今でこそ言われるけれど、五十年前にはとても小さな学派だったとか。
かつては民間療法と呼ばれる気休めや、人によって死ぬことはその者が罪を犯したからだと貶めさえもしたとか。
怪しい知識に頼ったり研究するよりも、確かな教会に頼るほうが健全であると。
そういう考えに光を入れたのがテスタ老。
学問として、また外貨を得る道筋として、誰にでもわかりやすい実績を残した。
それが錬金術との違いであることは確かだ。
「もちろん、帝国第一皇子殿下が取り組む錬金術は、世間に横行する詐術とは違うと存じております。しかし、それに続く者がいないのでは学問として先がないのです」
「先が、ない。えぇ、きっとアーシャさまもそうお考えだから、留学してお力添えを」
封印図書館の研究に尽力してくださっている。
そうして確かに進んでいらっしゃることを思うと、私はまるで学園で足踏みをしているような気になった。
「まだ入学されて二カ月。想像と違うこともありましょうが、必ず学園での経験を活かせます。何より、この学園はこうして都市を形成するほど人々に求められ、また支えられる我が国の誇りでもあるのです」
確かに私が否定するようなことを言っては障りがある。
錬金術科に対しては、王家の者としてではなく、個人的な感傷だ。
私はそう自省しながら窓の外に目を向けた。
すると、建物を隔てて道の向こうに一瞬だけれど、確かに歩く人が見える。
「…………アーシャさま」
皇子が歩いていることよりも、一緒に歩く少女の姿に息が詰まった。
お仕着せらしいものを着た子で、同じ装いの年長の女性も一緒にいたようだ。
だから侍女か何かで、アーシャさまのお供だということはすぐに察せられた。
ただ、そうとわかっていても私は、その歳の違わない少女を羨む思いが抑えられない。
「…………私は、我儘になっているのかしら?」
「姫さま、ままならない思いは誰にでもあるものです。それは上下に関わらず。少なくとも己の非としてお考えになる姫さまは、決して我儘なだけではありません。誰も考え、思い、感じるのです。そこからどう言葉を発し、どう振る舞うか。それによってただの我儘か、己をより良く導くための想念であるかが変わります」
女官は私の胸の内を知らずに教え諭す。
けれど錬金術科に対する思いであればともかく、これは完全に私の我儘だ。
そうとわかっているからこそ言えない。
言葉にできない。
「お兄さまは…………」
「アデル殿下からは、ご連絡はないままですが、それでも従者からはご壮健であると報告は上がっていますよ」
「えぇ、そうね」
私は女官に相槌を打ちながら、国を離れた兄を思う。
もし兄が戻らなければ、きっと私の婿取りの話が本格化する。
国や民を思うなら、卒業と同時に血筋と家柄の確かな男性を選んでできるだけ早く政治に参画してもらうべきだ。
その候補の中に、第一皇子でありながら嫡子ではないアーシャさまは決して入らないし、弟君を大事にするアーシャさまも継承権争いを刺激する王族との婚姻なんて望まない。
卒業までの三年で今の状況を変えなければ、アーシャさまは動かないだろう。
そうとわかっていても今の私には妙案なんて浮かばない。
ただアーシャさまと並んで歩き、笑みを向けられる。
その一事が国や民を横においてでも、羨ましいと思ってしまっていた。
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