191話:ラクス城校魔法学科1
今日も僕は午前を使って封印図書館のあるダム湖にやって来た。
小島はもはや物理学の初歩的な実験場と化している。
「手狭になって来たので、新たに実験場を増設いたします。つきまして、まずダム湖を望む山を削って造成をいたしますので、少々騒がしくなりましょう」
「え、大事業じゃないか。費用は国から出るの?」
「殿下にお断りされたので、いくあてのないわしの年金からですな」
何やってるの、テスタ?
そしてすでに造成は始まっており、湖の島から木々が伐採されている箇所が見える。
位置的に、島に上陸するための桟橋を監視できることも織り込みのようだ。
ダムの上の屋敷と合わせて島に死角を作らないように配置されるらしい。
僕は予定地の地形図や設計図を見せられながら、結構な規模であることに目を瞠る。
「つきましては完成する実験場には殿下の名をいただきたく」
「ぶ…………!? 嫌だよ」
なんで残念そうな顔してるの?
「洗礼名のフリーソサリオでも?」
「いや、確かにそっちで呼ばれることないけど。なんで僕? テスタがお金出すならテスタでいいでしょ」
「いえ、殿下にお渡しするためにこの手からは離れた金銭ですので」
変な拘りを語るテスタに疑いの目を向けると、思い出したように手を打つ。
「そうそう、転輪馬の改良品が上がりまして。一度殿下にもご覧いただきたいのです」
「あぁ、連結して二人乗りにしたやつ? やっぱり馬車牽くには馬力足りない?」
「そうですな。飲食や替えの馬の費用を考えれば人間を使うほうが安価です。ただやはり力が、馬一頭に対して人二人と言ったところでして」
転輪馬は去年の冬から試作を続け、テスタが言うように費用対効果が馬に比べていいことから、馬車工房を使って専用の車輪作りを始めている。
ただ馬と全く同じ働きを望むと人数が必要で、その分転輪馬の改良も必要になっているそうだ。
相談されて、車輪を直接回すやり方から、ペダルと後輪をチェーンで繋いで駆動させる方法を伝える。
これでペダルとサドルを増やせば転輪馬一つに対して二人の馬力を伝えられるんだけど、回転をスムーズにするためにボールベアリングについても一応伝えておいた。
ボールベアリングの用法は、帝室図書館にあったんだよね。
で、実際に使用された場所は、庭園の石像に隠された夜這い用通路を開くためだったけど。
「それとですな」
僕が技術の無駄遣いを嘆いていると、何げない風でテスタが言葉を切る。
違和感を覚えて見れば、テスタの目は周囲を窺っていた。
周囲ではテスタの部下が作業をしているけど、帝都の学者はいない。
「ハマート子爵令息に何やら動きがあるそうですぞ。ラクス城校の者からの確かな情報です。今なら対処できますが?」
「そうして筒抜けってことは、アクラー校生と同じ手順で喧嘩売ってくるよう誘導できるだろうから、別にいいかな」
「第一皇子殿下であれば対処も容易いでしょうな。ですが、あまり貴族子弟と事を構えますと、今度は王城のほうが疑念を膨らませましょう」
「容易いも何も、子供の喧嘩なんだから。けど、忠告は受け取っておくよ。別に僕もルキウサリア国王に面倒ごとを押しつけるつもりはない」
思わず年齢に見合わないことを言ってしまったけど、テスタを含め、聞こえたヘルコフとイクトまで納得した様子で頷いてた。
「第一皇子殿下にとっては、学生の本気など児戯に等しいということですな」
「わかりやすく殴りかかって来てくれるなら対処しやすいんだ。裏を気にする必要もないし。それで言えばルキウサリア国王のほうにはフォロー入れておいたほうがいいのか」
「そうですねぇ…………、殴りかかっても来ないくせに邪魔する奴多かったですし」
「わかりにくいというか、もはや結果しか見えない手を打ってきましたね」
ヘルコフとイクトが言うように、宮殿の端にいる僕はやられてから経緯を探るくらいしかできなかった。
殴り返そうにも、素直に殴ってくる人なんて宮殿にはいなかったんだ。
だから簡単に引っかかって、衆目の前で潰れてくれる程度の子供の相手なんて、どれだけやってもなんの問題解決にもならない。
だからすでにやらかした後のハマート子爵令息なんて問題じゃない。
状況を考えれば帝国貴族子女の中でも肩身が狭い思いしてるだろうし、その状況で入学しているならラクス城校でも相応の対応をされているだろう。
「さすがにラクス城校生を相手に勝つと、その後他がどう動くかは考えておこう」
「アクラー校生を下に見ていたラクス城校生も、反感を覚えることでしょうな」
「だよねぇ、ちょっと面倒だな。まだ早すぎる」
「と言いますと?」
テスタは興味を示す。
錬金術の評価を高める意識はあるので情報共有はしておこう。
「アクラー校生を〆た。それで錬金術科へのちょっかいは減ってる。けどまだ力を認めるまではいかない。その上いかさまを疑う声も根深い。ここでさらにラクス城校生を倒しても、悪評が上乗せされるだけかもしれない」
「確かに。実績と数えられるようなことを成した上でならまだしも、入学一カ月となると」
「あと、上級生も心配だ」
僕の言葉にヘルコフたちもわからない顔をした。
「現状錬金術師として就職できる職種はない。だから錬金術科を卒業する上級生たちは、錬金術の道を諦めるか、兼業するしかない。そんな状況で錬金術科の下級生が、いかさまを疑われる方法でアクラー校生に続き、ラクス城校生を倒しても悪い印象にしかならないでしょ」
それでは余計に錬金術から人が離れるばかりになってしまう。
「ふぅむ、わしの研究室に受け入れることもできますが、名目は薬師になることでしょうな。錬金術師と名乗らせて雇用するには難しい」
テスタも今は錬金術をしているけど、何十年も務めた薬師として名声のほうが強い。
その下に入っても錬金術師として認知されるわけもないだろう。
僕たちの話を聞いていたイクトは、辺りを見回した。
「こちらの調査員にしては如何ですか? 寝食を削るほど人手が足りていないようですし」
「人手不足はあるけど、それもまだ早いんだ」
足を踏み入れたテスタたちさえ、まだ封印図書館の内容を全部は把握してない。
それで人手を増やすのも危険が大きいし、ましてや錬金術科の学生は自分の興味関心のある分野に特化していて、どれだけ貢献できるかは未知数だ。
「しかし人材の消失など、それこそ論外でしょう。これから錬金術の人員を増やすならば卒業生は押さえておきたい。何か目に見えて錬金術とわかる技術を研究するという名目で」
「あぁ、ヴラディル先生に回したみたいな? そうか、過去の…………十人未満ならありかな?」
「この老骨の手はご入用でしょうか?」
「そうだね、テスタが号令してくれたほうが早いかも。錬金術の図書を探す人員にできないかな」
すでにルキウサリア王国の図書館では錬金術とわかる図書を分類している。
けれど謎解きで隠され、全く別の書物に見せかけた隠れた研究書もあるはずだ。
図書館へ引率したノイアンから報告されてるらしいテスタは頷く。
「確かに、在野なれば秘匿もやむなし。他にもそうした技術がある可能性も高いでしょう」
「帝室図書館には封印図書館について隠されていた。もしかしたら生き残った錬金術師がこのルキウサリアでもそうして残しているかもしれない」
少なくともルキウサリア王国近辺では、錬金術師は残っていない。
それが黒犬病に関わるかはわからないけど、贋金なんかもあって公に活動できなくなった状況は想像できる。
「まずは僕のために選り分けられた図書の中に、暗号が隠されていないかの確認。人が余るようなら過去の錬金術師の遺品を探す人員になってほしいな」
少なくとも錬金術科卒業なら、暗号解読の基礎は授業で習っているはずだ。
ノイアンが図書の引率をしたし、そこからテスタに伝わって、錬金術科に要請という流れはありだ。
なんて言ったって、表向き帝国の第一皇子は関わってないからね。
「アーシャ殿下、そろそろお時間です」
僕たちの話が一区切りついたと見て、イクトが帰る時間を告げる。
「あ、もう? じゃあ、手短に。テスタ、薬のほうは?」
「はい、八百年前の天才が残した黒犬病の特効薬に関する記述は、あまり信憑性がなく。殿下がおっしゃるように、確実なのは罹患者から得る方法でしょう」
「けどそれは感染の危険と隣り合わせだ」
「おっしゃるとおりで。とは言え、天才のようにエリクサーを求めるのもまた、毒物を扱うことであると殿下が忠告くださったとおりのようなので確実性を取るべきかと」
テスタには天才が遺した黒犬病の薬の作り方の試行錯誤を検証してもらった。
天才は結果として錬金術の最高峰、エリクサーに頼ろうとしていたようだ。
けど鉱物ばかりを使うその製法は正直言って毒と毒を混ぜるようなもの。
けど僕は知っている。
鉱物からしか得られない化学物質があることを、そして化学物質は薬にできることを。
ただ、僕が見ても記録されたエリクサーの作り方に薬効があるとは思えない。
「そう思えば、実験場はありか。テスタ、実験場に除染室作れないかな?」
「はてそれはどのようなものでしょう?」
「殿下、午後の予定に遅れますよー」
話し込みそうになるのをヘルコフに止められた。
しょうがないから僕は腰をあげる。
「また明日午前に。その時に説明する」
「はは、お時間いただきありがとうございました」
名残惜しさを隠すように言うテスタに見送られて、僕は学園に向かうべく馬車に乗り込んだ。
定期更新
次回:ラクス城校魔法学科2




