閑話37:ルキウサリア国王
王城の執務室には、口が堅く信義に厚い者をえりすぐって十六人を集めた。
誰もが国を思い、発展を望み、私欲がないとは言えないが欲深くもない。
そんな人間たちが、揃って苦渋の表情を浮かべている。
私たちの前にあるのは、封印図書館から上がった報告書だ。
さらには帝国第一皇子の所見も書き添えてある。
「…………まず、事実を受け止めよう」
このルキウサリアの国王として、私はそう口火を切った。
今日の報告内容は、第一皇子がいつもと違う財務官を連れて来たことから始まっていた。
所見を見る限り、第一皇子は漠然と封印図書館の規模に疑念を持っていたらしい。
そしてすでに封印図書館の内部を掌握しているようで、財務官を使って封印図書館に使われた素材の金銭価値を計算。
結果、封印図書館を作るには今でも予算が足りないことが判明する。
そこからかつて三国同盟であった旧来の国家が、贋金づくりに手を出していたこともナイラというオートマタから言質が取られていた。
「焦土作戦…………」
「黒犬病を国内で…………」
誰からともなく聞こえるのは沈んだ声音。
重い沈黙を作る者たちの気持ちはわかる。
あまりの蛮行に私も眩暈を覚えた。
贋金など一時を凌ぐ詐術でしかないどころか、後から強力に利いてくる毒薬にも等しい。
一度贋金を使ったとなれば国としての信用は地に落ち、味方が必要な場面でも贋金で他国を騙したという不審がつきまとう。
「現在にまで、影響することではないのだ。すでに贋金はそのほとんどが存在しない。黒犬病による混乱期に流通も止まり、露見もせずに済んだようだ。そしてこれから重要なのは、今、やらないこと。それは第一皇子も所見として書いている」
八百年の時が経った今だからこそ、昔のことだと言える。
だからこそこれを今悪用してしまえば取り返しはつかない。
当時は教会と帝国、強大な敵を抱える状況があったからこそ許された蛮行だろう。
正直両者を敵に回すなどと私の在位でやられたら、荘園の民を見捨てる方向に舵を切る。
だが当時を思えば三国同盟の上で結束を呼びかける世情だ。
勝手に独立だと騒いで勇み足をしたとはいえ、民を見捨てることはできなかったのだろう。
「たった一カ月、いや一カ月未満滞在しただけでこれですか…………?」
「いや、これだけではあるまい。封印図書館から報告が上がる度に、転輪馬や空の道の開発が進むと聞く」
「封印図書館にある機材のスケッチも、技術の進歩を確信させる材料だとか」
「あとは…………錬金術科か…………」
一人の発言でまた沈黙が落ちた。
第一皇子は留学しているという建前だが、この場の者たちには身分を偽って入学していることは周知してある。
その上で、入学から今日までに起こした変化は顕著だった。
「まさかアクラー校の魔法学科を下すとは」
「いったいどうやったかまだ分からないままなのだろう?」
「それも封印図書館の成果か?」
「いや、帝国のほうに残されていた錬金術を使ったそうだ。錬金術科教師の報告によれば、錬金術科に入学しているもう一人の帝都出身者も扱えた技術だという」
私は訂正しつつ、認めなければならないことを告げる。
第一皇子が特殊であることは確かだが、第一皇子が使う錬金術が特殊なわけではないのだ。
錬金術という技術は確かに魔法に比肩し、やり方次第で凌駕するポテンシャルがあるのだと。
今までの常識を覆した上で、我々がどう使うかを考えなければならない。
「第一皇子は、いつまでルキウサリアに?」
「表向き留学だ。だが実情は別人としての入学。であれば卒業までだろう」
「ですが、進学の可能性もあります。テスタ老が傾倒するほどの薬学の知識もあるのですから」
「だがそれでは第二皇子が入学した際に、我が国で争いが起きかねんぞ」
ないとは言えないのは、先年両者を見たからこそだ。
決して争い合う関係ではない。
しかしそこに対立を生むのが継嗣争いというもので、一人と一人の問題ではないのだ。
取り巻く周囲の思惑があってこそ起こされる諍いだ。
そしてそれを御さなければ、もっと多くの人の集まりである国を宰領するなどできるはずもない。
「第一皇子は噂ほど愚鈍ではないのは確かだ。であれば、ごく最小限の側近は争わないためでは?」
一人の意見に私も頷く。
少なくともあの第一皇子に人を動かす才能がないわけではない。
その証拠に計略にはめられたような派兵の際、周囲の予想を裏切って短期間で凱旋を果たしている。
封印図書館を発見した際の対応も、粗はあったが決してまずくはなかった。
その後も帝都での様子をテスタから聞いている。
孤独な左翼棟での生活とは裏腹に、確かに皇帝を動かし周囲の目を操る手腕があったそうだ。
「長期であれば確かな地位を与えて抱き込むべきでは?」
「いや、それは帝国からの飛び火を避けることもできなくなる」
「そもそもユーラシオン公爵が本腰を入れたなら敵対するのでは?」
「それで言うならば、いっそこちらで引き受けることで宮殿から引き離すよう見せかけるのもありでしょう」
意見を出し合うが、出て来る意見を聞いてその狙いは大まかに二つに別れる。
帝国を慮るからこそ遠ざけるか、手元に囲うか。
自国の益を思うからこそ遠ざけるか、手元に囲うか。
どちらにしても第一皇子本人が問題だ。
「今も第一皇子でいるのなら、皇太子擁立を皇帝が諦めていないのでは?」
「争わない姿勢なら第一皇子は帝位への野望はないはずだろう?」
そこは私もよくわからない。
争いを生ませないためにはさっさと第一皇子を外に出したほうが安泰だ。
それもまた別の問題はあるが、継嗣争いで国を二分するよりましだと思える。
ただそれはルキウサリアからの見方で、帝国は権力関係が複雑だ。
私に見えていない要因があるかもしれない。
ストラテーグ侯爵からの情報では第一皇子に帝位への欲はない。
その上で第二皇子が帝位につくことを望んでいる言動さえある。
ただし、宮殿から出ることには消極的だとも聞くので、本当にその辺り何を考えているかわからない。
才能があり、将来の禍根になるとわかっているなら、宮殿など離れてしまえばいいのに。
「少なくとも、第一皇子側から我が国に求められたのは留学中に使うだけの屋敷だ」
私は答えのない議論に、まず現状の事実を告げる。
少なくともルキウサリアに根を下すつもりはないと思うべきだろう。
実際、皇子のまま根を降ろされても困る。
「あの才能を手放すのはいささか臆病すぎると思われます」
「しかし、第一皇子を囲うとなると我が国の野心を疑われる」
才能としては惜しい、だが帝国の有力貴族を敵に回すほどの価値は疑わしい。
いっそ継承権がほぼ認められない庶子ならまだ良かった。
もっと言えば歯牙にもかけられない程度の貴族の血筋と家名であればいくらでも抱え込んでルキウサリアのために使える。
そうでなかったとしても、皇帝や帝国に対して思うところでもあれば離間をしかける隙にもなったことだろう。
「そう言えば、ディオラ姫と仲睦まじい様子であると聞いておりますが?」
一人の言葉に期待と不安の目が私に向けられる。
それに対して、私はただ首を横に振ってみせた。
結婚させる気はない。
させたところで、ルキウサリアのためにはならないことが先年からの対話でわかったからだ。
「あの皇子殿下は、ルキウサリアのために働くことはしないだろう」
現状我が国に利することをしてはいる。
だが交渉の場においては帝国側の利を譲らなかった。
テスタが言うように、封印図書館には価値よりも危険を重んじて意思決定をしている。
だからこそ今も帝国に波及するかもしれない危険を放置せずに関わっていると見ていいだろう。
その上で破壊して封印し直してもいいと思う程度の価値しか見出してはいないというのだから、本当にあの第一皇子の価値観はわからない。
決してルキウサリアを悪くは思っていない。
ディオラのことも憎からず思っているような気はするが、決して自ら踏み込まない分別がある。
しかしそれだけだ。
我が国を優先することはない相手に、我が国の権力に手の届く場所を用意するわけにはいかない。
国王として、国を維持する者としてそれはできない。
「せめて…………」
漏れそうになる独り言を飲み込む。
せめて、ディオラが惚れているのではなく、惚れられていれば。
もしくは、手紙のやりとりで受けた印象どおり、争いを避けて調和を重んじるような大人しい人物であったなら。
しかしそれはこの一カ月であり得ないとわかった。
皇子という地位の足かせがなくなった途端、敵対勢力を叩いたやり方は決して争いを嫌い避けるような性格ではないことを物語っている。
私が今願えることと言えば、今のままルキウサリアに興味を持たずに、過去の汚点ごと価値がないと忘れてくれることだった。
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