180話:アクラー校生5
錬金術科の教室で、朝からイルメが笑顔だった。
「今朝の登校はとても快適だったわ」
そう言って今日も本を開くイルメは、囮になってもらったこともあって、最近では登校から絡まれてもいたそうだ。
ただ早速昨日のことが噂になり、今朝は絡まれることなく登校できたらしい。
「自分も寮で聞いた。昨日の命乞いをしたアクラー校生たちは、魔法が使えないという未知の感覚に、もう二度と魔法が使えなくなると勘違いしての醜態だったそうだ」
「エッセンスに触れている間だけだから、集中力と冷静さがあれば押さえつけられた状態でも魔法は使えたはずなんだけどね」
ウー・ヤーに、ラトラスが肩を竦めてみせる。
さすがに学生では、そこまでの知恵は回らなかったんだろう。
というか、学園にあるダンジョンで実戦を経験した魔法学科の学生ほど、魔法が使えない状況のまずさはわかるはずだと、ウェアレルは言っていた。
「まぁ、リベンジ謳って挑む相手はいるだろうから、あまり単独行動は…………」
「お、新しい実験台か? 今度こそ錠剤飲ませようぜ」
僕が警戒を呼びかけようとしたら、丸い耳をピンと立てたネヴロフが笑う。
純朴と言うかなんというか、その発言あまり外で言わないほうがいいよ?
「今度も魔法学科の学生とは限らない。騎士科が挑んで来るとこちらが守勢に立たされることもあるだろうな」
「魔法もそうだったけど、武術なんて魔法以上に俺は何もできないよ。それに初見で舐めてるからこそ虚を突けたんだし。次も上手くいくとは限らないだろうね」
対処を考えるウー・ヤーに、ラトラスも慎重な姿勢を見せる。
そこにやってきたヴラディル先生は、何故かウェアレルを引っ張って来ていた。
「お、全員揃ってるな。今日の授業はこいつにエッセンスの使い方習ってくれ」
「あ、色違い先生だ」
ネヴロフの言葉に、僕とヴラディル先生が同時に噴き出す。
色違いと呼ばれたウェアレルの尻尾は不機嫌そうに揺れた。
「ヴィー、エッセンスの調合は後日、私の知る分は紙に書いて渡すと言っただろう」
「俺も国からの依頼でやることが多いんだ。それよりこいつらに教えて課題にしたほうが手間が省ける」
「私の手間が増えるんですよ」
言いながら、ウェアレルの耳が忙しなく動く。
たぶん仕事上の負担もあるんだろうけど、僕に教えるっていうのも断る理由だろうね。
ウェアレルが知ってるのって、僕が教えたやり方だし。
けどこっちには帝室図書館にあった錬金術の本もないから、僕が改めてウェアレルに教えることも必要かもしれない。
と言うか、印刷あるけど教会の専売で普通使えないから、本の複製は宗教関係以外全部手書きなんだよね。
だいたいの図書は一点もので、すぐさま内容を投影できるセフィラが本当に便利。
「座学をやって、きちんと理解してから実験はするものでしょう」
「その辺りはバラバラすぎて、理解を揃えるだけ時間がかかる」
「だからこそ足並みそろえるためにも、まずは時間をかけて事故を防ぐべきです」
「目指す方向が違うんだから、足並みそろえるだけ手間だろうが」
赤と緑で言い争いというか、教育方針の違いでぶつかり始めている。
これはまだまだ続きそうなので、僕はクラスメイトに声をかけた。
「僕は明日から、午前中のアクラー校生との授業は家の都合で抜けるつもりだから、授業中の組み合わせ今の内に決めておいたほうがいいよ」
「どうしたんだ、アズ。家って、実家で何かあったのか?」
心配するネヴロフに、僕は用意しておいた言い訳を答えた。
「錬金術科に通う代わりに家のほうからも課題出されてるんだ。そっちを消化しなきゃいけないから」
実際は、その間に封印図書館や王城の対応をする予定。
午後の授業は錬金術科だから出るつもりだけど、ウェアレルが教えると言うんだったらそっちも抜けていいかも?
そうしたら自分で使える時間が増えるかもしれない。
まだルキウサリア王国の図書館にも行けてないしね。
「ふーん、貴族って大変だな。勉強しに来てるのにまた勉強?」
「勉強って言うより社交か政治かな?」
よくわかってないネヴロフに、僕は肩を竦めてみせる。
「やはり人間たちの間では錬金術は衰退しているのね」
「衰退どころか、今のところ学ぶって言ったら正気疑われるよ」
本から顔を上げて難しい顔をするイルメに、ラトラスは手と一緒に尻尾を横に振ってみせる。
モリーが錬金術からディンク酒を作ったことは言ったけど、まだ一般に普及してない。
だからこそ帝都での空気感は、やっぱり詐欺の代名詞のままだ。
「ともかく、ネヴロフ一人にするのが危ないから気をつけて」
「おう、未だに先生が何言ってるかわからないぜ」
元気にそんなことを言うネヴロフは、言葉遣いも違えば表現も違うし、ルキウサリアは帝国語とも違うからしょうがない。
二、三年しか勉強したことのない上に、礼儀作法も身についてないネヴロフには厳しい環境だ。
「政治ってことは、アズは継嗣なのか?」
「いや、違うからこそ今からやっておかないといけないことがあってね」
ウー・ヤーにも用意しておいた言い訳を告げて、お家事情だから深くは聞かないでという雰囲気を出しておく。
それでイルメ、ウー・ヤー、そして商家のラトラスも退いてくれた。
ネヴロフだけがわかってないけど、そこは興味もないから聞いては来ない。
「それで、ヴラディル先生。話はつきましたか?」
「おう、ウィーは午後にまた改めて置いて行く」
押し負けたらしいウェアレルは、顔を手で覆って答えないまま教室を出て行った。
ヴラディル先生も退室したので、どうやらホームルームは今ので終了らしい。
授業の詳しいことは帰ってウェアレルに聞いてみよう。
「それにしてもさ、エッセンスって面白いな。帝都だとこういう錬金術なのか?」
まだ午前の授業のための移動までには時間があり、ネヴロフが聞く。
聞かれたのは帝都出身のラトラスだ。
「俺が錬金術を習ったところだと、補助的な扱いだったな。蒸留を大型化したような感じで製品を作るんだ」
お酒造りでね、うん、知ってる。
けど僕が最初に聞いたエッセンスの用法って確か、イクトとヘルコフが言ってたあれだよね。
「焚きつけにしても、飲み水にしても使えない量しか生めないし、魔法のほうが効率のいい詐欺商品?」
思い出しながら口にすると、クラスメイトたちがすごい不満顔で僕を見てた。
「あ、いや、これ帝都にいた知り合いに言われたことで」
「魔法の指向性を揺らがせる効果があることを無視した悪評じゃないか!」
「あれだけ扱いやすい上に量産もできるのに、なんて偏った見方なの!」
「下手したら魔法の攻防の要を担えることを全く気付いていないとでも?」
「帝都ってなんかすごいところだと思ってたけどそうでもないんだなー」
ネヴロフの一言で、僕に対して声を上げた三人も冷静になってくれた。
「そう言えば、エッセンスが魔法に作用するって教えてくれたのアズだった」
ラトラスの一言で、ウー・ヤーも肩の力を抜く。
「自分はそもそもエッセンスの存在すら知らなかったくらいだ。知っていたアズのほうが、悪評に思うところもあるだろう」
「そうね。錬金術はまだまだ奥が深いわ。もっともっと理解を深めないと」
イルメは真面目になって本に向き直ると、片手では何やらメモを始める。
そんなクラスメイトを見回して、ネヴロフは笑顔で言った。
「ま、帝都の皇子さまがきっと一番だぜ。残していった研究資料にエッセンス使うやり方あったし」
僕は肩を跳ね上げそうになるのをぐっとこらえる。
「いつも言うけど、その皇子さまってどんな人なんだ?」
「自発的に動くからくりを作って行ったと言ったな」
「それも錬金術だとすると、奥と言うよりも多岐に渡るのね」
そこを深掘りしないでほしいんだよなー。
っていうか、ネヴロフは僕のなんなの?
残していった資料って、どれ?
機材の手入れとか、そもそも機材の原理とかを説明した書類は残したけど、正直あの村の人たち文字も良く読めなかったはずだ。
後は水流多く流せるようになった時を想定して、水車から動力を得る方法とか模索した走り書きの類は、捨ててって置いて来た。
そうそう、エッセンスは確か高山植物で作れる止血剤を長持ちさせるための調合を残してたんだ。
「…………と、ともかく、明日から僕は午前いないから」
「おう、またわからないところあったら教えてくれ、アズ」
ネヴロフはまったく悪びれず返事をする。
もし僕が残した内容を錬金術で括ってるなら、たぶんだいぶ偏ったイメージを持ってる。
これはウェアレルが言うように一度足並みを揃える方向がいいかもしれない。
っていうか、ウェアレルも村にいたはずだけど覚えてないのかな?
「あ、アズ。近い内に音楽室を借りたい。こちらの音楽について教えてほしい」
「それだったら俺は課題で出されてる詩文の手直ししてほしいな」
ウー・ヤーとラトラスも、午後から出るという僕に頼る気満々だ。
そこはね、一応皇子として貴族程度にはやったからね、いいんだけど。
「アズは大変ね」
「イルメがもう少し優しく教えてくれたら、たぶん僕の負担減るんだけど?」
できるけど結構スパルタで、男子は早々にイルメから教わることは諦めていたのだった。
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