閑話34:皇帝
息子のアーシャは大変な道中だったにもかかわらず、合格して帰って来た。
ただ問題も持ち帰ったことは確かだ。
執務室には私と側近のヴァオラスのみで、お互い溜め息を吐きそうな顔をしている。
「テスタ老と問題か。ルキウサリア側から処罰を臭わせることはあったようだが、ブラフだろうな」
「正直に申し上げれば、実績と権威を持つ自国の学者を処分するほど、第一皇子殿下の存在に重みはありません」
言ってくれるものだ。
だが、そのとおりでもある。
未だに庶子相当と言われる血筋であり、その血筋自体私を貶める理由にもされる。
争わない姿勢を貫いたために帝国でも重要視されない立場。
そんな皇子がルキウサリア王国の秘密に触れた。
初手で口封じをされなかっただけ、ルキウサリア側の善意であると思うべきだ。
…………親の欲目としては、それだけアーシャが上手く立ち回ったように思いもするが。
「ユーラシオン公爵を抱き込んで、帝国内部を揺さぶる手もあっただろうに。されなかっただけ重畳と思うべきか」
「陛下がご即位前に、元皇女殿下のご子息が学園でお亡くなりになっております。その際の騒動から忌避した可能性は高いものと」
ヴァオラスに言われてもピンと来ない。
即位前は軍に所属し、結婚して子供も生まれ、国際情勢なんて気にしてなかった。
こういうところが未だに尾を引いている。
政治も降って湧いたりはしないのだ。
人間の営みのつらなりの上に生じる問題であるのだが、私はそもそもの問題に関わる多様な要素を押さえられていない。
「どの皇女だ?」
「…………皇太后さまのご息女です」
「あぁ」
面倒さがわかって声が低くなる。
今では宮殿から一番離れた庭園の向こうにある離宮で隠棲しているご仁。
だが、私が即位することを阻もうと内紛を起こしかけた烈女でもある。
ルカイオス公爵に敗れて政治的繋がりを全て絶たれたと聞いていた。
「確か、生まれはトライアン王家だったか」
プライドが高く皇女しか産めなかったが、その皇女の息子、もしくは皇女の夫を次代の皇帝にすべきだと主張したそうだ。
その上で生まれの低い私と私の子供たちを、帝室の一員とは認めないと公言もしている。
ただルカイオス公爵がその声を外に聞こえないよう抑えてもいるのだ。
以前来たハドリアーヌ王国のトライアン王家の血を引く姫も、血縁ということで接触を試みたがルカイオス公爵に阻まれている。
「今回はそれで帝室の者に手を出すことを控えてくれたなら、ありがたいというべきか」
黒犬病が蔓延した八百年前のことなんて想像できない。
けれど歴史に残され警告も多く、今なお語り継がれ、国として大変な被害だったことも知識としては知っていた。
それが一国の責任問題として覆いかぶさる恐れがあるというのは、想像したくない。
皇子とその側近たちの口を封じて、表面上だけの責任問題で済ませたほうが国としての対応は軽く済む。
その危険を孕んだまま、アーシャを留学で引き入れた。
あの子の才能を認めるからこそかも知れないが、やはり国として穏健だからこそだろう。
「…………自分が汚い大人のような気がしてくる」
息子の生存を喜ぶのは確かだが、皇帝として自分ならと考えてしまう。
しかも、もし他国の者のせいで国と家族に危険がと思えば、私はルキウサリア王国のような判断ができるだろうか?
「抱える責任も、優先すべき事柄も違う国です。陛下は陛下のなさるべきことを見据えて正しくあれば良いと思います」
ヴァオラスはそう言って、やるべき書類仕事を机に積んでいく。
見る間に私の目の高さまで書類が積み重なった。
「おぅ…………」
「まずはファーキン組の動きに対処するための警備計画の見直し案にご裁可を」
そう、確かにそのとおりだ。
いっそアーシャは学園という守りの中にいたほうが安全だろう。
そうなると、この帝都の宮殿に残るほうが危険と言える。
他の子たちのことを考えれば、こちらが喫緊だ。
「やはり宮殿で暗躍を目論んでのことだろうか?」
「犯罪者ギルドがかつて大聖堂で起こした事件を思えば、可能性は高いかと」
そのこともあって、ことはすでにルカイオス公爵も重く見て動いている。
動かせる人員の数と質は今なお向こうが上だ。
それもまた政治に絡む数多くの思惑と歴史があってこその実力でもある。
警備計画も相応に経験と実績のある者を、ルカイオス公爵の選定を受けて採用した。
そうして上げられた計画内容としては、特別にファーキン組に対処する特設部署を作って、必ずファーキン組と思われる案件はそこに一括で集まるようにすること。
帝都は区画で犯罪に対処する人員が別れているので、見落としが発生しやすいことへの対処だった。
「結局はアーシャのお蔭だな」
「陛下?」
「いや、帝都の警備は格段に質が良くなった。それはアーシャが大聖堂での件を未遂に終わらせ、奴らの足を鈍らせたお蔭だ」
私の言葉に、ヴァオラスはふと天井を見る。
その姿は先ほどまでいたストラテーグ侯爵を彷彿とさせた。
大聖堂の事件では、宮中警護を司る者として解決と犯人確保に奔走した人物。
その中で犯罪者ギルドに関わる者たちを拘束し処罰もしている。
その迅速かつ不退転の姿勢に声望が高まったほどだ。
「あれは、第一皇子殿下に何ごとか囁かれた結果だったのでしょうか?」
ぽつりと漏らされたヴァオラスの言葉に、私も天井を見る。
気のせいと言うには、確かにストラテーグ侯爵とアーシャは何処か近いように思った。
事件のたびに何度か聴取をしているのは知っている。
そのことは報告されていたし、不快な思いをしなかったかアーシャに聞いたこともある。
ただ返答は大丈夫ばかりで、アーシャは堪えてしまうところがあるからあまり信用もできない。
しかし、アーシャがストラテーグ侯爵の行動を左右するようなことをしていたら?
「ありえないとは言えないな」
「末恐ろしいどころじゃありませんね」
ストラテーグ侯爵はルキウサリア王国出身で、王家とも近い血筋だ。
そのストラテーグ侯爵の口添え、そしてディオラ姫との文通の内容、それらが今回のルキウサリア国王の判断に影響していた可能性は高い。
そしてファーキン組について噛む気だったアーシャの様子から、犯罪者ギルドの件についても何か動いていた可能性が濃厚に思える。
「それがわかるのが今になってか。自分の鈍さに呆れてしまう」
「卑下されることはありません。未だに実態を掴めていないユーラシオン公爵をご覧になれば良いのです」
「その割りに、散々アーシャの邪魔をしようとして、やってくれたものだ」
私は苛立ちを声に含ませてしまうが、ここに余人はいないので許してほしい。
今回の入試関係で、ユーラシオン公爵からは横やりがうるさかった。
入学体験でルキウサリア側が非を認めて配慮したのも、プライドを刺激されたのだろう。
己が優位であるはずの場所で、口を入れられなかったことに不満があったと思われる。
「アーシャが卒業相当と学士号を得たことを、不正があったなどと」
「第一皇子殿下が関わると、ルカイオス公爵も退くので、本当に煩わされましたね」
ユーラシオン公爵はルキウサリアと姻戚だ。
今回私と繋がりができたことにも不満があって、ルキウサリア側にも強気に圧をかけていたと聞く。
しかし裏を知る我々からすると、黒犬病の件を秘匿するための大事な繋がりだ。
本当にわずらわしいが、声を大きくできるだけの勢力も持っている相手ということで、慎重に裏を知られないよう動いていた。
それでも密約があるのではないかと嗅ぎつけた嗅覚は、素直に恐ろしい。
その際には事情を知るストラテーグ侯爵の協力を得られたので、ユーラシオン公爵を抑えられる手があることを教えられた。
「アーシャは何処まで読んで動いているのだろうな?」
「ウェルンタース伯爵のことですか?」
ユーラシオン公爵を抑える一手は、ヘルコフからアーシャに渡されたという、ディンク酒優先購入の権利を保障した会員券。
三枚を受け取ったアーシャは、一枚をストラテーグ侯爵へ、一枚をルキウサリア国王へ、そして残る一枚をウェルンタース伯爵へと贈ったという。
ウェルンタース子爵令嬢から子爵へ、そして伯爵へと会員券が渡るように、ストラテーグ侯爵に協力を要請したとか。
ルキウサリアへ留学することを見越して、その三者ということなのだろうが。
結果、私がウェルンタース伯爵を動かす足掛かりとなってくれた。
「第一皇子殿下から見ても、ユーラシオン公爵が障害となることは明白だったとも言えますが。ユーラシオン公爵家の存続に関してウェルンタース伯爵を無視できないといつから気づいていたかがわかりかねます」
「貴族事情にも、宮殿の勢力図にも詳しいとは思えないが…………案外、ユーラシオン公爵子息と、ウェルンタース子爵令嬢の関係から推察したのかもな」
ただの実体験。
しかし左翼棟から出入りができた後、ここ数年で見極めたなら、それは大変な才能で、確実に私を凌ぐことだろう。
そしてその事実は、きっと、次代を望まれるテリーに重圧となってしまう。
「まだ、子供であってほしいんだが」
息子たちはそれぞれ成長しているのはわかっているが、そう思わずにはいられなかった。
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