170話:初めての引っ越し5
僕が生まれたのは、両親が結婚して暮らし始めた家だったそうだ。
そして父が皇帝になるということで、一時期ニスタフ伯爵家に戻り、その後宮殿に引っ越した。
「殿下、手際いいですね。派兵させられた時にコツ掴みました?」
持ってく物を手早く箱詰めにする僕にヘルコフがそんなことを聞く。
「うーん、錬金術の道具が送られてきた時、開けたし?」
引っ越しに使うのは木箱じゃなく、長持ちという持ち運びの取っ手がついた箱型の入れ物。
形が崩れないように、揺れで損壊しないように、一つが重すぎないように考えて詰めて行く。
あと、中身がわかるようにメモ書きを一番上に入れてるのが、ヘルコフの感心の理由かな?
うん、これは完全に前世の知恵です。
今世だと初めて自分でやる引っ越しなんだけどね。
「それに元から荷物は多くないから、手際よく見えるだけかも」
家具は増えたけどそれは持って行かないし、向こうの屋敷に揃えられてる。
だから基本は衣服と錬金術関係、そして書籍、後はこまごまとした日用品だ。
逆に服飾関係が思ったより多いのが問題だと思う。
「ノマリオラ、手伝うよ。こっちは一息ついたから」
「ありがとうございます。では、どのお衣装がよろしいかお聞かせください」
衣装部屋で作業するノマリオラに声をかけると、実質何もしなくていいと告げられる。
服も増えたけど、靴や装飾品もその分増えてる。
皇子として留学するから礼服もそれなりに必要ってことで、持って行かなきゃいけない。
「姫君とお会いする機会も増えることでしょう。野外での活動も想定して…………」
「あ、うん」
僕が想定してない質問がきました。
ただ、できた侍女はてきぱきと手を休めず準備をしてくれる。
やっぱり僕はあんまり手伝うこともなく、衣服は整えられた。
「ありがとう、ノマリオラ。今日はもう下がっていいよ」
「御用とあればいつでもお呼びください」
お礼を言っただけでうれしそうに笑うノマリオラは、ルキウサリア留学について来る。
そしてその妹も、行儀見習いとしてルキウサリアの屋敷に来る予定だ。
だからノマリオラは、家に帰ってからは妹の侍女修行をしていると聞いた。
大変なのに一切そんなそぶりを見せないのは、本当によくできた人だと思う。
僕もさっさと寝ることにして、寝台に一人横になった。
すると寝転ぶ目の前に淡い光が浮かび上がる。
「セフィラ?」
「主人に求め。知識の源泉は何処にあるのでしょう?」
うん、いきなり哲学?
「テスタが言うとおり、主人の知識は別物です」
あ、そう来たか。
封印図書館で黒犬病を騙ろうとしたテスタは、僕には隠し玉があると睨んでいたようなことを言っている。
青の間や帝室図書館の本を見てテスタが気づいたんだから、僕にずっとくっついてるセフィラが気づかないわけもない。
「セフィラって僕の考えによく入ってくるけど、それで答えとかわからないの?」
「強く意識する思考ほどわかります。しかし主人の発想は突如として現れるため脈絡が理解不能」
理解不能って。
けど僕も今さら知る事実だ。
セフィラが僕の思考に入ってくるのは、漏れ聞こえるから。
そして僕が応じるとそこからはっきりと聞こえるようになるそうだ。
どうやら意識して語りかけるとわかるけど、普段前世をベースに考えてる時にはわからないし、異国の言葉のようにも聞こえるらしい。
もしかして思考が日本語だったりするのかな?
「感情により予測可能であるはずの危険を回避する判断力の低下を理解。その上で、主人であれば秘匿にも理由あり。余人がいなくなる時間は今のみと判断しました」
「つまり、テスタがやらかしてから聞く機会計ってたんだ?」
無理矢理暴いて失敗したテスタ。
暴きはしたけど、僕はセフィラが自立して思考したり魔法を使えることなんかは言ってない。
同時に言う気も完全になくなってる。
その失敗を見てセフィラは、僕と二人きりで聞ける状態を狙っていたらしい。
「やっぱり自分で考えてるんだよね。セフィラ・セフィロト。君はなんなんだろう?」
「私は私です。我思う故に我あり。主人が私を決定づけた言葉のまま私は存在します」
「それ、そんなに重要?」
「私が私であると自己自認をなす思考過程においての根幹です」
「そっかぁ、僕もそれで自分は自分だと思うんだけど、たまに違うのかもしれないと思ってしまうんだよね」
前世の日本は本当にあるのか?
そこで生きて死んだ僕であった男の人生は本当に存在するのか?
僕の妄想でないと誰が言いきれる?
きっと僕以外はこの妄想を否定しきれない。
逆にこの世界が前世だと思ってる僕の夢かもしれないし、それもやっぱり僕は否定しきれない。
胡蝶の夢という言葉がある。
自分は蝶の夢かもしれないという故事成語で、夢見る本人にもわからないというもの。
またそれこそが自由の境地であるそうで、どちらが本質かなんてことに拘るよりも、どちらも不満なく生きるべきだという悟りだそうだ。
「…………誰にも言わない?」
「主人が望むならば」
「面白い話じゃないと思うよ?」
「主人以上に私の糧となる存在はいません」
「もっと他に言い方ないの?」
「…………私は主人の全てが知りたい」
「それは無理だねぇ。僕にもわからないんだもん」
結局セフィラは知的好奇心の塊だ。
ただ人間と違ってそれを他人と共有しようという意識はない。
だったら僕の証明しようもない夢物語を語ってもいい。
「僕はここではない、こことは違う世界で生まれ育った記憶があるんだ」
三歳の時に三十年生きた男の記憶を得たこと。
魔法もない、帝国もない、歴史も違う、そんな世界は明らかに異世界だったこと。
錬金術に近い科学技術という力が世界を発展させていたこと。
セフィラが興味を引かれるだろう話をして、僕は欠伸をかみ殺す。
「世界自体が違うから、僕はこの記憶を証明できはしない」
「死んで生まれたという異常事態を受け入れた理由はなんでしょう?」
「そこが気になる? たぶん輪廻転生っていう思想があったからかな?」
説明をすればセフィラも知らない思想だとか。
もちろん帝国の宗教にはない思想だけど、探せば似たような生まれ変わりの概念はある気がする。
何せ、僕もセフィラも結局この世界の全てを知ってるわけじゃない。
「類似は主神の再誕でしょうか」
「あぁ、そんな神話あるね。人間の母親から生まれた半神の主神は、完全な神に生まれ変わって、神々の上に君臨するって」
帝国が国教にしてる宗教の神話だけど、輪廻を巡るって言う仏教の教えとは全く別物。
別の存在に生まれ変わるという転生には通じるものはあるけどね。
「主人は神でしょうか?」
「ぶ…………はは、ずいぶん飛躍するね。僕は人間だよ」
セフィラは迷うように、光球姿でぐるぐると円を描く。
僕が前世を語り出してからずっと飛び回ってる姿は、まるで興奮しているようだ。
「錬金術で考えたら、たぶんセフィラのほうが神さまには近いんじゃない? ナイラも言ってたでしょ。魂の錬成は神の領分だからできないって。肉体に縛られず知恵はあり、思考もできる。そんなセフィラは他の人にとっては人間よりも神に近い上位の存在だって認識するんだと思うよ」
「私を魂であると仮定するならば、やはり私を作った主人は神では?」
「うーん、僕は肉体あるんだよねぇ」
「魂が他と違うので神では?」
「拘るね。違うったら。僕は前世も今世もただの人間だよ」
悩むように今度は八の字を描き出すセフィラ。
そもそも前世は証明しようがないんだから結論なんて出ないのに。
けどセフィラは結論の出ない思考ができないのか不満そうだ。
「今すぐに答えを出さなくていいでしょ」
「疑問があるのならば解消すべきです」
「確証もなく? それは解消じゃなく誤魔化しだ。だったら確定するまで情報収集、論拠の構築。そう思って寝かせておけばいい。少なくとも、僕については検証の余地がありすぎる」
「主人の提言を理解。主人について知らないことのほうが多くあることが確定しました」
そう言われて、今度は堪らず欠伸が出る。
「就寝しますか?」
「うん、今日は寝かせて」
「では後日」
寝かせといてって言ったのに、知的好奇心を満たすことは止めないようだった。
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