閑話33:テスタ
転輪馬の試運転が終わって、陛下から内々の呼び出しを受けた。
同席はノイアンと子爵で、余人を排しての密議。
つまり、内容は第一皇子殿下のことか。
「まず転輪馬開発はご苦労。あれで端に追いやられた失敗作の改良か。走ってついて行くのがやっとの速さで、乗り手の苦労は軽減とは」
「評価すべきはそこではございませぬぞ」
陛下の思い違いを指摘する。
真に称賛し、恐れなければいけないのは、それを我々になさしめた第一皇子殿下の手腕なのだから。
「わしは不興を買い出禁を命じられました。故にノイアンたちが封印図書館にて、転輪馬の改良と殿下からのご助言を受ける形でことは進めたのです」
待ちぼうけの間も改良案は試行し、夜にはノイアンたちに殿下から授けられた知恵を伝え聞いてさらに改案を施した。
「それだけで、我々のような門外漢でもあの形を作れたのです。第一皇子殿下はすでに封印図書館知啓を掌握。その上で活用するだけの理論形成も済ませております」
たとえこの口が塞がれるにしても、言わなければならない。
陛下もルキウサリア国王として無表情を貫き耳を傾けられている。
政治の上ではよくあることで、取り繕った感情の抑圧は見てわかる経験があった。
そして第一皇子殿下が、封印図書館を破壊するという言葉に嘘はなく、ただただ本心であることもわかってしまったからこそ、戦慄したのだ。
本当にあれほどの英知の結集を水底に沈める気なのだった。
子供らしい狼狽、虚勢、不快感を表しながらも、目が、声が、恐ろしく冷静で…………。
「目を離すほうが何をしでかすかわからないからと、表向き処罰の申し出はない。処断を臭わせてもあまり乗り気でもなかったのだが、それほどのことをしたのだな?」
「殿下が語られなかったのであれば、こちらから言うことはございません」
「錬金術の成果を暴かれたと聞いたが?」
「まさに」
探られてもそれ以上でも以下でもない。
すでに先日ノイアンと子爵に引っ立てられて報告したとおり、あの場にいた者以外は知るだけ害でしかない。
「第一皇子殿下の欲のなさを甘く見ておりました。それと同時に、もはや枯れたと思っていた己の欲の高ぶりを甘く見ておりました」
「…………殿下自身の成果と、封印図書館、どちらが価値は重い?」
あまりな問いに悩むのはノイアンと子爵も同じだ。
それだけでルキウサリア国王の肩が下がる。
「それほどか…………」
「そもそも独力で我々でも実現不可能だった小児用ポーションと呼べる代物を作っておられる。お住いの図書室には薬学のみならず地政学や数学その他多くの書籍がありました。あの方はそれほど価値を置かない研究成果を抱え込んでいるとみて間違いないでしょう」
小児用ポーションについてもこちらの評価に驚いていたほどだ。
子供らしく経験がないから価値に気づいていないこともあるだろう。
だからこそ一芝居打った。
正直黒犬病よりも別の物を殿下が恐れているのは察していたのだ。
錬金術の部屋を見て思ったのは、すでに黒犬病には対処を想定しているのではないかというもの。
殿下からすれば隠しておきたい有利な札だが、こちらからすれば必ず確保したい重要な札でもある。
「知ってはならない成果でした」
存在だけでも確定させて交渉をと思ったが、まさか芝居の途中で打ち切られるとは思わなんだ。
ただそれ以上に、不可視不感知の知性体を偶然とはいえ自ら生み出したとおっしゃった。
その上で確実に支配下に置いている、この価値は計り知れない。
「だからこそ、聡い第一皇子殿下はそれを秘匿しております」
「自らの保身でか?」
「それもありましょう。えぇ、あれが知られれば殿下は確実に、帝国からも危険と判断されるでしょうな。誰から見てもわかりやすく価値がある故に」
簡単に思いつくのは暗殺だ。
だがその存在を知った時、もっと強い欲がこの身には湧いた。
扉の開閉もせず移動し、知性を持ち、的確に命令を受けて動くこと。
また姿かたちもないのに物を動かせることを合わせて、これを薬にすればどうかと思わずにはいられなかった。
薬作りで最も困難なことは効果を表すことであり、患部にまで薬効を至らせるという難題はいつもついて回る。
「あれを見たらできるのではないか、可能性が高いのではないか。そう思ってしまえば己の欲を抑えきれず、第一皇子殿下の警戒を強めてしまったのは汗顔の至り」
「欲? テスタ老の?」
「今以上に救える命が増す、検体の子供たちを癒せる。その革新的な可能性に昂りました」
陛下は絶句し、息を呑む音に見ればノイアンと子爵も目を瞠っていた。
自らの命も危ない中でそんなことを考えていたことに呆れられたようだ。
だが悩ましいかな、患部に薬を塗り込むようなことも難しい中で果てる命の多いことは、いくらでも見て来た。
生死の境を見極める麻酔を注意深く処方しても、切開した時点でもたず、薬の投与に成功してももたず命は失われ、子供ほどその可能性が高い。
もしあの知性体が壁に左右されないのであれば、人体もまた切開せずとも移動可能なのではないかと期待した。
「テスタ老が多くを救おうとまい進した成果は国としても把握している」
陛下の気遣いは、わしが権威であると同時に悪評もついて回るためだろう。
検体として金を払って子供を買い漁ると、悪しざまに言われるのはもう慣れた。
だが価値をつけなければ、金を払わなければ、助けられる命を人は打ち捨てるのだ。
貧すれば鈍する。
人はあまりに命の重さを忘れ、その先にあるだろうさらなる幸福を歩む機会さえ投げ捨てる。
それと同時に殿下が価値がないと断じた時の突き放す目。
あれで思い出した。
何故検体として子供を集めて癒すことを己の目的としたのかを。
「かつて、大変革新的な理論を構築した若い弟子がおりました。しかしその者ははした金でその理論をわしに売って、研究から手を引くと言うのです。わしは説得しました。基幹技術として確立させれば、そんなはした金以上の富が手に入ると」
けれど若い弟子は今金が必要で、一年も待ってはいられないとこの手を振り払った。
わしは引き止められず、金を渡して理論を買い、それを確立させて名を知られることになっている。
去る弟子に言われた言葉がその時には理解できなかったし、愚かとさえ嘆いた。
金を得るために生きるのではなく、生きるために金を得るのだから、今この時に存在しない名誉にも金にも興味はないというその心情は、きっとあの殿下と同じだろう。
「我が下を去った弟子と同じ目を、殿下はなされていた。あの方にとっては錬金術以上に大事なものがある。錬金術は手段であって目的ではない。それ故に、あの方は全ての成果を秘匿して果てられるかもしれない」
「そんな!」
「あれほどの物を!?」
わしの想像にノイアンと子爵が声をあげた。
だがわしには確信めいたものがある。
何せ同じ目をしていた弟子は、金を病気の父親のための薬に変えて帰郷。
その後、同じ病にかかり、自らを救う薬は買えずに亡くなっている。
だというのに、わしに連絡して救いを求めることはなかった。
洋々とした未来を捨てたとしか思えない選択を受け入れて、死出の旅に向かったのだ。
陛下はわからないながらにこちらが重く受け止めていることは理解した様子。
「陛下、第一皇子殿下がわしの処罰を求めなかったのであれば、どうか考え得る限りの厳罰を。あの方と我々とではことの重みが違いすぎる。見える形で我が国にとって重大事であるのだと示さなければなりません」
わしの言葉に陛下の眉が上がった。
「確かに、そう考えればあれは…………」
そう言って陛下が話すのは、滑車を使った天の道という新たな移動手段の構想。
「需要があるだろうとこともなげに。あれは物流の重要性を肌身で感じていない子供故と思ったが…………」
「価値がないのでしょうな。あの殿下にとって、その天の道を作るという発想は価値がない。ならば、価値を見出す者にという善意ではありましょう」
この山間の国で移動の労力と消費は重大だと、いっそわかっていて勧めたようにしか思えない。
その上で殿下にとっては無価値である。
何故なら、あの方の目的である帝都での生活に寄与しないから。
兄弟で楽しそうにしていた四阿での様子を見れば、あの関係を壊さないこと、あの幸せを逃さないことが第一皇子殿下の目的であることは想像できる。
そのためには、暗殺や諜報に有用な不可視の知性体など、発表するだけ危険が大きく益はない。
「薬を作って広めるだけでも、転輪馬は大変有用だと思っておりましたが、天の道とは」
「国内での輸送が楽になるのならば、そこにかけていた費用を研究開発にも…………あぁ、なるほど。欲を甘く見ていた、か」
利用しようと思えばいくらでも考えつくことに、陛下も気づかれたようだ。
それほどの価値があの方の頭脳だというのに、ご本人は趣味と公言している。
その英知も己に危険がなく、実現可能そうだと判断した場面でなければ漏らさない。
知るほどに欲が走るが、そうすることであの殿下は欲の元を粉微塵に水底へと沈めるという。
それは恐ろしい。
いずれあの殿下自身も、全てを抱えたまま墓の下へと潜ってしまいそうだ。
そう思えてしまったことが、先の長くないわしにとっては本当に恐ろしかった。
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