閑話32:とあるエルフ
「お嬢さま、本当に錬金術科を受けるのですか?」
「ふぅ…………受験当日に何を言うの」
ここルキウサリア王国には、学園と呼ばれる都市がある。
壁に囲まれた威容を初めて目にした時には驚いた。
同時に、森と共に暮らす故郷とは違う石ばかりの味気ない建物の群れには、慣れることがあるのだろうかと不安を覚える。
故郷からここまで、旅をするのに一年近く。
至高と感じる故郷を離れたこの地まで、私に追従して来てくれた片手で足りる従者たちは、誰もが不安そうにしていた。
「その話はもう父と母どころか長老たちまで交えて何度もしたわ」
「ですが、一族の姫たるあなたが、人間の廃れた技術を拾うようなことなどせずとも」
「他の誰がするというの」
これもすでに何度も話した内容だわ。
だってもう誰も可能性を見いだせない。
過去の伝説でもなんでも試さないままなんて、ただの行き止まりでしかないじゃない。
「しかし、錬金術は精霊の怒りを買った禁術。やはりお嬢さまがその手を汚すべきでは」
私を心配しているのはわかるし、それと共に言い伝えを恐れ警戒しているのもわかる。
エルフは精霊信仰が根強く、王をいただく国もあるけれど、それ以上に精霊と通じることのできる巫女姫が尊ばれる文化だ。
私は巫女姫の家系で、時折精霊と交信できる者が生まれる尊い家柄。
私も力は弱いけれど、精霊の声が聞けた。
「力ある者だけが精霊と結ばれる。けれどその精霊自体がエルフの側にいなくなっているの。この状況を打開しなければ、いずれ信仰と共にエルフのよりどころは喪失するわ」
私は精霊と交信できる。
けれどそれは呼びかけではなく、ただ聞くだけの力でしかなかった。
それも近くにいなければ聞こえないという巫女姫には数えられない程度の力。
それでも尊ばれる資質を伸ばすため、エルフの住まう大陸の西で、精霊がいるとされる場所を幾つも回った。
けれど聞こえた声は微かで遠く、交流した巫女姫たちも精霊は近づかなくなったと言う。
「錬金術は巫女姫の血筋にない人間でも、精霊と交信するすべを論じている。こちらから働きかけられる可能性が残っているの」
「それで精霊の怒りを買ったのだとしたら、どうするのですか」
恐れるほど、精霊という存在はエルフにとっては重大だ。
なのに、その精霊が近寄らなくなったことを解決しないのは、何故なのか。
私はそちらのほうが、禁術に触れるよりずっと恐ろしい。
「私一人が怒りを買うならそれでもいい。精霊がエルフの側から離れた理由を知れたなら、エルフたちはよりどころをなくし、怒りを我が家に向けるかも知れない」
「それは、いえ、ですが禁術も何が起こるかわからないのですよ?」
いくらか伝説は残されているけれど、そのどれもが不穏な内容。
錬金術をしくじった者には、速やかな死が訪れる。
天から鉄槌が落ちた。
流れる水が血に染まった。
死の象徴と呼ばれる虫が群れを成して現われた。
どれも錬金術を行い精霊の怒りを買った代償だと言われている。
そうして禁術と呼ばれるけれど、その実態を誰も知らない。
禁じられて長く、恐れて記録も多くを破棄してしまったせいだ。
「けれど同時に精霊に触れられると明記されているのも錬金術だけじゃない」
精霊と交信することで使える魔法の上位とされる精霊術。
それは巫女姫でなければ使えないと言われている。
けれど巫女姫でない者でも精霊に触れられる。
それが錬金術の大いなる可能性だった。
「精霊を呼び戻すためにやれることはやったわ。私だけでなく、歴代の巫女姫たちが幾度と。けれど、そのどれもが成功しなかった」
精霊が離れたことを巫女姫たちはいち早く気づき、その上で対処も模索していた。
けれどどれも功を奏さず、今となっては巫女姫でも精霊は探さなければ見つけられないほどエルフから遠ざかってしまっている。
だったら力の弱い私が禁術の可能性を解き明かす。
たとえ言い伝えのとおりになったとしても、何か手がかりだけでも得られれば。
それで娘盛りの時期を無為に過ごすことになっても、悔いはない。
「うぅ、おいたわしや」
従者たちが目に涙を溜めて肩を震わせる。
悲観はわかる。
ここに来るまでに人間たちの国で錬金術について聞いたけれど、鼻で笑われることも多かった。
このルキウサリア王国には、一番大きな錬金術の学舎があると知って目指したくらいだ。
けれど実態は、生み出した人間たちの中でも廃れ、嘲笑われるほど凋落している。
ルキウサリアの学園の錬金術科は実質残った唯一の学舎だと、ルキウサリア王国に来て知った。
「いいえ、いいえ。きっと残っただけの理由があるはずよ」
私はくじけそうになる心を鼓舞する。
今日のために人間の学問も修めたし、この国の言葉も覚えた。
今日までの努力がすべて無駄だったなんて思いたくない。
私は心配する従者たちを宿に残して、試験のある学園へと向かった。
初めて入るけれど、人が各所にいて案内もしてくれて、わかりやすくて親切だ。
ただただ物珍しがられるだけの他の人間の国より、過ごしやすそうで少しだけ安心する。
「それでは始め」
試験が始まり、私は緊張していることを自覚した。
思えばこんなに同じ年齢の子供が揃っている状況自体が初めてだ。
それにエルフという同族以外が多いという状況にも慣れない。
大陸の西は人間自体少なく、獣人やドワーフ、竜人はよく見るけれど、ほとんどが人間で埋められた空間なんて初めての経験だった。
(…………)
ともかく目の前の答案に集中しようとして、何かが聞こえた気がした。
驚いて顔をあげると、側を通り過ぎようとした教師が立ち止まる。
私は慌てて紙面に目を戻した。
けれど胸が、驚くくらい高鳴っている。
(…………)
やはり聞こえる!
遠いのか小さいのか、言葉としては聞き取れない。
けれど確かに精霊の声がした!
いるのだ、この学園には。
エルフの住まう地で珍しくなった精霊が。
何を好んだのかはわからないけれど、ここにいる!
(…………興味深い…………)
共通科目が終わって、錬金術科の学科試験へ向かう途中また聞こえた。
もし私に精霊を見る力があれば、辺りを捜し回るのだけれど。
周辺には移動する受験生ばかりで、耳を澄ましても物音に掻き消されてしまう。
(…………なかった…………ばかり…………)
聞こえる。
やっぱり聞こえる。
しかもエルフの地にいた精霊よりもお喋りだなんて、すごく気になる。
私は集中するために席について、耳をそばだてた。
今は私の容姿に注目する有象無象の視線さえ気にならない。
精霊の声が聞こえる。
そのことに私は期待を膨らませていた。
(…………警告)
はっきりと聞き取れた単語にドキリとした。
私は慌てて止まっていた手を動かし始める。
今は試験中だ。
耳にばかり集中していては元も子もない。
それに精霊とは真理に通じる高位の存在なのだから、私が意識しているのを気づいてもおかしくない。
そう、だったら全身全霊でこの試験に取り組まないと。
私はペンを握る手に力を込めた。
けれど結局、私は試験中漏れ聞こえる精霊の声に集中力を乱され、満足のいく答案を作ることはできなかった。
「お嬢さま、いかがでしたか?」
学園から宿に戻った私を、朝と同じく不安顔で従者たちが出迎える。
けれど私は満面の笑みで答えることができた。
「予想以上よ。錬金術科で私は精霊に近づくすべを手に入れられるかもしれない」
私の言葉に驚く従者たちは、それと同時にまだ疑いが窺える。
それは聞こえない者なら当たり前の反応だ。
試験中に精霊の声が聞こえたと言っても、多くの受験生が集まった中での空耳を疑われた。
それも仕方ない。
もちろん私も疑ったし、けれど精霊がお喋りだったお蔭で空耳でないことは確信できた。
しかも錬金術科の学科試験の会場にまでいたのだ。
絶対にあの精霊は錬金術に関係している。
私は不安がる従者たちをなだめすかして、明日の結果発表を心待ちにしていた。
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