146話:留学準備1
「というわけで、皇子としては入学しないので、名前を考える手伝いをしてください」
「…………どういうわけだ?」
帰国して、僕は皇帝の執務室で父に相談を持ち掛けた。
ルキウサリアでの報告の最後に留学中の予定を伝えたところだ。
父は聞き返した上で机に肘をついて頭を抱える。
近くにいるおかっぱの側近も口を開いたまま固まっていた。
さらにはお目付け役のつもりか同席したストラテーグ侯爵は天井を仰いで動かない。
「まさか…………皇帝陛下に、許諾も得ずに、あれだけのことを?」
「僕だってまさか封印図書館が、あんなに危ないもの詰め込まれてるとは思わなかったんだ」
ようやく動いたストラテーグ侯爵が、僕を責めるように見る。
それにおかっぱも反応した。
「失礼、侯爵。貴殿は第一皇子殿下のこれほどの奇行を受け入れていらっしゃるのはどうしたことですか?」
奇行って…………。
「宮中警護を統括する者として、幾度も直接お話を伺うことがあったのでな。ご本人の自重のほどはわかっていますので、特別私から言うことなどないというだけ」
ストラテーグ侯爵はとぼけつつ、僕と距離が近いとは明言しない。
ディオラとの文通内容検めてること報せてないし、ただ仲介してくれてるとだけしか言ってないからね。
「アーシャの名前か…………。そう言えば、アーシャの名前を付けたのは私ではなくてな」
「はい、母がつけてくれたとハーティから聞いてます」
「陛下、殿下、些事は置いておいてください」
おかっぱが突っ込むと、父も逃避だったらしく咳払いをして仕切り直す。
「ごほん、話はわかった。いや、アーシャがそれほど危機感を覚えるとなれば、私では想像もつかないことだろうということは、理解している」
父も別に錬金術に詳しいわけじゃない。
それでも歴史に残る疫病が人災だったとわかった今、無闇に手を出さないことには賛成。
その上で、僕の知識を必要としてルキウサリアが留学中に助けを求めたのも理解はしたというところか。
「学園でのこともユーラシオン公爵に先んじて根回しができた。ルカイオス公爵も後々テリーたちが入学することを考えて、今回の落としどころに否やはない」
ルキウサリアから帰ってくる一カ月の間に、入学体験での騒動は帝国でも処理済みとなったようだ。
主眼は元家庭教師のハドスに関わる家の処遇。
そこをルカイオス公爵が邪魔しないというのは大きい。
それだけ当事国のルキウサリア国王が、直々に調整したということも強いんだろう。
ルカイオス公爵の派閥も一枚岩じゃないし、元近衛の関連で派閥内部で揉める話も聞く。
もしかしたらルカイオス公爵は派閥の一部を切っても、内部の争いを治めるほうに注力したのかもしれない。
「それで、アーシャ。留学を装うのはいいが、何故直接入学しない? アーシャとして封印図書館に関わる扱いをされるなら、入学でも問題なかったのでは?」
「まず留学についてはできるだけ長く伏せます。そのために、入学試験の時期にまた僕はルキウサリアへ向かう予定です」
そこでようやく、僕の留学について公式に開示する。
同時に僕は封印図書館研究に関わる形も発表。
ただ実際は別人のふりをして入学試験を受ける予定なので、アーシャ以外の名前が必要だった。
その辺りはルキウサリア国王と調整している途中になる。
学園長を更迭後に、口が堅く決して漏らさない学園長を新たに任命して執り行うことになったところまではルキウサリアで聞いていた。
「僕が入学すると思っている者にとっては、半年後の入学試験をどうしても邪魔しようとそちらに注力するでしょう。無駄な努力とも知らずに」
冗談めかして言うと、父は笑うけどおかっぱが嫌そうな顔をする。
そのおかっぱが同情の目を向けた方向を見ると、ストラテーグ侯爵はまた天井を見てた。
ようは目くらましだ。
僕を抑圧したい勢力は公爵たち以外もいるし、逆に僕をことのほか持ち上げて神輿に乗せたい勢力も未だにいるらしい。
公爵たちは留学にも警戒してくるだろうから、他の勢力なんて相手にしてられないんだ。
それに正しく知ってるのは入学体験に参加した子供たちを介して知った貴族で、そこからどう話が広がるかを見られれば、貴族関係に疎い父にもどの貴族が繋がってるかわかりやすいだろう。
さらに一次情報を得られない者は、僕の入学の可能性が残る限りは無駄な労力を割くことになる。
その間に父が動ければそれでいい。
「元近衛に関わる些事は、できれば今年中に処理をしていただきたいです」
「そうだな。アーシャがユーラシオン公爵子息を巻き込んで、入学体験に大きな注目を集めてくれたお蔭で、このふた月は動きやすかった」
元近衛関係の貴族からすれば入学体験なんてどうでもいいけれど、安全圏にいる貴族からすれば子供の将来のほうが大事だ。
そうして注目が逸れるだけで付け入る隙ができ、そこに父が主導で処理を推し進める。
こうして言うってことは目途がついたかな?
それだとうれしいんだけど。
「それで、封印図書館とやらは実際のところ…………」
父が言いさした時、ドアの向こうの侍従が訪問者を告げる。
イクトとレーヴァンだ。
入室するその手には、僕が読んだ覚えのある錬金術師の研究書があった。
「それが、アーシャが封印図書館について知った書物か?」
「はい、これの…………。このページの記述です」
イクトとレーヴァンは揃ってこの本を探しに行ってくれた。
だいぶ時間がかかったのは、いつも図書を借りる役をしていたウェアレルがいないからだろう。
そして僕が机の上に該当のページを広げると、父はもちろんストラテーグ侯爵他、室内の全員が覗き込む。
「…………なるほど。わからん」
「えー?」
僕は書かれた暗号的な文章を解読しながら内容を話したんだけど、父は首を捻る。
そしてストラテーグ侯爵も難しい顔で頷いた。
「説明されれば確かにそう読み解けますが、別のようにも見えますな。しかし、実際封印図書館がダム湖の下にあったことを考えれば、皇子殿下の解釈が合っているのでしょう」
「ただの日記じゃないんですか?」
思わずと言った様子でレーヴァンが漏らす。
皇帝の執務室なのですぐに謝罪するけど、父は気にしないと手を振った。
「イクト、ヴァオラスも。気づいたことがあれば言ってくれ」
イクトとおかっぱは意見を求められて、考えつつ応じる。
「確か錬金術師の間で使われる決まった符丁があり、それを見つけてまずは何について書かれた暗号文であるかを推察すると、以前アーシャ殿下がおっしゃっていました」
「見る限りは、研究の失敗について考察を重ねる形で日々何を微調整したかが書かれている日誌のようにしか。それほど重要な内容であれば、大した偽装技術だと言えます」
イクトは僕の前例から語り、おかっぱは見たままを語る。
実際の内容は、六百年ほど前の錬金術師の実態。
この頃には衰退の兆しが出ていたようで、悪評もあったらしいことが窺える。
そのため、この研究書を遺した錬金術師はお眼鏡にかなう弟子ができなかった。
だから自分が師匠から口伝で継承された知識をこうして暗号で残し、いつか国の役に立ててほしいと帝室に献上することに。
この研究書以外に、わかりやすい研究論文も献上してその中に紛れ込ませたそうだ。
(それを見つけたのが、もっと錬金術が衰退した先の皇子って、なんだかな。もっとわかりやすくしてたら、六百年も埃被ることはなかったかもしれないのに)
(正しく希代の錬金術師に継承された現状、功を奏したと言えるでしょう)
(僕を持ち上げても何もないよ、セフィラ)
(学術の王国であると言われたルキウサリアの現状を鑑みた事実です)
別に持ち上げてない、褒めてないときっぱり言われてしまう。
それはそれでなんか釈然としないなぁ。
「それで、アーシャ。実際問題、どれほど危険かわかるか? 聞いた話では立ち入らずに眺めただけとのことだが」
「僕の見た限り、封印図書館は大聖堂と同じくらいの規模だと思います。そこを任されたオートマタのナイラは、誰の邪魔もされず破壊できる様子でした。つまり、止める暇もなく、二度と取り出せないほどの破壊力を、有しているのは確かです」
身近にある建造物を上げたため、父も想像が追いついたようだ。
物理的に巨大な石を組んで作ってある宮殿の大聖堂は、生半可な魔法では壁を壊すこともできない。
もちろん大砲の一発くらい受けても倒壊するほどの建造物ではなく、堅牢だった。
そんな大聖堂の中の空間を確実に潰すには、相応の破壊力が求められる。
同じ規模の封印図書館を葬るには、今ある魔法や武器よりも確実に強力であることが求められた。
「さらには未知の武器を装備しているということだったな。…………アーシャ、そんなところへ行って大丈夫か?」
父として心配の言葉をかけてくれることが嬉しくて、僕は笑って見せる。
「そうして破壊を利用するよりも憂える陛下であれば、きっと共に行っても問題はないでしょう。あそこで危険がある者は、手にした力で何を破壊するかを考える者です」
その辺り父は一軍人で、争いの広がりを想像できた。
それと同時に、国の利益よりも目の前の誰かを選べる感性を持っていてくれる。
皇帝としては間違ってるかもしれない。
けれど僕はそんな父が好きだった。
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