閑話23:とある家庭教師
第二皇子殿下の家庭教師となってもうすぐ一年が経つ。
俺はだいぶ慣れて来た宮殿からの帰り道を歩いていた。
「これはこれは…………!」
なにやらおおげさな声が聞こえるが、俺相手なわけがない。
俺は家庭教師の中でも生まれが高くないし、あんな貴族らしい大それた物言いなんてする知り合いはいない。
そう思っていたら背後に足音が近づくので、振り返ると見知った顔がいた。
「やぁやぁ、あんまりじゃないかな、ご同輩? それとも私を忘れてしまったかね?」
「お前か。何処の貴族が騒いでいるのかと」
「おやおや、私の声はいっぱしの貴族に聞こえたかね。それはそれは。だがそうなると解せないな。君のような第二皇子殿下に直々に教えを与える者が無視をするなんて」
「はぁ、お前は相変わらずなようでうれしいよ」
俺は適当に言って歩みを再開した。
相手は同郷の武官で、向こうのほうが小領主の子息という下位の出だ。
だがその割りに態度がでかいし声もでかい。
大言壮語も恥ずかしげもなくぶちかまし、いっそ感心するほどよく喋り、曰く、身分が低いからと気持ちまで低く小さくしてどうする、夢を大きく持って何が悪いと。
つき合いは学園入学前からだ。
親同士近隣の領主が集まって、食糧の融通や人足の数を合わせて道の整備などを共同でしていた。
国に頼ればいいものを、口出しされるのは面白くないと汲々しながらやっていたのだ。
(うちだけかと思ってたら、宮殿でもそんな縄張りにこだわる奴らが大半だったとはな)
ともかくこいつは親の集まりのついでに会っていた奴で、今さらお偉い先生ぶる必要もない相手だ。
入学の際は同じルキウサリア国内でも別の学校へ行き、卒業後は同じく帝都で就職。
職は違えど偶然再会し、それからたまに飲んだりしていた。
「一年、苦労した割には元気そうだな」
「いやいや、私は軍に同行しただけでそれほどの苦労などないさ。君こそ大役がよほど重荷と見える。一年でやせたのでは?」
自分の頬を撫でてみれば、確かに肉付きが薄くなったような気がする。
「毎日失礼がないように鏡を見ていたんだがな」
「んん? もしやそれほど第二皇子殿下は難物かな?」
「おい、寄るな」
ぐいぐい来る上に目が俄然輝きやがった。
こいつ、言うだけあって地位を上げることに貪欲だ。
ぶる必要はないが余計なことは言えない相手でもある。
第一皇子について派兵に向かうと聞いた時はどうなるかと思っていたのに。
その上で何かあれば、第一皇子の名代をもぎ取りすぐに帝都へ戻って皇帝に近づく算段だった。
出発前にそうくだを巻いていたのを聞いてるが、実際こいつは軍と一緒に出て軍と一緒に戻ってきている。
「…………そっちこそ、第一皇子は噂どおりだったか?」
俺はあえて聞いてみた。
こいつが派兵について行くと言った時には、俺も家庭教師の打診があって出世に明暗がでたなと思ったものだ。
だが、こいつに出世に失敗した気配はない。
どころか、今や英雄と噂のワゲリス将軍の武官として色んな所に顔を出していると聞く。
こうして宮殿近くにいたことから、こっちまで足を延ばせるだけの地位を手に入れていると言うことだろう。
「ふっふっふ、実は…………行軍中に不興を買ってしまってね」
「何?」
今度は俺から近づくと、その反応に気を良くしたようだ。
不興を買ったというにおかしな反応でしかない。
これはどうも落ちがあるようだ。
「実は殿下より直々にワゲリス将軍へ現状の不備を訴えるよう申しつかってね」
誇らしげに語るのは、行軍中の野営で天幕の設営に問題があったこと。
聞けば本当に不備としか言えない状況だが、ワゲリス将軍はそれを突っぱねたそうだ。
野営慣れしてない皇子の我儘と思ったらしい。
まぁ、こいつの騒がしさを思えば誇大に言い立てていると疑うのもわかる。
「二度目もまた願って私が訴えに向かってね」
「いい度胸だな」
改善されていないことでこいつ自身が叱責されてもおかしくないのに。
その上でまたワゲリス将軍からは軽い扱いを受けたという。
「いやぁ、何。顔を覚えてもらってそこから外堀を埋めるべく将軍に近い者と交流を持って、意見を上げやすくと思っていたんだがね」
曰く、三度目の機会はなかったという。
どころか、二度目の失敗の後も第一皇子は何も言わなかったそうだ。
「子供相手なら言いくるめるつもりだったのだが、私が甘かった! まさか二回で見限られた上に、ご自身で小火を起こしてワゲリス将軍を呼び寄せるとは」
「何? 自ら小火? そんな危険なことを?」
「そうでなければ、人足の小火ごときで皇子自ら出るわけもない。そしてワゲリス将軍は火事と聞いて駆け付けた。その報せを取り次いだのは殿下の側近で元軍人の獣人だった」
そのまま第一皇子はワゲリス将軍に天幕の不備を見せつけ改善要求。
こいつはもちろん、他の武官が出る幕もなく終わらせたという。
「確かに、自作自演に思えるな」
「ほう? どうやら第二皇子殿下の元で、噂とは違う何かを聞いたかな?」
横目に見れば、すぐに受け入れた俺をにやにやと見ている。
第一皇子の悪行を言い立てる噂はいくらでもある。
それ以外は愚鈍と言われる無能ぶりが語られるが、表に出てこないので実態は不明だ。
「…………本当に無能であれば、すでに宮殿にはいない」
宮殿を追われるように派兵された一年前は、憐れなくらいに思っていた。
なんだったら本当に帝位を狙って第二皇子殿下を懐柔していたのではないかとさえ考えた。
第二皇子殿下は優秀だ。
なのに自信がなく、自分が酷く劣っていると思い込んでいるようにさえ見える。
そしてその原因を探るといつも第二皇子殿下の口から出るのは、兄上という存在だ。
兄上のほうが優れている、兄上のほうがなんでも知っている、そんな子供の繰り言。
けれどそれが思い込まされていることなら哀れだ。
そう思って第一皇子を越えるよう、それとなく発破をかけた。
「ふっふっふ。そう、なに、私もずいぶんな色眼鏡をつけてしまっていたんだよ。まさか一年で戻れる方策を持って臨んでいるなどと考えもしなかった」
「やはり、この一年での解決は第一皇子が?」
「あれは今となってはすごいの一言。だが、辺境に大荷物、しかも行軍に何一つ寄与しないそのままお荷物だ。さらにはその場の判断で軍を止める、将軍と揉める。いやぁ、噂もかくやと思いもしたよ」
ぺらぺらと喋るのは、俺も聞き及んでいる第一皇子とワゲリス将軍の不仲の話と変わらない。
ただ一つ違うのは結末だ。
「近衛の反乱に両者気づかれて、そこから話し合いを持ち反乱を未然に防ぐべく…………」
「将軍が気づいて止めたんじゃないのか?」
「いやいや、実行は将軍だが意思決定は第一皇子殿下がなさっていたとも。何せ反乱を画策した近衛を無傷で捕縛させた上で、その裁きを帝都に送り陛下に委ねるよう言って将軍を説き伏せたのだから」
さらには大荷物も、過去の記録から推測した解決方法を帝都から持ち込んでいたという。
そのお蔭で辺境の村は半年ほどで活気と和解を手に入れた。
「本当だとしたら大したものだがな」
「おやおや、信じないのかね。この旧知の私を?」
「旧知だからこそ、お前の誇大表現はよくわかっている」
「ふふん、まぁ、そう言う者は多い。だがね、私をワゲリス将軍の元へ配置したのは、第一皇子殿下なのだよ」
得意げに言う姿に嘘はなさそうだ。
不興を買った、見限られたと言う割に悔しさがない理由がそれか。
「それは、適当に配置したのではないのか? お前が口だけとわかっていて?」
「もちろんだとも。どうやら私が天幕の件で訴える姿を何処からか見ていたようでね、あの調子で弁舌をもって将軍をお助けするようにと言われている」
これも誇大に言っている、とも言えない実例を俺は知っている。
第二皇子殿下だ。
一年で優秀さを示し、同時に着実に知識を培っていた。
なのに本人は納得しない様子でいっそ行き詰まっていたのは知っている。
成長と共に落ち着くと思っていたが、第一皇子が戻り、家族旅行をした後には、正直見違えた。
ただ頭で理解して物覚えが良いだけではない、目配りや聞く姿勢という人間性の良さが滲んでいたんだ。
それはご本人の心的余裕によって現れた本来の良さなんだろうが、それを引き出した者は、一人しかいない。
時期的にも、確実に第一皇子だ。
それほどの観察眼と解決能力があるならばと、俺も思ってしまう。
第一皇子の才能に確信を持った旧友が饒舌に語った。
「いっそ、正反対の噂を蔓延させているのは鬼才と言っても良いかもしれない。私は派兵で第一皇子殿下に近づけたことが何よりの幸運だ」
思えば本当に第一皇子が噂どおりの人物なら、多くの目にさらして株を下げればいい。
だがルカイオス公爵がしているのは、第一皇子を遠ざけるか押し込んで表に出さないことだ。
そう考えれば、第二皇子殿下が言うほどの人物である可能性も高い…………なんて、一介の家庭教師が考えることではないな。
俺は不穏な考えに自ら蓋をして、見ないふりをすることにした。
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