閑話22:皇帝
皇帝の別荘は夜でも踏む絨毯の厚みで、その価値が高いことを報せるようだ。
そんな中、剣や杖と言った武器を持ちつつ、私たちは灯りが漏れないよう覆いを施したランタンを一つだけ持って歩く。
「俺はそんなに頼りないか?」
別荘の裏口を目指して進む中で、つい先ほど言葉を交わした息子を思い愚痴が漏れた。
「いやぁ、あれは陛下がどうということではなく、殿下が頼りになりすぎるんでしょう」
ヘルコフが普段よりも硬い口調で応じる。
「余人がいないならば口調は…………いや」
言いかけて振り返れば、窓からの月明かりで見えた他の者たちの表情は気まずげ。
これは何か私にまだ言っていないことがあるようだ。
というか、ヘルコフの口調から察するに一つだろう。
「うちの子と悪だくみしているのは、お前たちだけじゃないのか?」
「いえ、その、悪だくみなどは、決して…………。相手はワゲリス将軍でして」
ウェアレルが取り成すように答えた。
聞けば別荘での家族旅行と聞いて、すぐに守備が手薄になることをアーシャが懸念したそうだ。
そのためワゲリス将軍に助けを求め、近くに待機してもらっていたという。
「軍を動かせるわけもないだろうから、将軍の私兵か?」
「いいえ、軍部の部下ではありますが、名目上は湖岸での私的な鍛錬中と」
イクトは淡々と応じた。
別荘地で軍の保養施設もあるため、そこを使用し近くに控えていたそうだ。
つまり、アーシャのためにそこまでしてくれるほど、信頼関係があるのか。
「…………やっぱり俺は、頼りにされてないんだな」
ワゲリス将軍は一年の派兵で苦楽を共にしたのだろう。
衝突もあったというが、共に近衛の反乱や二つの村の統合、帝都の陰謀を乗り越え、ホーバートでサイポール組の追い出しという成果を成している。
帝都に戻ってからは、ワゲリス将軍がアーシャのために軍上層部に論功行賞の不当を訴え、出入りの厳しいアーシャの元へも自ら足を運んだとか。
「殿下は頼らないって言うよりも、頼りたくないんですよ。陛下が無理して庇ってるの見て来てんですから」
「ほら、裏口ですよ。足元気を付けてください。敵の位置は………こちらです」
ヘルコフが気休めを口にすると、ウェアレルは耳を澄ますようにして先導する。
風の魔法か何かだろうか?
「こちらのほうに潜んでるという情報までしっかり把握して。いったいいつの間にワゲリス将軍とそれ程緻密な連絡を? 家族旅行、楽しめていないんだろうか?」
アーシャも喜んでいると思ったんだがなぁ。
弟たちと何やら秘密の話をしたりしていたのを遠目に見たし、今日も肩の力が抜けたらしいテリーと一緒に寝室で騒いでいたし。
ただ思えば普段よりもそわそわしていた。
それは襲撃を警戒してのことだったかもしれない。
私たちは移動して、敵が現われるだろう場所に潜む。
そんな手持ち無沙汰の間、私が悪い方向に考えているとイクトが肩を叩いた。
「少なくともアーシャ殿下は、誰に教わることなく己の身の振り方を把握しました。自ら選んで進む力がある。外からどうこう言って待つよりも、本当に手助けをしたいのなら動くべきです」
軍にいた頃、ヘルコフの紹介で会った狩人で、その時から不愛想だ。
けれど言葉は真っ直ぐで偽りがない。
…………そして、端正な顔立ちからは想像できないほど、とても力に頼る。
イクトは俺に剣を握るよう身振りで示す。
確かに元近衛がいる所にアーシャを同行させるよりも安全は計れるし、守れるけどな。
「なんか違う…………」
「頭で敵わないのですから、難しく考えず目の前の敵をどうにかしたほうが有用ですよと、はっきり言ったほうが良かったですか?」
せっかく取り繕ったのに、イクトは結局言う。
責めるようにヘルコフが肘で小突いても悪びれない。
これは皇帝相手でも引かない胆力と評価すべきか?
結局ウェアレルが気を使ってくれた。
「ま、まぁ、アーシャさまのためにできることが少ないのは私たちも同じですから」
「一番に錬金術なんて言うアーシャが喜ぶものを与えたウェアレルに言われてもな」
つい私も本音が零れると、ヘルコフとイクトが揃って頷いていた。
一人除け者にされたウェアレルは、耳を下げて不服そうだ。
「ま、小難しいことは置いておいて。そろそろ近いですよ。…………そら来た」
ヘルコフが声を低くすると、隠しきれない明かりが揺れるのが見える。
ここは皇帝の別荘の外縁。
集団で声を潜め、その中に剣だろう金属のぶつかる音が聞こえれば確定だ。
「中まで入れて言い逃れできないようにと思いましたが、必要ありませんね」
イクトの言葉で、ヘルコフとウェアレルが私を見る。
そう言えば私、皇帝だ。
相手に剣を抜かせるだけでことは済む。
応じて頷くと、私たちは潜んでいた別荘の陰から元近衛だろう不審集団に近づいた。
「何者だ! すぐに答えよ! 返答なくば二心ありと見なして、斬る!」
私の脅しに、相手は簡単に剣を抜く。
こちらも成り行きだったとはいえ、まさか不審者を皇帝本人が問い質すとは思っていなかったんだろう。
「こいつら、第一皇子の!? 思い上がった不届き者だ、やってしまえ!」
私に気づかず、ヘルコフたちに見覚えがあったようでそんな声が上がる。
近衛がそれでいいのかと思いつつ、私も相手が剣を抜いたのを確認して対処を行った。
近くに潜んでいたというワゲリス将軍とその部下も加わり、挟み撃ちの状態で元近衛は全員が打倒され捕縛。
別荘の外だから、中の居館にもこの騒ぎは届いていないだろう。
妃や子供たちは健やかに眠っていることを願う。
「…………が、酷い接待を受けた」
私は不完全燃焼だ。
何せヘルコフたちに前に出してもらえなかった。
しかも一撃入れて弱った敵を回され仕留めるという、接待までされたのだ。
近づいてようやく私と気づき、奇声を上げる元近衛たちが面白かったのは認めるが。
活躍の場を奪われた気分しかない。
「おう、ヘリー。そっちは無事か?」
「あぁ。どうした、きょろきょろして? 討ち漏らしはいないぞ?」
「さすがにこんな所には連れて来ねぇよな。なんかあの皇子はふらっと出て来そうで」
思わず私も辺りを見回すが、暗くて灯りの範囲しか見えない。
だがいそうにはないようだ。
「あ、そっちの…………は、陛下!? こ、これはご無礼を!」
ワゲリス将軍も近づいてようやく私とわかったようだ。
途端に、部下と共に暗い中で跪きかしこまる。
私も軍を経験しているからわかるんだが、その整備されてない所、尖った枝とか小石とか落ちてるんじゃないか?
驚かせた上に痛い思いまでさせていると思うと、申し訳ないな。
「いや、そなたらの働きは見事。ましてや私の家族を守るための奮戦、喜び誇る以外にない。良くやってくれた」
「ありがたきお言葉」
ワゲリス将軍はどうやらヘルコフと旧知だったようだ。
私が軍にいた時には名前だけで、目立つ地位にもいなかったと思う。
それがアーシャと行って、途端に名声を高め地位も躍進している。
「…………陛下、申し上げたき儀が」
そんなワゲリス将軍は私に訴えることがあるらしいが、その先は予想がついた。
私も同じだ。
「今、あの子に力があっても使う手立てがない。もし重いというのであれば預かっていてくれ」
「…………承りました」
どうやら思ったとおり論功行賞での不当な功績の配分への物言いだった。
応じはしたものの、ワゲリス将軍の声は硬い。
私もその呑み込めない情けなさに覚えがある。
そのせいか、妙にこのワゲリス将軍には親近感が湧く。
「うむ、そうだな。アーシャが信頼して預けた将軍であれば、任せられるかもしれない。もし今回のことで働き足りないと思うようなら、手を貸してくれないか」
「は、陛下が臣に窺う必要はございません。どうぞ、お命じください」
迷いなく応えるワゲリス将軍は実直なようだし、これなら大丈夫だろう。
「やってほしいことがあるのだ」
「…………親子そろって」
ワゲリス将軍が何やら呟いた言葉を、すぐそばに控えたエルフの女軍人が止めていたのはなんだろう?
エルフの女軍人が恐縮している様子から、軽口を零そうとしたのかもしれない。
気にしないとも気軽に言えない立場なので、ここは気づかないふりをしよう。
軍時代の口の悪い同輩を思い出しながら、私は皇帝として将軍に命令を下すことにした。
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