106話:家族旅行1
僕は馬車に揺られて宮殿を出て、さらには帝都の門さえ潜る。
同乗するのは父と妃殿下で、もう一つの馬車にはテリーと双子が乗っていた。
妹は四歳になっており、さらに別の馬車で乳母と一緒らしい。
「わ、こんなに広いんですね。見たことあっても角度を変えるとまた違って見えます」
「見たことがある? いつのことだ、アーシャ?」
しまった。
派兵の時には湖は見えない位置だし、こうして湖の縁を回る道の珍しさに口が滑った。
「えぇと、絵でその、角度が違って。こちらから見ると、もっと広いように見えたもので」
帝都の名所なので、聞き返した父はすぐに納得してくれた。
危ない、抜け出してることは秘密なんだから気をつけよう。
今日は初めての家族旅行だし、叱られるようなことはなしにしたい。
「家族旅行と勢い込んだものの、湖の対岸でしかないのが不甲斐ないものだ」
「それでも嬉しいですし、対岸に皇帝の別邸があるなんて知りませんでした」
父が計画した家族旅行の場所は、帝都の向こうの湖の対岸という近場。
対岸は斜面で、ちょっとした山なんだけど、そこに点々と別荘が建っているんだ。
「湖の対岸はまだ帝都が今ほど広くない頃の貴族屋敷なのですよ」
妃殿下が説明してくれる内容は、時代によっては宮殿より別荘で過ごすことを好んだ皇帝もいたというもの。
そのため改修も念入りにされており、規模こそ離宮には劣るが十分な格があるという。
距離は近いけど、僕を皇帝一家として連れ出すという形式が取れたのは努力の結果だ。
それに派閥を持ったお蔭で、短期間なら宮殿を離れても任せられる人員ができたらしい。
派兵から凱旋までの間、一度は危うかった父も勢力を立て直し、公爵たちが口を挟みにくくなっているという。
頑張った甲斐がここにあると思えば、こんなに嬉しいことはないね。
「わぁ、離宮を見たことはないですが、これは相当立派ですね」
別荘に着いて、僕は玄関の構えだけで圧倒される。
中心に円形の建造物があり、その周囲を四本の塔が囲んでいる。
さらに曲線の壁がどっしりと周囲を取り囲み、ちょっとした城砦の雰囲気がある。
「上に登れば屋上が回廊になっていて、見晴らしが良いそうなの。周囲の付属屋は防壁の役割も担っていて、中央の円形の建物が居館ですよ」
妃殿下は自ら別荘についての説明を請け負ってくれた。
中に入れば、付属屋を抜けて、円形の居館を囲む解放的な中庭が広がっている。
「トライアン様式で建てられた別荘なのです。アーシャはトライアン王国については?」
おっと、説明だと思ったらお勉強だった。
けどそこは各国の中でも有名どころだから知ってる。
「大陸中央部、西北地域に位置するかつての主要国ですね。大陸中央部から流れる川が急峻な山々の間を流れる難所であったのを、切り開いて海に続く運河に作り変えたとか」
「えぇ、そのとおりです。そのためトライアン王国様式の特徴は高きから低きを見下ろすあの塔。トライアン王国の主要な城には、運河を見下ろす塔が必ず付属しているのです」
たぶんそちらから敵が来るってことなんだろう。
歩きにくい斜面で道を開きながら行軍するよりも、運河に船を浮かべて一気に兵を送るほうが簡単だ。
ただ、主要な城には塔があるってことは、城を作る時にいつでも外敵を警戒しなきゃいけない情勢の国ってことになる。
「確かトライアンはかつて帝国の一部であったところが、独立してできた国でしたね。その際に国力が低下するも、五十年ほど前には復活の兆しを見せていたとか」
「良く勉強しているな、アーシャ。運河周辺は今も独立したり併合したりと忙しいそうだ。トライアン王国は先々代が名君だったんだが、次があまりよろしくなかったと聞く」
「陛下、お慎みください」
父が気軽に言うと、妃殿下からお叱りを受ける。
伯爵家三男なら許される言動も、皇帝となると他国の批判ととられるからだろう。
トライアン王国も名君の後に暗君が立ち、今代の国王は継承争いの末に立ったという少々込み入った立場だ。
そのため名君の時には復活を謳われたトライアン王国も、今ではまた国力回復からになっているらしい。
(盛者必衰ってこういうことかな? やっぱり内部の争いなんて、ないほうがいいね)
(盛者必衰とは何か仔細を求める)
側近たちは離れてて口を挟めないのに、どうやらセフィラは当たり前のように僕の側にいるようだ。
なので、別荘の中に入って施設の案内を受けながら、僕は平家物語を説明する。
もちろんそのまま言えるわけないから、最初の部分だけ、仏教由来部分なんかを噛み砕く必要があった。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわすってね。
意外と覚えているものだ。
そして祇園精舎の辺りは教会の鐘の音にして、信仰は長く変わらないけど、人間は変わるものだって話にする。
沙羅双樹はもう無視して花の移ろいで、咲き誇ってもいずれ枯れるのが自然の摂理って話にしてみた。
(人間は草木に例えることが一般的なのでしょうか?)
(そう言えば、人が枯れるって話もしたね。うーん、誰でも想像しやすいからじゃない?)
僕はセフィラに質問されながら、居館にある談話室に通され家族だけの小休止となる。
「兄上、山!」
「兄上、湖!」
そして今後の予定を話し合おうとしたら、双子が元気に意見を対立させて、僕に訴える。
別荘に着いたからには行楽をしようということで、山に登るか湖に下るか。
ワーネルもフェルも、どちらにも惹かれる様子で悩んだ末に僕に選んでほしいようだ。
二人も宮殿を出たことがないので、どちらも珍しいんだろう。
「うーん、迷うね。何をするかで選ぼうか? 湖なら舟遊びで、準備が必要になる。山に登るなら、対岸の宮殿を外から見ることになるかな? テリーはどう?」
「いえ、私は…………どちらでも」
声をかけたらテリーの目が輝いたのに、すぐに控えるように付け加える。
興味はあるようだけど、双子と同じようにはしゃげないってところかな?
せっかくの家族旅行なんだから、一緒に楽しんでほしいのに。
結局僕の提案に、湖を推してたフェルが折れた。
楽しみすぎて準備の間待てなかったようだ。
だから山に行ってる内に小舟の準備をしてもらい、山登りから休憩を挟んで湖での遊びをしようということになった。
「疲れたー。ねぇ、兄さま」
「いや、私は、まだ…………」
「えー、僕疲れたよ。少し休もう?」
双子相手に強がるけど、テリーも初めての山登りに辛そうだ。
というか、そもそも山登り用の靴ってないらしく、みんな革靴で登ってる。
ちゃんと道が整えられてるけど、地味に靴底の硬さが効いてくる感じ。
「ふぅ、私も疲れましたから休憩をいたしましょう。それにしてもアーシャは健脚ね」
か弱いヒールでここまで登って来た妃殿下が気遣ってくれる。
けれど今のテリーにはそれに気づく余裕はないようだ。
一年前なら双子を気遣うか、世話のために手を引くことをしたんだろうけど、今は困った様子で立っているだけ。
双子は疲れたと言いながらも、見慣れない野花を見つけて時間を潰す。
こういう時、テリーは内向的というか受け身に回る気がした。
迷って自分で動けなくなるのは、錬金術の実験の時に僕も見ている。
それは悪いことじゃないし、周囲に世話をする大人はいくらでもいるから問題ない。
ただ、本人がそんな自分を許容できていないらしいのが、不安そうな表情でわかる。
「妃殿下、僕もまだまだです。派兵先で山を登ったのですが、ロバの背に揺られるばかりでした。僕がいると他と歩調が乱れるので、荷物と変わらなかったでしょう」
周囲では休憩のための準備を始めたばかりで、まだ時間はかかりそうだ。
テリーとは話す時間も取れなかったし、ここは思い出語りをしてみよう。
「できないことを無理にやろうとするほうが足を引っ張る場面でしたから、周囲を頼んでの山登りだったんですが。ここよりもっと急峻な岩山で、ロバの背であっても体力が尽きて動けなくなりました」
実際移動はワゲリス将軍任せだったから嘘じゃない。
けど、側近たちが僕をじっと見てるのを感じる。
さらには近衛の反乱や暗殺が行きの間に起きたことを知ってる陛下と妃殿下まで、何か言いたげな顔をしてしまった。
「その歳で軍に同行しただけ、立派なものだぞ、アーシャ」
一番元気な父の後ろでは、ぞろぞろ警護や侍従が周囲の安全確認をしている。
うん、僕が知ってる家族旅行のイメージとは違うけど、これはこれでね。
そんな現実逃避をしていたら、セフィラが異議を申し立てて来た。
(語弊があります。主人は山登りに関して兵の指揮はしてはいませんが、帰還のために山を下った際には方針を決定づける要因でした。これは兵を動かすことに当たります)
(いいの。ここで当たり屋みたいな真似したなんて言ったら、場が混乱するだけなんだ)
(…………正しく情報を共有することこそ、混乱を抑止する初歩であると提言)
(…………せっかくの家族旅行なんだから、自分から叱られること言いたくないんです。その辺り察してよ)
(…………了解しました)
なんとかセフィラは黙ったけど、もの言いたげな雰囲気を感じるのは気のせいかな?
「そうそう、行軍途中で野営をした朝は、早く起きて薬草を探すことなどしていました」
僕はあからさまな話題逸らしをしつつ、やっぱりもの言いたげに感じる側近たちの視線は気づかないふりをした。
セフィラと一緒に抜け出しに成功したのは結局一度きりだったからいいじゃないか。
定期更新
次回:家族旅行2




