閑話20:ストラテーグ侯爵
皇子の地位を持つ者の私信が偽造改竄されていたのが発覚した。
これはとんでもないスキャンダルだが、同時に表ざたになれば敵の勢いを削ぐ大変有利な状況でもある。
「まさか本当に使うことになるとは…………」
「ストラテーグ侯爵さま、あれ、自作自演ってことはないですよね?」
半端な笑いを浮かべて、レーヴァンがとんでもなく不穏なことを確認してくる。
第一皇子が出兵前の慌ただしい中、私に一つの薬液を渡して来た。
それは絵筆で塗り込んでも水のように乾いて跡を残さない薬液。
けれど一度火であぶれば筆の跡が浮き上がるという代物だった。
「気づいたのは第二皇子のほうからということだったはずだが?」
「そこも仕込みとか? …………ないですよねぇ」
自分で言っておいてレーヴァンは否定する。
だが私もそう思うくらいに、第一皇子は弟である殿下方を大事にしていた。
共に陥った暗殺未遂の危機には、普段の飄々した態度を覆して犯罪者ギルドを潰す宣言。
その攻撃性もさることながら、自ら出向いて取り逃がしがないようにまでしたという。
耐え忍んで宮殿左翼に隠棲するように暮らす皇子の、知りたくなかった一面だ。
「自ら不安にさせるようなことはしないだろう。それに、不自然に陛下への手紙がないことも、思えばおかしい。今はまだ偽造改竄だが、調べれば隠蔽や棄損もあるだろうな」
やったのは今のところ軍に所属する者だが、家はルカイオス公爵派閥の端にいる。
ここを詰めても今の陛下では詰め切れないだろう。
実行犯と、その仲間でも見つけ出せればいいといったところだ。
悪ければ、全く無関係のスケープゴートを掴まされる可能性さえある。
そこが冤罪だったと後から公になれば、元から政治手腕を疑問視されている皇帝だ、倒す時の一矢になりかねない。
「もうすぐ出兵して一年ですか。あの皇子は何を考えてるんでしょうね?」
窓から外を眺めて、レーヴァンが呟く。
私は自分の危うい考えもあって、一度室内を見回した。
ここは私の仕事部屋でレーヴァンしか今はいないが、宮殿内部だ。
「自分から僻地に送られて、手紙改竄されて。どうも帰還の目途が立ったとかいう話もありますけど、こっちじゃ第一皇子が何かしたなんて何も聞こえてません。握りつぶされて功績にもしてもらえないのに、この出兵自体、攻撃されるだけ損じゃないですか?」
「そこは公に出ていなかった今までの状況の打開だろう。こうして捨てられるような形でなければ外にも出られないようにされていたんだ」
私の見解に、レーヴァンは苦笑を返した。
「やっぱり、あの皇子が何かしてるって思いますよねぇ?」
「してないで、こんな仕掛けを送ってくるものか」
私はイクトからの報告書を机に放りだす。
北から送られてきた、素っ気ない内容の報告書には、同じく愛想の一つもなく、本物と書かれた文字が焦げ付くように浮かんでいた。
聴衆の前で私はこれを浮かび上がらせるというパフォーマンスをやらされたのだ。
そして同時に偽造されたほうにはないことも証明となって、偽造の件が露見した。
お蔭で私は抜け目ない、用心深い、自らの領分を侵す者に対しては苛烈すぎるとも非難されるが、別にやりたくてやってるわけじゃない。
それもこれも皇子のせい…………いや、あの第一皇子をつつくような真似をした過去の自分が憎らしく思えるな。
「なぁんか、こうしてあの皇子さまを疑うつもりもないのが、馴らされた感じがして怖いんですよねぇ」
「…………言うな」
わかっている、あの皇子の奇行に慣れを感じてしまっていることは。
そして奇行にしか見えない突飛なことをして、北の僻地でも情勢を動かしていることを、私もレーヴァンも疑いはしないのだ。
いっそそんな自分に疲れを感じる。
「ことの起こりが百年以上も前の問題なのに、乗り込んで行った途端に解決する目途立てるって。本当なんなんですかね? 絶対道中で色々仕掛けられてるのに。つまりあんなことできるくらいぴんぴんしてるんでしょ?」
レーヴァンは窓に向けていた顔を動かし私を見る。
それだけで、あえて言わなかった言葉が察せられた。
あれも酷い騒ぎを引き起こした。
その上で、絶対に第一皇子が送り込んで来たのだと確信したものだ。
「近衛の反乱を未然に防いで全てを捕縛の上、護送車を要請して帝都へ送りつける」
「あれは酷い騒ぎでしたね。血縁者の紳士淑女が軒並み奇声を上げてぶっ倒れたとか」
私も思い出して目元を手で覆う。
実際目の前で倒れられたのは、レーヴァンが左翼へ様子を見に行ってる時だった。
送り返された近衛の父親の従兄に当たる者で、ちょうど私と話している最中のこと。
反乱の咎で、血縁者が護送車にシャツとズボンだけの下着姿で帝都まで送られてきたと報告を受けたのだ。
「どうやら、軍に護送車の要請があったことで、実家は罪状を聞いていたらしい。ただ、あまりの醜聞にもみ消しを計り、できないとなって口を閉ざしていたそうだ」
「つまり、そんなことになってるなんて知らずに、周辺は送り返されて初めて知ったと。そりゃ、倒れるほど驚くし、顔に泥塗られたも同然ですね」
レーヴァンは乾いた笑いを漏らすが、今もその騒ぎは尾を引いているのだから笑い事ではない。
私の派閥の端にも影響があるのだ。
近衛を輩出した家と姻戚関係の者がおり、そちらから私にも一緒に反乱の咎で裁くことに圧をかけるよう請願が来ていた。
もちろん反乱を起こした相手など庇うわけもなく断ったが、向こうは無実を主張した。
こちらにまで不仲が聞こえる将軍との連名で、しかも捕まえたのは将軍のほうだ。
元より近衛と軍部は仲が悪い。
そんなところに首を突っ込むだけ何も得るものがないのだから関わるわけがない。
「…………早すぎませんかね?」
「どうした? 北の問題解消はまたあの皇子が何かやったからだろう?」
「いえ、何処であの皇子さまは私信が偽造なり、隠蔽なりされてるって気づいたんだろうかと。帝都側だけなわけないですし、ってことは北に送る文章のほうも気づかれないよう手を入れられてたはずでしょう?」
確かに、それならまずは私信でおかしなことがあると相手に確認するはずだ。
そうなれば偽造しているほうもより巧妙に対策をする。
だが、押さえた者たちは露見するとは思っておらず簡単に捕縛されている。
つまり、第一皇子は偽造に気づいたことを悟られない内に動いていたのだろう。
思えば発端は私に来た報告が偽造されていたからであり、今までの素っ気ない報告書に偽造の必要は感じない。
つまり、偽造されるように相手にとって不都合な情報を、北のほうから仕込んだことになる。
それにはまず、第一皇子の側が偽造されていると気づく必要があるのだ。
「偽造した側は、なんの対処も取れない内に、あの皇子にしてやられた。時間稼ぎだとしてもリスクが高い。だとすれば、軍のほうで無茶な命令を通すまでの時間稼ぎ。その後は気づかれない内に手を引く手はずだった?」
「あの東の兵乱治めろってやつですね。だとしたら、第一皇子はいったい、どうやって偽造に気づいたんでしょう?」
「第二皇子のほうが気づいたと言っていたから、わからないようにそうと知らせたか?」
「いやぁ、それが…………第二皇子が財務官に報せたのが、向こうから手紙が来てすぐでして。次の定期連絡の時にはトトスさんの例の偽造文章でしたよ?」
確かに早すぎる。
第二皇子が気づく以前に気づいて手を打たなければ時系列がおかしい。
まだ異変に気づいた第二皇子が報せると同時に、イクトの報告は作られていなければ。
思いを巡らせて、私は一つの可能性を思い浮かべる。
「その財務官が、魔法的な方法で、距離を問題にせず連絡を取ったか?」
「それはないですね。魔法使えないそうなんで。それに実用化されたって聞きませんよ、そんな魔法」
「エルフだろう? 魔法に関して人間よりも信仰染みた執着を持つ種族だ。あるかもしれない」
「あ、いえいえ。エルフっぽい見た目だけで、基本人間らしいですよ」
紛らわしいが、人の中には魔法が使えない者はよくいる。
私とレーヴァンは比較的魔法使いの多いルキウサリア出身だが帝都には各地から人が集まっているため、使えない者のほうが多いくらいだ。
「そうか。…………まぁ、このままでは終わらないだろうな」
「と言いますと?」
レーヴァンがおどけて聞き返すのは、私が不穏なことを言うことに気づいたため。
「今回はルカイオス公爵は皇帝に睨まれた状態であまり動いていない。ユーラシオン公爵のほうが、今後を見据えて何やら動いているようだ」
「つまり、北で上手くやった第一皇子の帰還を転戦命令で邪魔したのはあちらさんで?」
「だろうな。ルカイオス公爵があえて皇帝の目の前に立ち、ユーラシオン公爵の動きを悟らせないよう邪魔しているようにも見える」
「あのお二方、普段笑顔で嫌み言い合うのに、喋らないとどうしてこうも息合わせるんでしょうね?」
「お互い、自分のために敵を都合よく使う方法が一緒ということではないか?」
「うへぇ、そんなお大臣たちに睨まれて、本当、どうしてあの第一皇子の御乱行はばれてないんですかね?」
レーヴァンは第一皇子が宮殿を抜け出していることを言外に語る。
私も言われなければ気づかないし、未だにどうやってたかわからない。
それで言えば、何をしてるかわからない第一皇子のほうが厄介に思える。
「僻地でも安寧に暮らすほうがいいかと思ったが…………」
「たぶん俺たちが思うよりも早く戻ってきますよねぇ」
転戦というふざけた命令だからこそ、反発するのは目に見えている。
それはそれで何をしでかすか心配だが、私個人としては安堵もあった。
ずっと第一皇子を心配して手紙を送ってくるディオラ姫の憂いが晴れると思えば、少しは状況が良くなる。
そう思えたのだ。
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