94話:錬金術の使い方4
さらに山の上の村の統合にかかること二カ月、大変だった。
「つ、疲れた」
「ご主人さま、こちらへお座りください。温泉蒸しのニンジンです。どうぞ」
「ありがとう、ノマリオラ」
体力を使い果たして調査小屋に戻ると、ノマリオラがクッションを並べた長椅子に誘導してくれる。
しかも甘く蒸し上がったニンジンを食べやすく切ってフォークと一緒に差し出した。
前世はそこまで甘い野菜は好きじゃなかったんだけど、アーシャになってからグラッセとか普通に出るお蔭で、甘い野菜は好きだ。
「おいこらー! 俺にもニンジン寄越せ! っていうか金払うし皇子からも許可取ってるってのにそこの侍女が絶対譲らねぇんだ!」
甘いニンジンを口に入れた途端、ワゲリス将軍が怒鳴り込んできた。
しかもノマリオラと何やらやり合った後らしい。
「こちらはご主人さまの好物として帝都から運んで来た甘みの強い品種です。ご主人さまの口に入ってこそ意味のあるものとなります」
「さすがに子供から好物横取りするのは情けなさすぎるだろ。それに殿下がこうして疲れてる理由、お前も大きな一因なんだからな?」
ヘルコフもかつての同輩に呆れ顔だ。
ワゲリス将軍も自覚があるらしく黙るんだけど、その目が僕の食べるニンジンに向かう。
正直食べにくいし、事前に許可出して侍女まで伝達し損ねたのは僕だ。
「まぁ、うん。この蒸し料理はここでしか食べられないし、温泉蒸気のお蔭で美味しさ増してるし、気持ちはわかるからわけてあげて、ノマリオラ」
「おう! お偉いさんってのは気前が良くなきゃな! 食事事情をよくするってのは人間動かすには重要だ。融通してくれた分は重さか本数で記録して、協力として記録しとくぜ」
そんなことで軍事行動における評価扱いなことに、いっそ苦笑してしまう。
準備も不十分で不満のある派兵にカリカリしていた上に、ここに来てからは慣れない環境と寒さに耐えつつ、村人に手を出さないまま日々喧嘩の仲裁。
岩盤浴と蒸し料理、何より解決の目途が立ったことでワゲリス将軍どころか、軍全体の雰囲気が軟化していた。
中には辺境に追いやられて帰るあてもないと、ここでの永住を口にする兵もいるそうだ。
そんなここ最近、統合を拒否していたワービリにも折れる気配がある。
「あぁ、そうだ。ニンジンだけじゃなかった。白い道の工期のほうが十日ほど延長だと。手伝いに集めた若い男が、温泉のための穴掘りに行っちまったそうだ。これ以上減るのは困るらしい。温泉関係はそっちの領分だろ」
「あのですね、ワゲリス将軍。アーシャさまが水浴型の温泉を新たに作ることになっているのは、あなたが口を滑らせたせいだったことをお忘れですか?」
ウェアレルが耳も尻尾もぴんと立てて非難すれば、ワゲリス将軍も言い返す。
「俺だけのせいじゃねぇだろ。それに実際岩盤浴を作ったのは第一皇子だ。温泉の活用方法を錬金術で新たに開発したのも嘘じゃねぇ」
「そうだけど、それでワービリの村人に僕がどうにかしないと駄目だって言ったせいで、ここで両村の村人が顔合わせて喧嘩になって、怪我人出るところだったよ」
結局僕がまた下の街までまた行って、鍛冶屋に指示して回ることになったしね。
ワービリの村のほうで、統合するならカルウだけ恩恵受けるのは狡いと言い出したんだ。
それで飲用とは別に、ワービリ側には浴用の温泉を作ることになった。
火山ガスの危険もあるから、風通しのいい露天風呂予定だ。
最終的には石材でどうにかなる所は、山にある石を運んでもらって、水蒸気の力で加工するため、砂利作りから石を割って削るギミックに付け替えてある。
他にも温泉の水蒸気を集めて蒸し料理をするための場所が、奥さま方から要望で増えた。
そこは行軍中にかまどを作ることに慣れた軍に手伝ってもらい、手間は少なく済んでる。
「ワゲリス将軍が浴用のほう使ってくれるなら、軍専用にしてた岩盤浴は女性のために解放しようかな」
「俺は水浴びするが、軍には砂浴び派もいる。使えなくなったらそっちから文句出るぞ?」
当たり前に言うワゲリス将軍の反応を受けて、ヘルコフも頷く。
どうも獣人や竜人には、水が平気な人と嫌いな人が極端らしい。
そして被毛に覆われてる上に汗をかかない獣人は、お風呂や清拭の習慣がない。
代わりに水浴びや砂浴びがあるそうだ。
それで言えば岩盤浴は汗腺ではなく皮脂腺を刺激するそうで、毛づやが良くなると獣人たちから評判となっていた。
つまり水は嫌いだけど砂浴びはする獣人や、水が嫌いな竜人は岩盤浴派。
「難しいなぁ。男女を別けるのは軍が撤収した後しかないか」
今は時間交代で、男女の使用時間を別けてある。
「アーシャさま、お疲れのところ申し訳ありませんが、そろそろ志願者に施設の機構、手入れなどを指導するお時間です」
ウェアレルが申し訳なさそうに言う。
ニンジンは視線がうるさいのでワゲリス将軍にも半分わけてもうない。
クッションのお蔭で座ってただけでも、ちょっと疲れは取れた。
前世で言えばまだ小学生の僕は働きすぎな気もするけど、僕以外に錬金術は教えられもしないし、しょうがない。
「思わぬ手間は増えたけど、結果は想定どおりだし、僕に文句はないよ」
「想定どおり? どういうことだ?」
僕に合わせて去る様子を見せていたワゲリス将軍が聞き返す。
「帝都で前任者の残した資料を読んだ。そこで問題は古い時代に作った温泉水の権利だとわかった。薬として地方領主も使う時があるからわざわざ兵を出して権利を主張してる。けど大本が別にあるなら、もう一つ作れば争いはなくなると思ってたんだ」
だから温泉を引くためのパイプを帝都で用意して運んで来たし、温泉や鉱物の性質を調べる道具や薬剤なんかも安全利用のためだ。
「試しに作った物でも目新しさで受け入れてもらえたのは予想外だったな。もっと保守的で、温泉水をありがたがってるのかと思ってたんだけど」
有害なガスは全部下に落ちて、飲用には適温の温泉が屈まなくていい場所に流れてた自然の妙は素直に感心したんだけどな。
「ここは地理的にも閉鎖的です。新しい物を恐れることもあるでしょうが、実益があるとなるとそこは限られた資源の生活だからこそ飛びつくこともあるでしょう」
「わかんねぇな」
イクトの説明に、ワゲリス将軍のほうが疑問の声を上げた。
「なんでそれで悪評放置してんだ? いくらでも対処できる能力はあるだろ」
「別に放置してるわけじゃ…………」
「してるだろ。どう考えてもその能力、宮殿で埋没してていいもんじゃねぇ」
これはワゲリス将軍からの評価なのかも知れないけど、だからこそだ。
「埋没させないといけないんだよ。僕は皇子だけど嫡子じゃない。それとも、また皇子が全員宮殿からいなくなるようなことになったほうがいいとでも?」
ちょっと強く言うと、ワゲリス将軍は肩を竦めてみせる。
「長子相続なんだから今のまま放置してるほうが、国として駄目だろ」
「それも一理あるけど、硬直化した派閥争いにはすでに父である陛下という外部の人間が入ったことで変化が起きた。だったら次の世代は安定を狙うべきなんだよ。僕が立ってもまた変化の世代で、安定はさらに次の世代だ。それじゃ、一世代分無駄だ」
ワゲリス将軍は賛成しない様子で僕を見るので、言われる前に室内を指し示す。
「それに僕は錬金術がしたいんだ。皇帝になりたいわけじゃない」
魔法も楽しい、武芸も楽しい、この世界を知ることもワクワクする。
それらを一つにしたら、たぶん錬金術が一番色々手を出せる技術だ。
「ここにあるのはかつて帝都を形作った知識の集積だ。今はそれが魔法の劣化技術だと言われてる。魔法とはまた違った技術と知識の結実だ。僕は自分の手でもう一度実現したい」
「だったらなおさら前に」
「違うよ。やりたいだけで表に出たいわけじゃないんだ。別に発表するのは僕じゃなくてもいい。なんだったらこの村の誰かが錬金術に目覚めて、ここにある道具を表に出してくれてもいいくらいだ」
やるにはどうしても現状の低評価を覆す必要があるし、契機になるならそれでもいい。
「というか僕が表に出ると錬金術自体を潰される可能性があるから、僕以外の錬金術師に名を挙げてほしいね」
「やっぱり俺は、お前のやり方は気に食わねぇ。上に立つ生まれなら、その分周りも巻き込むことを自覚しろ。無害を装って自衛のつもりなら、そんなの捨て身と変わらねぇぞ」
すでに僕は暗殺されかかっているからこその忠告だろう。
「防げるなら防ぐ、防ぐために講じる手があるなら講じる。そうして初めて相手も思い止まるんだ。いいか、争いを起こさせるのは欲だとか名誉だ。だが争いを呼ぶのは、あからさまな隙や弱者への優位だ」
つけ入れる状況や弱い相手がいるからこそ、争うという判断をするってことか。
(ワゲリス将軍がそれを僕に言うのはつまり、僕が隙を見せてるからだと責めているってことかな?)
(一理あり。近衛は主人が天幕を陣外に置かれたことで自らの優位と、主人が軍と隔絶している状況を掴み、反乱が実行可能と判断したと思われます)
セフィラは僕が反乱してもいいと思わせる状況を作ってしまったことを指摘する。
それは僕が弱い立場に甘んじているからだと。
「これからだと思うんだけど、そんなの待ってはくれない、か」
「腹蔵あるなら晒せ」
「いやいや、なんでそんな物騒な感じになるの。…………ともかく、僕は皇帝にはならないし、ここに押し込められてる気はない。そのためにもちょっと軍には功績立ててもらうから、そのつもりでいてね」
僕は胡散臭そうな顔をするワゲリス将軍にそう指を突きつけたのだった。
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