89話:ファナーン山脈の危険4
毒の風の調査準備をして、僕は村の南にやってきてる。
「防毒装備そんなに多くないから、連れて行けるのはセリーヌだけね」
「はい、それは。えぇと、この面をつければよろしいのか?」
毒の大本に行くと知って、ワゲリス将軍に反対された。
だから安全策として防毒装備があることを言うと、次には同行させろとうるさくされたんだ。
それも数がって話でなんとかセリーヌだけで治めたのに、集合場所にもぞろぞろいるからもう一度伝える。
聞けば、セリーヌの部下は付き添いで、後は衛生関係の人たちだそうだ。
そしてセリーヌがいう面って、いわゆる防毒マスクだ。
鼻から口を覆う立体構造で目元を覆うガラスがあり、それらを革のひもで固定する。
「う、これは、苦しい、ような?」
「この飛び出てる缶の部分に毒を通さないよう薬剤いくつか仕込んであって、こっちの顎のほうから息は出るから呼吸はできるよ。ただ吸気用の部分以外から空気が入らないようしっかり顔に密着させる必要があるんだ」
僕はセリーヌにレクチャーしながら、自分も装備を整える。
他にもつなぎ風防護服に、二の腕まで覆う保護手袋、靴も溶けること前提で底の厚い物を用意した。
化学繊維とかないから、ひたすら厚手の布だけどないよりましなはず。
他にも不完全エリクサーを持って来てるし、途中で採集した薬草も軟膏に加工して毒が皮膚についた場合の薬にしてあった。
「あの、これら、どう説明すれば? 報告するよう言われているのですが、私では全く理解が…………。どうしましょう?」
「安心しろ。俺らもよくわかってない」
ワゲリス将軍には僕を見張るよう言われてるらしいセリーヌに、何一つ安心できない言葉をヘルコフが投げ返す。
ちなみにちゃんとヘルコフの顔に合う形でも防護マスクなんかは作った。
元から制作協力がヘルコフの甥と元同僚女性だしね。
「装備については許可なく外さないという原則を守ればそれでいいですよ。問題はこれから何をしに行くかもわかっていないことでは?」
ウェアレルは言いつつ防護頭巾に耳を収納している。
ヘルコフもだけど二人は体に合わせて特別製だ。
「セリーヌ、六十年前の報告書に目は通した?」
「恥ずかしながら、戦闘部分と会議の様子しか見てはおりません」
セリーヌは僕がワゲリス将軍に指摘したようなところは押さえてないそうだ。
「だったら向かいながら話そうか。実質山一つ越えることになるし、時間が惜しい」
装備を整えて急がないと、移動には僕が一番時間を食うんだ。
僕のほうは荷物持ちの人足たちを後ろに従えて、そっちにも防備を回してる。
けど言っても怖がってしまうので、名目は山登りでの地形確認という建前があった。
「ここには天罰があると突然死するって言い伝えがあるんだ。実際六十年前も死者が出てて、どうして死んだのか調べてもわからなかったから、持病からの突然死になってた」
「それは、殿下の指摘を受け資料を拝見しました。どうやら窒息死であったようだと」
セリーヌがいうとおり死体の検分でも唇にチアノーゼがあり窒息扱いだけど原因不明。
誰も首を絞めてないし、死んだ人は何かを喉に詰まらせてもいなかった。
近くに人もおらず、死因となる外傷もなく、それこそが天罰と村で畏れられる死に方。
「窒息ってどうしてなると思う? 息ができなくなるからだ。じゃあ、息をするって何?」
「空気を胸に入れること、ですか?」
ウェアレルでも疑問形か。
だったらもう答えからいこう。
「人間は息ができないと死ぬ。だったら、呼吸することで生きることに必要なものを摂取してるんだ。そして必要なものはこの空気中に存在していて、目には見えない」
ようは酸素だけど、初めて耳にする話に考え込んでしまってるし、もう少し例が必要かもしれない。
「例えば…………水の中。そこで吸い込んでも必要なものは得られないし、不必要な水を吸って溺死する。だったら、同じように空気の中、たまたまその死んでしまった人の周りに、普段僕たちが吸ってる空気と違うものが満ちていて、生きることに必要なものが摂取できなかったとしたら?」
「そんなことあり得るんですか? 殿下」
「普段はそんなことないんだよ、ヘルコフ。けど、村人は風の強い日は神が怒っているから白い道に近づくなと言う。そして白い道で物を拾うな、寝転ぶなとも言うんだ」
つまり禁止されていることが答えだ。
「毒の風の大本は僕たちの足元に滞留してる。それが風で巻き上げられると生きるために必要な息ができなくなって死ぬ。これはたぶん、村の人々は体感的に知ってる。だから村の家は何処も基礎が高いし、一階で家畜を飼わない」
村の特徴もまた六十年前の将軍が残した資料にあったことだし、実際見てもそうだった。
寒さ対策もあるんだろうけど、白い道の位置も考えてみれば一番低い場所。
他の日常的に使う道は全て白い道より高く作られていた。
「にわかには信じられない話で、なんと言えばいいか」
セリーヌは結局理解が追いつかないらしい。
「まぁ、そうだろうね。あ、ヘルコフたちは僕が空気を別けたの見てたでしょ? あれだよ。空気って色んなものが混じってるんだ。ここでは普段吸わないものが混じり込むと思って」
酸素や水素の燃焼は見せたことがある。
逆に窒素や二酸化炭素は火を消すので、空気を分解すると性質の違う気体が出るのは知ってるんだ。
一つ頷いたウェアレルはセリーヌを見て、防毒マスクで顔の半分が隠れた状態で微笑む。
「このように、我々もアーシャさまに説明いただかなければ、理解は難しいのです。あの将軍であれば、言葉を尽しても無理だからこそ、要点だけを整理すべきでしょう」
アドバイスかな?
「だから、着いても地面に座って休むことはしないようにね。人足にも上に着いたらもう一度言おうか」
会話もその後はとぎれとぎれになった。
だって山、遠い。
見えてるのに全然距離縮まらないし、足元は確実に傾斜していくし。
救いは山頂まで行かないことくらいだけど、僕の体力が追いつかない。
谷になっているところを回っていけるんだけど、その分距離が伸びてる。
なんとかたどり着いた南の穴は、見下ろせば、地図にあった適当な円ではなく、岩が積もった火口が所々で水蒸気だろう白い煙を上げていた。
「ふう、やっぱり。温泉が湧いてるっていうから火山だと思った」
「え、は? 穴が何かも予想済みで?」
セリーヌは驚くけど、日本人の記憶があると予想はつく。
ここの村が宮を争う理由は、そこに神の恵みとして奉られた温泉があるから。
山脈内部で高い上に植物もまばらなここに、それでも人が住んで領主が兵を差し向けるのは温泉があるからだった。
扱いとしてはどうやら薬に近い飲用らしい。
住んでるのが獣人だから全身を濡らすことは嫌なんだろうけど、飲むって聞いてちょっと驚いた。
六十年前の将軍の報告見た時には首を傾げてしまったほどだ。
風邪くらいだったら温泉を飲んでいると治るそうで、風邪でも死者が出るのでありがたがられたらしい。
そしてそれが、全く別々のルーツを持つ二つの村がここで合流した理由でもあるんだろう。
「注意事項は二つ。地面に座らないこと、そして風が強く吹いたら即撤退。防毒マスクも許容量あるからね」
人足たちには運んでもらった機材を降さず、安全だろう場所で固まっていてもらう。
もちろん専門家でもない僕は大したことはできないし、硫黄の匂いがするなぁくらい。
ただ、エリクサーは鉱物由来の薬だ。
つまりは鉱物をどう扱うべきかを過去の錬金術師たちは残してくれていた。
「まぁ、使うのは初めてだけど。上手くいくかな? まずは簡単なところから行こうか」
僕は初めての実験を前に、源泉を見つけて温度に注意しながら作ってもらった耐熱ガラスに汲む。
これは煮詰めて残った固形物の重さや色、性質を調べて当てはまる鉱物を、過去の記録から探すためだ。
他にもイオンを調べることで対応する鉱物が変わるから、選択の幅を狭めることもできる。
酸性かアルカリ性でも調べることができるので、ともかく鉱石を収集するつもりだ。
問題は火山性ガスなんだけど、気体は密封できる容器が間に合わなかったから、今回は地道に鉱石を調べてどんなガスが発生するかを検証して対策するしかない。
「調査をここで行うのですか?」
「それは危険だから、必要な素材を持ち帰ることからだよ。いつ風が吹くかわからないし、それらしい物を拾うことになるんだけど。拾ったものが何か予想つけないと運び方も選べない。…………あ、地面から噴き出してる煙は毒の可能性あるから近寄らないでね」
セリーヌは僕に寄って来ようとした足を止める。
うん、怖いよね。
僕はもっと怖い想像してたけど、思ったより熱くなくて良かったと思ってる。
あからさまなマグマも、鉱物が溶けた極彩色の水もないから風が一番の問題だ。
「急ぐから勝手に動き回らないようにね」
そう声をかけて僕はまず目についた黄色っぽい石を、持ってきたトングで拾い上げたのだった。
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