88話:ファナーン山脈の危険3
戦いは予想どおり、帝国側が兵を動かした途端に終わった。
領主の兵は指揮がしっかりしていたようで、足並み揃えて退くと、話し合いの場をこちらが設けたらすぐさま代表者が現われたほどだ。
さらには帝都のほうで協議された編入を告げると、文句も言わず受け入れている。
「帝国軍が出たら大人しくなるとは聞いてたけど、ずいぶんあっさりだね」
今回は僕も話し合いに参加していた。
だって代表者の一人だし。
もちろん相手方からはすごく不審な目を向けられたけど、身分を説明すると背筋伸ばしてた。
どうやらこんな辺境までは僕の悪評も届いてないらしい。
嫡出じゃなくても皇子というだけで帝国軍以上に僕を敬う姿勢を見せられ、居心地が悪かったくらいだ。
「側で見張ってたほうがいいかと呼んだが、さすがに皇子が直接顔出す案件ってことで、下手なこと言う前に引いたところはあるだろうよ」
ワゲリス将軍、酷くない? それともそんなに僕って暗殺者を単身追ってく向こう見ずだと思われてる?
「けど兵出して争うくらいには主権主張してるところに、中央が決めた領地の再編成だ。奪われる側のワービリの兵からは文句出るかと思ったけど、大人しく引き下がってるのは本当に僕の身分だけ?」
ワゲリス将軍の言葉を信じるなら、帝国の皇子という看板が効いたようだけど。
実際は帝都を追い出すために派兵されたなんて、地方じゃ知りようがないにしても大人しい。
「あとは単純にあいつらもさっさと家に帰りたかったんだろ。ずいぶん耳打ちされたぞ」
ワゲリス将軍は小さめの耳を震わせる。
「物資供給が上手くいかないだとか、下の町の奴らは足元見て来るぞだとか、運び降ろすのも面倒だから不用品はくれるだとか…………一番厄介なのはここの住民と風だとか」
「厄介な風って、もしかして毒の風?」
「知ってるのか?」
「以前派遣された将軍の残した資料は全て読んだから。そういう言い伝えが両村にあって、実際毒の風が吹いた日に兵が死んだという報告もあったのを見たよ」
僕の言葉を受けて、ワゲリス将軍は誰かを捜す様子で辺りを見回す。
すると一人の武官が手元の資料を捲りつつ寄って来た。
「はい、えーと、はい。ありました。こちらですね」
どうやらワゲリス将軍は毒の風を知らなかったらしい。
そういう記録は武官に任せているようで、当の武官は片腕から零れそうな書類束を持っている。
うーん、雑。
まぁ、今回に関しては事前準備が必要なこと以外はセフィラに丸暗記してもらって、僕も道々確認したし。
僕よりも軍の編成なんかをしていたワゲリス将軍は時間が足りなかったんだろう。
この土地の面倒なところは、カルウとワービリという村が元は、全く別の山脈内部にあったことだ。
両村は何度か村を捨てなければいけない災害を受け、山を下り行く先で、偶然二つの村がここで合流した。
ただし喋る言葉が違うし、元が違う場所で暮らしてたから文化も違う。
今では言葉も通じるようになっているけど、過去からの確執が尾を引いていて、掘り返すとひたすらに長くて面倒な争いだった。
「確かに外傷もなく野外で突然倒れて死んだ奴がいるな。目撃者も多い、側にいた者はなし、特筆する状況は強く風が吹いたことのみ、か」
「うん、僕の推測が正しければ、これ同じ条件下だと僕たちも死ぬから、南風の強い日は白い道に近づかないよう命令しておいてほしいんだ」
「白い道?」
「えー、えー、えーと、はい、これでしょう。カルウとワービリの境のことのようです」
武官が今度は村の地図を出すけど、もしかしてその書類束の何処に目的の資料があるか全部暗記してるの?
「なんでここなんだ? あ? 神の道? 落とした物は神への供物だから拾うな?」
地図以外にも武官は白い道に関する資料を探し出して渡していく。
そこには白い道は神の道だから無闇に入ってはいけないことや、寝転ぶと罰が当たることなどが書いてある。
死因がわからないことで、前任の将軍が調べた周辺の言い伝えも残されていた。
「おい、村の奴らが何か仕込んだんじゃねぇのか?」
「たぶん言い伝えは村人の自衛のためだよ。恐怖の擬人化が神の罰ってところじゃないかな?」
「なんにしても死人が出たなら村人絞って何があるかを聞き出せばいいだろ」
ワゲリス将軍からすれば、原因があっての死亡で仕込める相手は村人しかいないってことなんだろう。
僕から見れば別の要因が推測できるんだけど、まずは軽挙を止めよう。
「そんなの意味ないどころか悪感情生むだけ損だよ。以前派遣された将軍は、力を見せつけて交渉を早く終わらせようと、あえて争いの渦中に兵を入れて両村に死傷者を出させた。けどこのせいで、七年も強硬姿勢を貫かれて帰れなくなってる」
「村二つの交渉があったからだろ。今回は一つに再編だ。命令すれば終わりだろう」
これはあれだ、もう領主の兵が退いたから自分の仕事終わったと思ってるな?
確かに交渉ごとできる人たちは軍が連れて来てるけど、抑止力として軍は必要で、その軍を統括する将軍が甘い考えだと困る。
「ともかく、村人を故意に傷つけるのは禁止」
「甘い」
「甘いのはワゲリス将軍だよ。交渉は力押しだけで片付くものじゃない。強烈な一撃が利くこともあるけど、それは必ず攻撃が通ると見極めてからしないと、二撃目を打つこともできなくなって終わる」
ここに来るまでにわかったことだけど、ワゲリス将軍ははっきり言わないと即決に走る。
宮殿だとはっきり言うのを嫌う風潮あったのに、真逆すぎて空気読むなんてまどろっこしいって言わんばかりだ。
「それに僕たちはいずれ去る側だ。力で押さえても、その力はなくなる。そうなるとどうなる? また最初からだ。同じ村に統合されたって、争い合った村人を総入れ替えするなんてことできない。表面だけ取り繕ったって、この軍事行動の成果は上がらないんだ」
ここでの生活は厳しい。
その上で住んでる人たちにはその人たちの哲学があり、余所者が否定しても意味はない。
「陛下が得られた領地を、半端な抑圧で荒らして、また将来争いを起こさせる? 陛下の名の下に統合された村がすぐさま分裂なんてそれこそ意味がない」
父の功績を積むためにも、この村には平和的解決を導かなきゃいけないんだ。
「…………だったら、考えをさっさと言え。推測がどうたらと勿体つけやがって」
考えがあることはわかってくれたようだけど、僕は片手を上げてワゲリス将軍に向けた。
「推測の域を出ないからまだ言う必要を感じない」
「はぁ!? 死人出るって言ってたのは嘘か!」
「いや、実際出てる記録あるでしょ? その原因を推測はしてきた。けど机上の話だ。いくらでも推測は語れるし、その中に答えがあるかもしれない。ただ余計な情報のほうが多くなれば混乱を招く」
僕だって軍の命令系統を悪戯に乱したくはない。
だからお願いしたのは、言い伝えで禁止されていることをしないよう徹底してほしいってとこだ。
「僕の荷物が届いたらすぐに調査に向かうから。結果はちゃんと共有するよ」
「はぁ? 荷物? 調査? …………そう言えば無駄に大荷物運ばせて。部屋飾る無駄なもんでも持ってきたかと思えば天幕にある変なもんと言えばガラスの変なのだけだったな」
「変、変って、もしかしてそれ、錬金術道具のこと?」
「あれ、錬金術なのか? 薬術じゃなく? お前、兵に何飲ませてんだ」
「薬だよ。毒を殺す毒、それを人は薬と呼ぶんだ」
カピバラの表情なんて読めないけど、あんまりわかってないのは雰囲気でわかるし、そばの武官も不安げな顔だ。
届く荷物もまた錬金術関連だし、これは説明してもたぶんわかってくれないな。
調査が必要だと思って大荷物持って来てたと言っても説明が面倒だ。
「ともかく、僕は南の風が吹いてくる方向を調査するから、それまでは自衛に徹して」
「南?」
ワゲリス将軍は呟いて地図を見る。
白い道は南北に走って村を二つにわける境になってる。
そしてここは窪地だ。
どちらに行っても山脈を形作る山にあたる。
ただ地図の南には別の物が書かれていた。
「なんだこの建物?」
「そこも? 地元民が争う理由がその建物だよ」
ワゲリス将軍が武官に確認すると、これには武官も資料を探ることなく頷く。
白い道の南の終着点には宮のようなものがある。
そこは山の神を奉るための施設で、元をただせばその所有を争って二つの村は対立しているのだ。
「なんだこの、穴?」
さらに南、地図には山の中に巨大なブランクがあることにワゲリス将軍は気づく。
ただそこは危険として、以前の将軍も調べてはいないためあやふやな場所だった。
だからこそ僕が調査をしに向かわなければならない場所でもある。
「たぶんそこに毒の風の大本が…………」
「おい、待て。つまり毒があるってことか? だったら村がここにあること自体問題だ。移転の交渉が必要になるぞ。いや、その前に調査だ? 行かせられるか!」
「だから、もう。雑に結論を急がないでよ。地元民だってここに居続ける理由があるんだから。そこを解決しない限りは意味がないの」
駄目だ、ワゲリス将軍って致命的に交渉ごとに向いてない。
安全を思っているのはわかるけど、それじゃ父が領地を増やすって実績に繋がらないんだよ。
人命より優先する必要ないって切り捨てたのかもしれないけど、それじゃ僕がここまできた意味がない。
「ともかく! 白い道には気をつけて。しゃがむだけでたぶん死ぬからね!」
僕がワゲリス将軍に指を突きつけてそう命じると、今度はわかりやすく怒った音を太い鼻先から漏らしたのだった。
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