87話:ファナーン山脈の危険2
周りの無関係な人たちを巻き込む暗殺の回避はできた。
ただその後もロバの上で体勢を崩さないよう体をこわばらせて、僕の体力は底を突いてる。
ようやくたどり着いたのは、すり鉢状の地形を成す山脈内部の山間。
その時にはもう、ヘルコフが背負った背負子に座って移動させてもらっていた。
「資料どおり、本当に両村を分断する白い道が中央の一番低い所に通ってるんだね」
僕たちは村を見下ろす位置に休憩スペースを作り、見下ろす。
家々は点在してるけど、全体の規模は大きくなく、高い位置には放牧地があり比較的平らだ。
けれど家々は斜面に高い石積みの基礎を作って建ててある。
これも資料どおり。
そして右手にある放牧地だった場所で争い合う兵士たちの戦う位置さえ、六十年前と同じ場所だった。
たぶん戦いやすい場所なんだろう。
「第一皇子殿下、どうやら交戦直後のようです。一度こちらも隊を整えますので、独断専行はなさらないようにと、ワゲリス将軍が…………」
セリーヌが報せを持ってきた。
着いたのがちょうど、村に駐留する領主の兵同士が小競り合いを始めた時らしい。
そしてセリーヌが言いにくそうにワゲリス将軍の伝言を続ける。
「その、戦いに関しては邪魔をするなと、釘を刺しておけと、言われまして」
「そんな、近衛もいない状態で兵もなく突撃なんてしないよ?」
「その、すぐに対処せずに負傷者を増やすなどと文句を言われることがないようにと」
言うセリーヌもこっちを窺う目をするのは、そこまで物分かりが悪いと思われてるってこと?
「対処せずに負傷者? 確かに僕は素人だ。けど、こんな武装も最小限、安全第一の行軍で足並みも乱れて、息も整わないまま軍事行動することの危険はわかってるつもりだよ」
傷つけあうことを目的とした軍事行動なんだから、備えも計画もなく突っ込むとか怪我するだけだというくらいはわかる。
数は多いから結果としては勝てるけど、無駄な被害を抑えるためにもまずは休憩が必要だ。
そして息を整えて身を守れる隊列を作り、その後にようやく行動となる。
命を賭けさせるんだから、最低限身を守る準備はさせないと兵も動かない。
「これはいっそ、ワゲリス将軍に碌な教育をされていないと思われているのでは?」
イクトが呟くと、僕に軍事について教えてくれたヘルコフが牙を剥いた。
「あぁ!? あいつ俺をなんだと思ってんだ? 殿下の家庭教師だぞ?」
だけどウェアレルが指を立てて指摘を口にする。
「逆にそこまで実践的な内容を教えているとは思っていないのでは? 今のところアーシャさまが口を出すのは、軍事的定石を外す時のみでしたから」
そう言うこともあるのか。
確かに物を言ったのはワゲリス将軍に逆らう形の時ばかりだけど、それ以外はわかってるからこそ大人しくしてたんだけどな。
「あの…………道中、盗賊が出たと訴えた女性の件を鑑みて。それと、勝手に暗殺者の追跡をしに行かないよう、見張っていろと」
セリーヌが申し訳なさそうに実情を告げた。
どうやら僕の身から出た錆だったようだ。
いや、暗殺者はこの際僕のほうで処理していいんじゃないの?
うーん、けどすでに釘刺されたし、ここはまず身の安全確保を優先しようかな。
「わかってる。弁えてます。こんな状況で弱卒なんて罵って士気を下げることはしないよ」
あの時は明らかに数揃えて歩くだけで盗賊を追い払えたから嗾けたんだ。
けど今回は相手も完全武装してる。
しかも逃げる弱者を助けるんじゃなく、互いに武器を持って争う間に横槍を入れる。
下手したら両者からの敵意を帝国軍が一身に受ける状況だ。
一対二になる危険があるからこそ、準備に時間をかけるというワゲリス将軍の判断を否定する気はない。
「お前さんは隊長だろう? こんな所にいていいのか?」
ヘルコフが司令部所属付隊管理小隊隊長のセリーヌに水を向ける。
「管理小隊って確か、基本的な物資の管理はもちろん武器や防具の点検配備をするんだよね。準備にこそ必要なんじゃない?」
「いえ、他の者もいますし、司令部が動く必要がないですから。今回私は手隙なのです」
元来司令部は指揮命令が任務で、そこが戦うとなればもはや負け戦、撤退戦なんだとか。
「この状況では負けるほうが難しいでしょうね」
ウェアレルは戦う兵士たちを見下ろして頷いた。
すり鉢状なので、僕たちは村や周辺地点を見下ろす状態。
まだ隊は整ってないけど位置的な有利を押さえている。
何より領主の兵は交戦してる相手が目の前で、すぐさま攻撃目標を変えられはしない。
そこに数が多く、装備も充実した帝国軍が高い位置に陣取った。
焦らず兵を動かせば勝てる地形と状況だ。
司令部はどっかり腰を据えていればいいから、セリーヌは僕の見張りに回されていた。
「それに相手の武装が想定より充実していました。ないとは思いますがお守りを」
了承の上とはいえ、近衛を引きはがしたのはワゲリス将軍だ。
だから僕の守りにも気を回してくれたらしい。
代表でセリーヌが前に出て話してるけど、後ろには司令部の兵が二十人ほどがいた。
近衛は街に抑留していて、武官もまだ来てないし、人足は安全確保後に移動の予定でいない。
それにさっきワゲリス将軍の目が届かないところで暗殺未遂だ。
目を離すつもりはないんだろう。
「武装が想定より充実というのは、数か? 質か?」
イクトが聞く。
小領主は言ってしまえば貧乏で、古道を直す費用さえ惜しむ様子だった。
なのに武器なんて高価なものを揃えるとなると、出どころは気になる。
「数ですね。常備軍を養えるほどの財力などないはずが、揃いの武装で傷んでいる様子もありません」
セリーヌはどちらの軍とも言わない。
つまり両者が予想以上に備えている。
ワービリという村の領主はロムルーシ側で、そこまで手を伸ばせるとなると…………。
考え込む僕にセリーヌが一歩近づいて来た。
「要因に説明がつくようでしたらお教えいただきたい。これは軍としても必要なご意見です」
「うーん、状況的な推測だけど。武器って新調するには新しく作る所からだよね? となると一カ月程度じゃ揃えられない。つまり、二カ月以上は前にここに帝国軍が来ると知っていた人間が手配しなきゃいけないわけだ」
そして早馬を使ってもこの辺境に至るには一カ月かかる。
逆算すれば、疑える範囲はごく限られた。
僕をここに送り込むために声を上げた帝都の人たちだろうけど、やってることにムラがある。
もう誰が主導してるとかなくて、こまごまと僕を気に入らない人がそれぞれ手を回しているような気がする。
その中で、確実に僕を殺せるシチュエーションを生かそうと考えた人もいたわけだ。
(まぁ、セフィラが常に走査してるから対処はできるんだけどね)
(潜む敵影なし。下方にて交戦中の戦力となる人員凡そ百と百。歩兵のみ。弓兵、騎兵その他戦力に動きなし。交戦しているものの制圧力に疑問あり)
上からの落石さえも気づいて警告して来たセフィラは、どうやら目視可能な交戦中の兵力も走査済みらしい。
「もしかして向こうの士気って低い?」
「お、よくわかりましたね。殿下の言うとおり、あいつら本気で戦う気はないみたいですよ。一部しか動いてない」
ヘルコフもセフィラと同じことを言う。
戦況を眺めていたイクトは一つ頷く。
「小競り合いから兵の投入、そして帝国からの出兵。勝っても他国とことを構えられる兵力もなし。送り込まれた兵士たちの士気は低いことでしょう」
どうやら大人たちの見解は、帝国軍が来た時点で止め時。
ちょっといい武器貰っても、こんな山の中まで来て負け戦をする気はないだろう。
「こんな所まで兵を出したのは、主権の主張ってことか。でもすでに国同士で話がついてしまっているから、本当に無駄なことだよね」
村はうちに所属してると明確にしないと、しれっと奪われそうなくらい近い。
ただそこはもう帝国側編入で話はついてるから、ロムルーシ側で上から地方領主を説得してもらうしかない。
帝国軍は決定を報せる使者の役割もあるけど、その使者僕じゃないんだよね。
だから僕が悩むべき問題は確執のある両村だ。
統合に関する手間は全て帝国持ちになっている。
ここでしくじると、せっかく皇帝として領土を増やしたという権威づけができるのに、統治能力に難ありと付け入る隙を与えることになる。
「人員が増えて警戒の手間が省けますし、アーシャさまは少しこの地の情報の復習をしましょう」
もう見るものはないと判断したウェアレルが、お勉強の時間を告げた。
今しなくてもとは思うけどなぁ。
けど、解決するためにも僕はやって来たんだから、やれることはやっておくことにしよう。
定期更新
次回:ファナーン山脈の危険3




