86話:ファナーン山脈の危険1
未然に反乱は鎮圧できたから、表面上は問題なく進軍は継続された。
まぁ、配置換えでまた近衛がやらかしたのは軍内では周知だ。
生まれのいい人たちの集まりで、言ってしまえばエリートコース。
やらかしや傲慢で煙たがられてた以外にも、やっかみで装備はがされた現状を嗤われていたりする。
けど今は誰もそれを言うことはない。
何せ帝国北のファナーン山脈を登る過酷な行軍中なんだ。
「これは、六十年前の、将軍の、恨み言、わかった、気がする…………」
「殿下、集中してくださいよ。片側崖に近い斜面なんですから」
ヘルコフは今、断崖のへりで僕が乗るロバを牽いてくれている。
岩と風と滑りやすい砂利ばかりの山登りは、ロバを使うしかない交通の不便さ。
何より今通っているような岩肌にへばりついて歩くしかない危険さは、ロバに乗っているだけでも疲労困憊になる。
「もう少しという話ですから、どうか耐えてください」
僕と違って歩きのウェアレルに励まされた。
ここは馬車なんて通れないから、まず安全確認の兵士が先行し、その後に指示出しの指揮官が向かう。
罪人扱いの近衛は下の街で拘束したまま、帝都に送り返すための準備中。
後方支援はもっと後からで、もちろん侍女もその時に移動だ。
ノマリオラは僕との同行を申し出たんだけど、軍の行動は将軍が決める。
実際険しくて向かないと、必要人員以外は後から来ることを命令された。
まぁ、僕たちはこうして指揮官の一人ですって強弁して無理矢理来てるけど。
ただ僕にはノマリオラ同行反対の理由はもう一つあった。
「ほんとう、ここ…………暗殺向き」
「今までは嫌がらせ程度でしたが、慣れない長旅で体力と精神を削り、さらに疲労と逃げ場のない地形となればいっそ用意周到ですね」
地形は調べてたけど、渋面のイクトも実際見ると思うところがあるようだ。
今わかってる敵の手口は、ワゲリス将軍に僕の悪評を吹き込んで連携を邪魔すること。
近衛には、やはり僕に悪意ある人選をしたこと。
施設大隊にも嫌がらせするような人が紛れ込んでたこと。
実行していない、もしくは上手くいかなかったけど嫌がらせに仕込んでいた人員は他にもいそうだ。
「けどここ、誰がやったかはともかく、責任は、確実に、領主に向く、よね?」
ロバの上も疲れるというか、そもそも僕はここを踏破するには体力が足りてなかったようだ。
こんなに体中に力入れてるなんて初めてで、宮殿でヘルコフにできることは仕込まれてたはずなんだけどそもそもの体力、養えてなかったみたい。
「辺境の小領主ならば、たとえ責任追及がされるとしても断れないでしょうな。よくあることですが、周辺を統括する大領主に小領主は逆らえないもんで」
ヘルコフが言うとおり、領主間の力関係は覆しがたい。
県と市が近いかな?
市一つで白だと言っても、県が黒だと言えばその地域全てが黒として扱われる。
反抗したらその分冷遇や問題の押し付けもあり得た。
さらに言うとこの国境の領地は弱小なので、県に対しての村くらいの規模だ。
周辺地域の権益を握ってる大領主から干されたら、領主一人の首どころか家族や領民まで飢え死にになる。
「しかもここの大領主は、犯罪者ギルドに関わっています。荒事や権力闘争に対しては積極的ですよ。本気でアーシャさまを狙うほどの旨みはないはずですが、動かれると厄介です」
ウェアレルも僕についてくると決めてから、専門でもないことを多く勉強している。
その中には、このファナーン山脈周辺の地理や歴史、権力関係も含まれた。
実はセフィラにお願いして、ウェアレルが求める情報を探るようにも言ったことがある。
「帝都からの追い出しは成功し、再建の目途も立たないよう手を講じたとはいえ、まだ犯罪者ギルドを構成していた組織の本拠地までは手を入れられていませんから」
犯罪者ギルドで帝都に根差していた組織犯罪集団は排除された。
ただし犯罪者ギルドを作った四家は本拠地に引くだけで、捕まってはいない。
しかもその内三家は本拠地が帝国の領土外で手が出せない。
一家だけ帝国の領土内に本拠があった。
帝都が大都市故に犯罪者ギルドを設立されたけど、発祥地で力をつけたからこその進出だ。
未だ本拠地では強権を握っていると思うべきだろう。
(確か、犯罪者ギルドを作った一家の起源は…………)
(今から四百年ほど前に発生した借地の武装農民です。農民を守るという名目で武装し、その武力を背景に地主と密接な関係を築き政治にも…………)
(今ちょっと話聞いてる余裕ないから待って。あと、セフィラには周辺の警戒を)
(すでに怪しい武装集団は捕捉しています)
疲れで一瞬意味が掴めなかった。
「…………え!?」
すぐ側で声をあげてしまい、ヘルコフがびっくりして毛を逆立てる。
同時に僕は口をしっかり閉じた。
(すぐにヘルコフに情報共有!)
(了解)
ヘルコフに聞こえたらしく、熊の耳が天を突く。
それだけでイクトも異変があったことを察して周囲をそれとなく警戒し始めた。
「…………ちょっと殿下の座りが悪いみたいだ。いったん止まって馬具の調子を見たい」
ヘルコフが言い訳をしてロバを止める。
その間に、セフィラがイクトとウェアレルに交信して状況を報せた。
僕たちはいったん止まって馬具の調整のふりをし、先を行く軍とは距離を取る。
同時に後続は僕たちが止まったせいで進めなくなった。
岩肌と崖に挟まれた逃げ場のない場所が、ちょうどこちらの安全確保にも役立っている。
(セフィラ、相手の様子は?)
(主人が通過と同時に岩を落とすため、今も待機中。魔法で足場を崩して不埒者どもの排除を推奨)
(それじゃ情報が取れないでしょ。それに道が塞がれたら当初の目的が達成できないし)
(街へ下りる道はカルウ、ワービリ両村にとっても損害。復旧のため争いをやめると推測)
確かにそれも手だ。
けど軍がインフラ破壊なんて卑怯すぎる。
これは前世の常識なんだろうけど、非戦闘員に被害を出すことを許すわけにはいかない。
(ともかく、今回は暗殺阻止が第一。というわけで誰も被害を受けない今、やっちゃって)
(命令を受諾。判断の基準の説明を安全確保の上で再度問う)
なんか後で質問攻めにされそうだけど、そんな体力残ってるかな?
セフィラは見えないという優位を生かして、高い位置で隠れる敵に接近。
ごく自然な風を装って、石を一つ敵の身動きと共に転がした。
案外大きな音がするし、何よりも落石は危険だ。
だからこそ僕たちはもちろん、後続も上に注目する。
足元ばかり注意して見ていればわからない場所だけど、ここは吹きさらしの岩ばかり。
隠れる敵の存在は人目にさらされた。
「ぐ…………、撤退だ!」
「待ちなさい!」
すでに周囲と距離を取って安全を確保していたウェアレルが、魔法で大きく風を吹かせて跳びあがる。
安全綱もなく、足場も悪い中でやるには相当の根性が必要だろう。
それでもウェアレルはやってくれた。
どうやら一番安全な足場は僕に向かって落とす予定だった岩のようで着地する。
「待て!」
ウェアレルは捕まえるそぶりを見せるけど、相手は即座に撤退。
一人で追う危険もあり、ウェアレルは上にあったという古道を使って、断崖の先で合流した。
「おい、こら! どういうことだ!? 不審な集団がいただと!?」
いつものワゲリス将軍は、こんな山道でも元気らしい。
ここは危険な崖の道を過ぎて、一時的に集合場所にできた山脈の中の開けた平地。
地形からして、たぶん雪解け水でもたまるんじゃないかな?
ちなみに僕たちは嚮導として街で雇われた現地の人間から、古道について聞き取り中だ。
どうやら古道は別の村に続いていたけど、十年以上前に道の一部が損壊。
領主に訴えても復旧されず、使われなくなったんだとか。
「大丈夫。被害はないし、ウェアレルのお蔭で不審者には目印をつけられた。後から追跡が可能だよ」
「…………ずいぶん用意がいいな」
「狙ってくるのが近衛だけとは思ってなかったからね」
言葉にせず、僕を暗殺する向きがあることを伝えてみる。
途端にワゲリス将軍は嫌な顔をした。
と思ったら、僕には言わずヘルコフの襟首をつかみ上げる。
「子供に何言わせてんだ、てめぇ。そこまで腕腐ってやがったか?」
「それはお前の義父含む宮殿のクソ野郎どもに言えや」
とても剣呑な言い合いは、怒鳴るよりもなんだか怖い。
そしてワゲリス将軍が僕の話聞かない一端発見。
完全に子供扱いだったのか。
いや、確かに僕成人してないけど。
あ、だから余計に引っ込んでろなのか。
なんて考えてたら、そのまま何故か獣人同士、威嚇するような唸り合いが始まってしまったのだった。
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