病院行ってみた。
◆
翌朝。俺は半年ぶりに家に出た。
共働きの両親が出勤する前の早朝に事情を説明して、病院へ行くこととなった。
説明するとき、というより、部屋から俺が下りて来た時、両親はそれはもう驚いたリアクションをしていた。
「あの咲人が可愛い女の子を部屋に連れ込んだ!?!?」などと、母親がパニックになっていた。確かに引き籠り息子の部屋から見知らぬ美少女が出てきたらさぞ驚くだろう。気持ちはわかるとも、痛いほど。
だが母さんよ、その判断は尚早である。俺は部屋に連れ込まれたのではなく元からそこにいたのだ。その旨を、一度両親を落ち着かせてから説明した。
説明中、終始両親はポカーンとしていた。
当然だ。引き籠り息子が部屋に女子を連れ込むよりおかしいことを説明されたのだ。
聞いている最中父さんが「不思議ちゃん、という奴なのか?」などと母さんに尋ねていた。父さんよ、俺は不思議ちゃんでも電波ちゃんでも中二病ちゃんでもない、あんたの息子だ。
だが「はいそうですか」と信じてくれるほど、タイムループ物の主人公並みに適応欲の高い両親じゃない。
半信半疑どころか九割九分疑っている両親だった。
だから、俺と両親しか知らないことを話して、何とか俺が天谷咲人であることを証明して見せた。
最初は重度のストーカーだと思われた。初めて両親をシバきたくなった。
しかし、あまりに詳細な立証をしたおかげか、段々と両親も、この子が本当に自分たちの息子なのではないだろうか、と思い始めてくれた。
——多分、車で家を出て病院へ向かっている最中の現在でも、両親はまだ疑っているだろう。
証拠に、二人の俺への態度が何処かよそよそしい。なんか無駄に気を使われているというか、他人行儀なんだよな……。父さんに関して言えば、年頃の女の子に対してどう接すればいいのかわからないオッサンみたいになって、いつもより格段に口数が少ない。
気まずい車内を20分ぐらい体験してから、一番近くの大きな病院へと来た。
久々の外出先が病院になるとは、少し前の俺は予想だにしていなかっただろうな。
というか、本当に久しぶりの外出だった。半年引き籠ってたわけだし。
もっと抵抗感とかいろいろあるかなぁ……。とか思ってたんだけど、今の自分の身体の状態とか考えると、引き籠り特有の外出に対する抵抗感とかそういうのはなかった。
今までロクに食生活も衛生状態も気にしてこなかった奴が、いきなり自分の体のことで不安になり出すというのもまたおかしな話だ。
——病院に行くとなると当然診察室へ行かなきゃいけなくなる。
ましてやここは大きな総合病院。目的の科に行くにしてもそれなりに歩かなくてはいけないわけで……、そうなると、まあ、人ともすれ違うんですよね、はい。
半年間家族以外だとアイツくらいとしか会話していなかった俺。もう他人と目を合わせることさえ恐怖だ。
それに、なんか、じろじろ見られてて余計に怖い。
視線が体のあちこちに突き刺さっているようなそんな気分になっていた。
いや、見られてしまう心当たりはあるんだ、実際。
俺が現在超絶美少女の容姿になっているというのも、まあもちろんあるんだけど。それ以上に、俺の格好だ。
格好、つまり服装。
女装癖のない俺に女物の服の持ち合わせなどない。そして女の体になったからといってわざわざ母さんから借りて女物の服を着たいという願望もない。というか着たくない。理性的に。
故に俺は、クローゼットの奥深くに眠っていた外出用の男物の服を現在装着中なのである。
しかし、男物でも女の人が着たってそう違和感があるモノでもない。
問題は、——サイズだ。
元の俺のスペックは165~7くらいの身長で体重は50半ばくらい。現在は150あるかないかくらいの身長で体重は一切不明だが驚くほど身軽ということだけわかっている。
つまり、元の俺のサイズに合わせて買った服は、現在の俺には到底合わないのだ。
昔の服とかは母さんが全て断捨離してしまったため、男バージョンの俺の服しか在庫は存在しない。
そしてお察しの通り、俺は現在ぶかぶかの服を着ている。
シャツは大きすぎた右肩が常に露出しちゃっているし、ズボンのウエストは抑えていないとずり落ちてしまいそうなくらいゆるゆるだ。
無論、女物の下着はつけていない。ぶかぶかのトランクスは履いているがブラジャーはつけていないということ。
これだけ言えば、いいや紳士諸君ならここまで言わずとも全てを理解していただろう。
ぶかぶかの服を着ている。
↓
肌が露出してしまっている。
↓
女性物下着を身に着けていない。
↓
エロい。
姿見で自分の姿を見た瞬間、無いはずのモノが立ち上がりそうになった。
自分の体を見て興奮する日が来るなど夢にも思っていなかったよ。
この姿を見て目を奪われない男はいない。俺はその時確信した。
罪な男、いや罪な女だよ。俺は。
——なんて余裕ぶってるけど、正直めっちゃ見られてめっちゃ怖い。
人との関わりを全て断っていたわけではないが、それでも喋る人は限られている。具体的に言うと三人くらい。
つまり、赤の他人とは一切喋っておりません。そして人との対面に一切の面識を無くしてしまった俺は、注目されるだけで震えと恐怖が体を駆け巡る。
早くお布団入りたいぃ……。
だが現実は非情で、不幸にも混んでいた病院によって診察待合室に長時間注目の的となり続けた。
待合室にいた老人(男性)や子供(男の子)からの視線を全身、というより胸と尻時々脚に感じながら呼ばれ続けるのを待った。
……そうして、永遠にも思えた20分がようやく過ぎ、看護婦さんからの「天谷咲人さぁ~ん」という呼応にすぐさま立ち上がり、両親よりも先に足早で診察室へと入る。
両親とともに入室した診察室にいたのは二十代半ばの女医さん。なんかきつめの印象だけど結構綺麗だな……。しょ、正直美人と話すのは緊張する。
——じゃ、じゃなくて! 今は俺の体の一大事だ。そこを気にしている場合ではない。
女性であるのが幸か不幸かはわからないが、この体については相談しやすいだろう。
「よ、よろしゃ、……よろしく、お、おねが、……します」
噛み噛みなんてものじゃない。
ファーストコンタクトの第一声がこれだったら心理的距離が日本からブラジルまで遠退く。変に作り笑いをしているから余計に気持ち悪くなっていることだろう。
「はい、よろしくお願いします。ではおかけください」
だが女医さんはそれに対する嫌悪感を一切出すことなく、事務的に挨拶を交わす。
促されたとおりに椅子に座る俺。
その際、ずり落ちそうなズボンを必死に抑えながら腰を下ろす。
「ん? どうしてサイズの大きい服を着ているんですか」
当然抱くであろう疑問を率直に聞いてくる女医さん。
「す、すいません。これしか持ってなくて」
非はないのに、なぜかぺこぺこ謝りながら説明する俺。やはり会話にはかなり抵抗がある。
「……? ——そうですか。えっと、天谷……咲人? さん、で、あっています?」
「え、あ、はい」
「…………」
何度か事前に書いた診断書と俺の顔を確認する。
明らかに男の名前、しかし目の前にいるのは明らかに女。
その矛盾に女医さんは眉間にしわを寄せる。
「……まあ、名前は人それぞれですよね」
「は、はあ」
自分に言い聞かせるように女医さんはフォローを入れる。
女医さん。それ全くフォローになってないと思いますよ。
「じゃあ、ご用件をお伺いしてもいいですか」
「あ、はい。え、えっと……」
正直どう切り出すべきなのか……。
単刀直入にこんなこと言っても頭に?を浮かべられ、精神科を勧められるのがオチだ。
しかしコミュ障の俺に気の利いた言い回しなどできるはずもない。事実を淡々と述べるのが今の俺の限界だ。
しどろもどろとしているのにも限界がある。
正直に言ってしまって楽になってしまおう。
「え、えっと、——……じ、実は、朝起きたら女の子の体になっていたんです!」
力強く、聞き返されないようにハキハキと、事実をそう述べた。
「…………では、精神科の方に連絡しますんで少々お待ちを」
「待ってください! 気持ちはわかるんですけどちょっと待ってください!」
電話を掛けようとする女医さんを必死に止める。
予想されていた展開だったからすぐに反応できた。
に、にしてもこの女医さん、すごいというか、大物のような雰囲気を感じさせるというか、サバサバした人だな。普通ノータイムで精神科に送り込みますかね?
「あ、あの、虚言壁とか妄想癖とかじゃなくて、ほ、本当に体が女の子に変わっていたんです! 両親が証人になってくれます!」
「……お父様、お母様、そうなんですか」
「え、ええまあ、そうみたい、です」
「喋り方とか記憶とか、息子と一致していますので……多分」
両親もまだ疑いが晴れない様子なのか、答えに煮え切らなさを感じる。
一応学生証とかも見せて男だったことを証明しようとする。まあ今時こんなのパソコン一台あれば簡単に偽造できる代物だし、信憑性は薄いかもしれない。
同一人物である証明は正直困難だ。いくら物的証拠があろうとも、その奇々怪々すぎる出来事を受け入れられるほど人間とは寛容ではない。
特にこの女医さんは融通が利かなそうというか、オカルト染みた話は毛嫌いしそうなリアリストのような雰囲気がある。そう踏んでいたのだが——。
「……なるほど、では精密検査をしてもらいましょう」
あまりにもすんなり受け入れられた。
「えっ、し、信じてくれるんですか?」
「いいえ、信じておりません。ですので精密検査を行います」
「…………」
「どうかしましたか? 私の対応に何か不服な点でもありましたでしょうか」
「い、いえ、とと、とんでもないです!」
正直門前払いをくらう覚悟で来たから、すぐに受け入れられたことに驚きを隠せない。
多分、この先生だったからこその迅速な対応となったのだろう。