閑話 嫌いで断ったんじゃない....それだけは...
終礼が終わり、殆どの生徒が出ていった教室。
日直の私は自分の席から、教室内を見回す。
最後に教室の鍵を閉める仕事が残っているけど、必ずしなければならない訳じゃない。
『最後に帰る人は戸締まり、お願い』
そう言えば良いだけ。
鍵をした人は職員室で先生に鍵を渡して終わり。
先生は何も言わないで黙認しているから、日直が絶対という事じゃない。
だが私はそれをしない、出来ないのだ。
生徒会長の恋人がルールを破る訳に行かない。
『早く、彼の元に行かないと...』
焦る気持ちを隠し、笑顔を崩さない。
私は悟の恋人。
どんな不満があっても、みんなに見せてはならない。
彼は噂に迷惑しているんだ。
上手く行ってるんだ...ちゃんと...私は...彼と...
「千秋、何を考えてるの?」
「なんでもないよ」
慌てて頭を左右に振る。
声を掛けて来たのは、同じ学年の五十嵐陽葵さん。
数少ない私の友達。
「みんな、なかなか帰んないね」
「そうね」
教室内の生徒達は他のクラスに居る友達を待っていたり、携帯を弄っていたりと、思い思いの時間を過ごしている。
それは構わない。
陽葵だって私と違うクラスなのに、こうして来てる。
私が苛立つ原因はあの人だ。
「真理お先、今日は彼氏遅いね」
「今日は日直だってさ、バイバイ」
そんな会話が耳に入って来た。
『こっちも日直なんだよ、笑顔で手を振ってないで、さっさと出て行ってよ!』
心で叫びながら女を見つめる。
[橋本真理]
彼女の名前は新入生の時から知っていた。
運動神経抜群、陸上部のホープで、あの美貌、更に成績優秀。
入学早々、彼女は学校中からの注目を浴びていた。
『どんな女より千秋が一番だ』
橋本真理の話を凌平に言ったら、脳天気な答えが返ってきた。
『私が欲しい言葉はそんなんじゃない!
だいいち、橋本真理の事を知らないクセに!』
腹が立った。
ずっと凌平と一緒だった。
小さい頃は凌平の陰にずっと隠れていたが、私だって高校生。
凌平と違うクラスになったのを期に距離を置きたいと願う様になった。
凌平が嫌いになった訳じゃない、1人になって高校生活を楽しみたかった。
しかしラグビー部のマネージャーを頼まれてしまい、中々上手く行かない。
『千秋、山口君って格好良いよね』
そんな時、クラスの友達が言った。
[山口悟]
彼は正に私が理想とする王子様だった。
均等が取れたスタイル。
サラサラな髪に今時のヘアースタイル、なにより整った顔立ち。
上半身が筋肉に埋もれた幼馴染みと全く違う。
髪型だって無頓着にスポーツ刈りしかしない幼馴染みとの差は歴然。
山口君を遠くで眺めるだけで充分だった。
所詮は高嶺の花。
それに、凌平以外の男性が怖かった。
告白を断ると、中には態度を急変させて来る人も、その度凌平に助けて貰っていた。
私にとって告白されるのは苦痛でしかなかった。
そんなある日、山口君に呼ばれた。
『佐藤さん、折り入って相談があるんだけど』
『何ですか?』
私達以外、誰もいない教室。
まさか山口君が私に告白?
初めて感じる高揚感に戸惑った。
『実は告白したい人が居るんだけど、どんな風に接したら上手く良くかな?』
『はあ?』
予想外な事態に唖然とする。
『なんで私に聞くんですか?』
『だって佐藤君は岸井凌平君と付き合っているだろ?』
『違います!』
誤解だ!
凌平とは幼馴染み、それ以上でも以下でもない。
『そうだったのか、すまない』
申し訳なさそうな態度に、山口悟という人間が誠実だと知った。
この日から私は悟と友人になった。
凌平は私と悟の様子に、『一体どんな関係なんだ?』と聞いて来たが、
『そんなんじゃないよ』
そう答えた。
それ以上凌平は聞いて来なかった。
『千秋ありがとう、残念だけど上手く行かなかったよ』
1年生が終わりに近づいた頃、再び放課後の教室に呼び出された。
『...まさか悟が?』
『僕とは相性が合わないってさ』
全く信じられなかった。
悟はそれ以上言わなかったので、告白した相手が誰なのか、分からずじまいだった...
「すまん待ったか?」
聞き覚えのある声で、現実に引き戻される。
凌平だ。
「ううん、早く行こ」
「おおそうだな、陸上部はラグビー部と違って厳しいからな...」
『ちょっと、私もいるんだよ...』
私の存在に気づかない凌平は真理と教室を出て行く。
二年からクラスメートになった真理。
性格が全く違う私達は本当なら接点も無いまま終わる筈だった。
しかし、私達は接点を持つ事になった。
凌平の妹、翔子ちゃんが陸上部に入ったのだ。
彼女を通じて、真理は凌平と知り合い、私達は何度か話した。
...真理は凌平の事が...
直ぐに気づいた。
正直複雑だったが、私もそれどころではなかった。
『ありがとう千秋、助かるよ』
『ううん、いつでも言ってね』
生徒会長となった悟は度々雑用を頼む様になった。
ラグビー部のマネージャーは私だけでは無かったので、時間の融通は利いたのだ。
その頃になると、私は悟を異性として見ていた。
『何、話って?』
『千秋...好きだ』
ある日、凌平に呼び出され受けた告白。
突然だった。
その日は返事をする事が出来なかった。
[凌平に告白されました。悟、どうしよう?]
その日の夜、私は悟のラインに書き込んだ。
[千秋は岸井君が好きなの?]
『それは...』
悟のラインに何も返せない。
[正直に、自分の気持ちを岸井君に伝えるんだ。
次は僕も踏み出すから]
[分かった]
悟のラインに迷いは消えた。
『...ごめん、手遅れだよ』
『そうか...無念だ』
こうして凌平の告白を断った。
それ以外の選択肢は無かったのだ。
凌平と、どっちつかずの関係は止めよう。
決意を固めた私は翔子ちゃんにラインを送り、マネージャーも辞めた。
後戻りは出来ない、迷いは無かった。
そうして、私は悟の告白を受けたのだ。
後悔はしない、そう思っていた。
「毎日見せつけてくれるよね、あの二人」
「まあ幸せだから良いんじゃない」
陽葵の軽口に付き合う。
本当は嫌なのに...
「最初はまさかあの真理が筋肉と?だったけど、よく見たら岸井君って可愛い顔してるじゃん」
「そうね」
知ってたよ。
凌平はお洒落に無頓着だっただけで、決して悪い顔立ちじゃ無い。
何しろ幼稚園からの付き合いだったんだからね。
最近はお洒落になってきたし、彼女の影響かな...
「千秋」
教室の扉が開き、悟が入って来た。
彼の姿を見たクラスメート達が一斉に席を立つ。
みんな女の子、悟がお目当てなのだ。
「遅いから迎えに来たよ」
「ありがとう」
全員が出た教室の鍵を閉める。
これで日直の役目は終わりだ。
「山口君さよなら」
生徒会室前で陽葵が手を振る。
本当は分かっていたよ、私と友達の振りをしてるのは悟と近づくためだって。
「ああ、陽葵さよなら」
「え?」
悟の言葉に衝撃を受ける。
彼が人の名前を呼ぶのは基本苗字だ。
下の名前を呼ぶのは、親しい知り合いか、好意を持った子以外居なかった。
私以外に、橋本真理と、五十嵐陽葵....
目の前が真っ暗になった。
「...ただいま」
ようやく家に辿り着く。
あれから生徒会室に行ったのかな?
余り記憶がないや。
「おかえり、千秋」
お母さんがやって来た。
どうして?
なぜ心配そうにしているの?
「なに、お母さん?」
「無理しないで...」
「無理?」
何が無理なの?
無理なんかしてないよ、これは正しい事なんだ。
勉強だって、成績が10位に落ちたけど、次の試験は頑張るから。
今日も徹夜するんだ、そうよ、凌平の6位なんか目じゃない。
私は間違ってなんか...
「私は間違ってない...」
「千秋...」
どうして?涙が止まらないよ...
「私が決めたんだ...凌平...ごめんなさい...だからブロックしないで...」
母さんに抱き締められながら、口にしたのは凌平への謝罪だった。